あいしているよ

「愛するもの」の不在


「誰も分かってくれない」とか、
「あなたには分からない」と、
決めつけているのは、紛れもなく僕のエゴだ。

愛の流れの中で、イヤイヤと駄々をこねている幼いエゴ。
思い通りにいかないと拗ねている。

エゴって悪者扱いしてしまいがちだけど、
どうやら、本当は何かを守ろうとしている小ちゃな妖精みたいなもの。

言いたいことを上手に表現するチカラを持っていないもの。
それでも、一生懸命に大切なメッセージを送ってきている。

まっくろくろすけを想像してみる。
彼らは空き家に住み着いて、部屋の中にすすを残していくけど、
エゴは心の中のすすを舞い上げて、
本当はそこに存在するはずの主人の帰りを待っているのでは?

どんなに子供っぽい態度だったとしても、
それを「うんうん、、、そうか、そうだったんだね。」
いいとか悪いとか関係なく、ありのままを受け入れてほしいのでは?

すすを舞い上げて、気づいてほしいと無我夢中になっている。

このスペースに足りないものを。


「愛されたい」という悲痛なほどの欲求は、
「愛するもの」を不在にしているから生まれてくる。

自分の外に置いていた「愛の存在」を内側に迎え入れよう。

幼い頃の記憶欠片が、愛を外に求めようとしてしまうけれど、
僕の中に愛がいれば、どこを見渡しても世界は愛。

目の前に広がる世界こそが、僕らがもっとも愛する宇宙。

生命であることを感じよう。

陰と陽の回転を。

心の中心に、愛の存在を。

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
ひたすら進め。

ニーチェ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?