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聞こえる場所の切替え

先日、ある言葉を知って、その意味・状態を軽く調べた。「なるほど…、そういうのがあるんだ」と思った。

ここから書く内容は、私も主人もそれに関してまったく無知な状態で、「そういうものがあると知る」という所から入っています。私は後にもう少し追い、初めの印象よりもう一歩「そうなんだ…」と進めるわけだけど、書くことは、あくまでも主人の体験から探っていく流れのメモを中心に記していきます。


『”すぐ後を追って復唱する英語の勉強法”なんだって。輪唱みたいだね(*^^*)』

食事中の主人の横で、ポロっと口にすると聞いていた主人が言う「おれ、それできる」と。”同時に出来るよ”と言うもんだから…。


シャドーイングの意識(話題)から、Yの内面の働き(感覚)を聞き驚く。後日私は自ら短い英語スピーチを聞きながらふと…、Yの話を思い出す。⦅あ…?これ普通にできる⦆と思った。日本語動画でも同様に可能。という事は他の”音”、言語でも可能だ。この時「意味」とは何も結んでいないから。

”意識を向ければできる”と、Yは言っていた。確かにその音に入って行けば、その静かな世界で音を”聞く”事ができると分かった。そこから―――

(私から見て主人は)
そこに集中してしまっているから「人の話を聞いていない」という所と結べる。外の話を聞いているようで、(意識が)内側へ入り込んでしまっている可能性があると思った。

私が試したその”感じ”から推測すれば、この状態では意味は全く拾えない(そこに繋がれていない)ので、「言ってる事が分からない」という発言も分かる。

全てではないにせよ、こういう状態も含んでいたと分かる。「脳内の”つながり”がそこになされていない」というまず簡潔な説明はできるのだけど、それは音を内側で聞いているか、外側から巻き込んで(通常の聞き方で)聞いているか、という違いがあるだろう…。

この違いがきっと厚い壁なのだと思う。どこが後・先かは私は分からないけども、”外”で集中して”音”を取って(聞いて)いる時は、その音から意味解釈をしようと、俗にいう「聞いている状態」になっている。

対して”内”で集中してしまうと同時に音は取れるけども、意味とは結んでいない音・響きだけに直結。他と結んでいないため”同時”に取れるけど意味は全く拾えない、という事だ。

「どこ」で集中を作るかによって、捨象状態に差があり、”外側で聞く”という事は、そもそも音の取り方(脳の拾い方)が違うため、同時には出来ない。その反応の形をとる限りは、タイミングにズレ(遅れ)を取らざるを得ない。


(ここから)

私の”感じ”から捉えるに、Yの言った「オレそれできる」は、表現上は”間違い”なのだと思う。※

その意味は、これは”オレ”、つまり私の感じでは「わたし」とはあまり感じなかった、という事から。「内側では(自他が)繋がってしまう」という事かもしれない。確かに外で誰かが話しているので、その”外”を重ねれば他者の存在のそれを、この内側の所有者である”オレ”は、対比して現れるのだろう。

私の中では、その状態を内側に作った時、その区別を通過して、”ここで響いているだけ”と捉えた。音を追っているのとは違う、音を追えば一致はあり得ない。という事は、”ここ”という内側でその音が響いているだけだと思った、ということ。

それでもいやしかし。
主人には本当におもしろい体験をさせてもらえる。そしてそれは、「シャドーイング」という言葉を外で目にしたそこからここに至っている。外の刺激が流れてきて、転がり、転がり、私自身に体験が生まれる。最高の時間だった。感謝!

(ここまで)

※この、内側で起こっている事を、「どの様に言い表すか」という所に感覚の差、が大きく出ると感じている。この流れからだったので、主人は単に「”オレ”はそれができる」と言っている。内側から拾えば、その「音」がここという場所で響いているだけなので、”それはオレの音ではない”ことは分かると思う。

この自分の中で響いているのだから”自分”とするかどうか、という事の区切りの正確さは、他の話でもかなり難しいものだと思っている。「その境界はどこでしっかりと引けるか」ということは、誰も分からない事なんじゃないか、と今は思っている。

この自分の内側と、自分の外側とがいつもこうして色々入り混じり、その混じりあうものを無意識に自分は処理している。

自分と他者との線引きは、内側に行くほど難しくなるかもしれない。これを逆に、「外へ大きく広げてその線引きは困難で、一つだ」と考える表現もあったと思う。

どちらの空間に広げて捉えているかという事も、言葉の意味が薄まると(突き抜けていくと)内外差も一体、表裏一体となっていることが想像しやすくなるのだと思う。

(ここからーここまで)のメモは、ほぼその時のままここに表したのだけども、私が”その目線になっている”時点で、既に違う空間にズレてしまっている事が分かる。「私が回想しているうちに主人の話したその言葉を、”主人と強く重ね出すことにより”、音声元の他者から離れ”主人”に偏って解釈をし出している」様な感じ。

違う言い方をすると、私の捉えている場所が、主人とは異なるため、”オレ”というその分けられた言葉に「私が」違和感を感じた、という事。主人の感想は主人のその通りで間違っていないし、文中に触れた通り、単に”できる”と言ったに過ぎなかった。

”それ誰の声になってるの?”

後日、私からのその問いに、「外で話してる人の声」と主人はきちんと答えた。ここまで感覚の一致を確認した上で・・・、私が気になって他のケースで試した事を、主人に確認してもらった。

私との働き方の違いがいくらか出てくる…、それはまた明日に。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!