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物事の成否とその中身?

ワンの様子を簡単にメモした。
昨日は明らかに、以前のような動きに近く、多飲多尿はあるものの、その回数も減っていた。

そう考えると、数日前の何日かは、かなり身体的にきつい状態(怠かった)だろうと思う。少しでも落ち着いた状態になることは嬉しいけども、安心しきらずに、経過だけはきちんと見たいと思う。


少し前に、「自分を抜くとか消す」という表現をしたのだけども、昨日はそれが浮かんできて結ばれた。

それは、この数日に書いている”現実に居る”ことは、実に少ないという事からの解釈だった。

いつもの奥まった意識状態が、この現実と”合わせて”動いていくような時、それの主はあくまでこの「現実」という世界での動きであって、それに合わせて動いている、動かざるを得ない時、そこには自然とこの”自分”を消さなければならない状況がたくさんあると思ったことからだった。


具体的には、今回のワンに絡んだ現実での対応の話で、この現実と大きな「差」を持つ暇というか猶予(余裕)というか、その”時間”があまり許されない状況において、そこに差し挟まる「こころ」、感情というものは、普段よりもかなり少ない様に思ったから。

何かを「そうしなければならない」という理由と目的が明確にあって、それに対し、あーだこーだ言う隙が無いという表現ができる。勿論、そこに意識的にこころを差し挟んでしまう事だって可能ではある。

その”忙しい”という状態が生まれるから、有名な「心を亡くす」という言葉があるのだと思う。


こころが挟まることは、そこに幾らかの隙間があるからだと思う。

それ以外に飛び出してくる想いは、こころというより肚からの叫びなんじゃないかと思う…よく分からないけど。

・・・

差し挟むことなく動作へ直結するその動きは迅速で、あまりズレを作ることなく目的へ近づいていく事ができる。時間のズレを作ることは、色々なことを思案しだしたりする”言い訳”のようなものを多く作り出すことにもなっている。

だけど、書いていて感じたのは、たとえこういう形であったとしても、それでも情報がある限り、その記憶を引き出してそこに想いを付けることは”可能”ではあるし、可能どころか通常人はその様なことをしてしまうんじゃないかと思った。

現時点では、私はそれが”情報”を複雑にしている部分があるように感じていて、人は何かを経験した”その時”に自分の心を発生させるだけでなく、過去の情報までも、現在地点から思いを作ってしまうのだと思った。


その様に色々を分けて考えてみると、心というものの中身は様々な状態が含まれていて、恐らく一般的に使われている、捉えられているニュアンスの”こころ”の使い方というのは、かなり少ないケースでしか発生していないのかもしれないと感じた。

使い方の定義など勿論ないのだけど、なんとなく(現在の)私の中では、心というのは、”新鮮なもの”と感じているようだし、過去の情報に対して”湧いた”ものは、そこに湧かせることができるというのは、心が”情報的なもの”という風に感じたものだから。

私は心を、今ここでは”感情”を思って書いていて、その感情は、過去に付けることもできるのだけども、(本来は)現在のことに発生するものだろうという事を感じていたものだから。


いやもっと言うと、過去だ現在だと頭に浮かぶままに、一応分けた表現をしているけれど、どれもこの「現在」という地点でしか思うことも考えることも出来ていないのだから、すべて「現在・今」という事しかないわけで。

となれば、すべてはこの”今”に感じるている事になるのだから、「じゃあ結局はいいんじゃん」という結論になって、身も蓋もない話になってしまったのだけども(笑)

”過去”と名のついたモノも、それを現在の場所でしか観ることはできなくて。観測するのは過去も未来も全てがこの今現在しかない。本当は、そんな区切りのないものを、”呼び方”を付けてしまったから区切られた空間だという事に気づいたら…。

直線的な時系列でなく、世界はいつでも呼び出し可能なすべてのものが、今の空間にあることになるんだな。

世界は、自分が分かった様に区切られている。


オシッコの頻度、量が多いため、高吸収タイプのトイレシートに替えて、その活躍に喜んだのも束の間…、翌日には粗相が始まった。

恐らくシートの色が今までと違うことに因るものと思う。炭入りで黒っぽい色、今までの色とは大きく異なることが、犬にとっては迷うことなのかもしれないと思った。

犬の”目”にはなれないから、そのシートをしばらく眺めて「どんなふうに見えるかな…」と私の様子に気づいた主人に話す。

「オレはね…」

主人は自分が想像した考えを話してくれる。

私が幾つか考えたうちのその一つと同じだった事、そして全く別の主人の考えを聞いた時…、

『あー、そうか。どれにしてもそういう事なら、やっぱりあの時はかなりきつかったんだろうね。少し”良い状態”でいるという事は、この子の感覚がしっかりと働いているということだ…。”うまく出来てしまった”というのは、こっちから見れば”良かった”ことだったけど、この状態(失敗)の方が、この子の判断(働き)が利いているということになるね』

様々な考えで見てみると、目の前のことを簡単な成否では見れないことを感じた。(勿論、本当にそうかどうかは今は分からない)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!