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異世界の住人達

5/30メモ

どんどん、色々が分かってくると。
今までと違う見え方で、明らかになってくる。

それはまた嬉しいという喜びではなく、どちらかと言うと、”ふーー…”というため息をつきたくなる気分。

これは「一時的」と分かっている。
だって、やるしかないから。

コクだなぁ…と感じながらもやるしか残されていないから。

だから少しでも楽しく、明るい方で意識して考えたいし・・・

(メモはここで一旦中断する)

「どうして暗い気持ちなんだ…?」
そう思った夕方の緑タイム。自分の状態を観た。

「あっ、そうか。潜るからだ(笑)」

空を見上げた時、正面に小さく飛んで行く飛行機を見て笑った。

現実という世界の明るさに笑えた。


5/30メモ

意識/無意識を考えていて。

集中して1時間動いて、夕寝はしっかり1.5時間近く。

そのトランス様の中でも、うっすら意識・無意識の矢印の事は流れていた。夜のワン達のご飯も終わり、台所で洗い物をしている時も、やっぱり流れていった。


目の前の物事がワーーッと嵐のように流れていく時、あれはまた、どエラく無意識によって動かされている時だったんだ…と思った。

だから、その嵐の過ぎ去った後、少しポカンとする様な、後になって我に返る様な、ちょっと”現実”に戻る様な感覚がある。

この世の現実という世界で、この身をあれだけしっかり使っているのに、”現実に居ない”意識。


意識というのは余程、眠っているものなのか、普段の目覚めている時は意識は「起きているもの」と思っていたけども、殆ど眠った状態なんだと思った。

そして起きているこの「私」が、自らスイッチを入れた時、直ぐにではなくても、その意向に沿って動き出す意識。今完全に脳内の状態がイメージされているのは、意識・無意識の”逆”の状態だ。

逆さ矢印で”観た”状態で、書いているフェーズだ。

・・・

1週間も経つと、↑コレの世界にアタマを合わせるのも大変なので、思考せずnoteへ。

ただ、書いていて(脳の)背後を流れたのは、意識・無意識という言葉を説明上「分けて」いるだけで、「同じもの(一つのもの)」という感じを視た。

”状態”を現す為に「言葉」があって、その状態というのは、線が引かれ区分けされているでもない、名前が書いてある訳でもない。だけど、そこにある「状態」を説明する為には、違う言葉を使って説明しなければならなくて、その表現された言葉によって、文字の世界では「分離」がなされてしまう。


脳に視ていたその状態(画・映像)に、区分けなんかない。全ては”ひとつなぎ”だったはず。

気づくたびカタチとなって言葉になる表現。

言葉は人を分けてしまうものでもある。


6/6メモ

”同じ”という事も、”違う”という事も。

この目で「外」に見る限り、”私”であると思った。

この「私」を基準にしている限り、それは”私”というモノであって、言葉上の「同じ・違う」は関係ない、と視えた。

という事は、”逆”も同じという事になるね。


6/1メモ

やっぱり脳の事を振り返っていて、この「脳の成長プロセス」は、年齢的なもので説明ができてしまう、と少し分かってしまった。

その扉から入ると、ある意味においては「つまらない」と感じた。

それは誰でも同様の成長プロセスで当然で、それは良いのだけど、何か面白い事に、一つ情報から”分かって”しまった事で、自分で詰めるものが消えた、と感じている様だった。


どれだけムダな時間を使いたいのか、笑いたくなるのだけど、私の持ちものだ、どこまでもつき合う。

これを、別目線で観ると、年代別でメインに働く脳活動が異なるならば、極端に言うと、年代(世代)で全く違う”生き物”と考える事は、”普通に可能”だと思った。


これは、夜主人が「”エグい”とか大っ嫌い」と言ったのを聞いた事でその様に捉えた。

主人はそれらの”現代的言葉(?)”や、省略言葉を受け入れられず不快と言う。「何でも簡単に多用するのがイヤだ」と言った。

主人の使う言葉は丁寧な訳じゃないけど、あまり崩さないからか、耳から入るそれらの言葉を強く拒否する傾向がある。

時代(世代)によって使われる言葉が変われば、「住む場所」は異なる別の生き物、となると思った事だった。

・・・

時代によって”中心(的)”になるものは変わると思っている。当たり前だけど。

だけど、自分(自己)というものが強く、”無意識に”自分の中でそれが主張する時、その変化は受容不可、拒否したくなるもの。

直ぐには受容れられないし、自分の容器を拡大するのにも時間はかかるし、更にはこの先もずっと”拒否”かもしれない。

「時代の”中心”が変わったんだな…」

というのは、中々結構気づけないものだと思う。

自分は受容れられなくても、良しと思えなくても、「観た」時に確かにそれらが”目立つ”ならば、「もう時代が違うんだ」という見方は、ある一面ではできる”事実”。


その時代が、”自分の好みかどうか”なんて関係ない。主は勝手に移ろい行く。

「確かに、俺らが若い頃もそういう言葉って使ってきたんだろうけど…(笑)」

頭で考えれば、自分達も同様にして”中心帯”にいた過去があり、もうそれは気付けばいつの間に世代が変わっている…、という事も主人も解っている(*^^*)


それでも古い意識、無意識にソレらの現象を拒絶したくなる。

当たり前になんの”ズレ”も感じなかった自分と時代との間に、いつの間にか大きなズレがあることに、きっと中年(以降)は直ぐには受容れられない反応(反射)があるからなんだろう。

使うアイテム、言葉、見る世界…。

これらが変わってしまえば、そりゃもう”異世界の住人達”だろう…お互いに(笑)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!