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Red Chestnut考察

レッド・チェストナット(Red Chestnut)

科属/トチノキ科トチノキ属
学名/Aesculus carnea
和名/ベニバナトチノキ
花期/5月

12-7-9選択法/セカンド19:毎日の生活で起こる感情の起伏を表すエッセンス
7グループ選択法/恐れや心配のある時に
製造法/煮沸法:できるだけ多くの木から満開の花房を摘み取る

人の心配をせずにはいられない人に。
自分の心配をやめても、愛する人のためにしきりに気をもみます。
良くないことが起こるのではないかと取り越し苦労をすることも多くあります。

エドワード・バッチ著作集収載「12ヒーラーズとその他のレメディー」BABジャパン)

レッド・チェストナットのエッセンスを初めて飲んだのは、2011年の秋。
フラワーエッセンスを学ぶ仲間の自主勉強の場「セカンド19勉強会」で、私の課題エッセンスになったのがきっかけでした。
周りで起きる物事もすべて自分自身のこととしてとらえようとする私にとって、「利他的な態度」を意味するレッド・チェストナットは、どちらかというと縁がなさそうなエッセンスです。
それなので、くじで課題エッセンスを引き当てたときに(う〜む。。。)とうなってしまいました。
自分の中でレッド・チェストナットに共鳴するものが思い当たらなかったからです。

振り返ってみると、個人セッションの中で、私がレッド・チェストナットをお出ししたことが、過去に2例ありました。
ひとつは、「娘にエッセンスを選んでほしい」という母の友人の依頼で。
もうひとつは、いじめに遭って登校拒否になってしまったお子さんを心配するお母さまの相談で。
いずれも、当事者のお子さんにではなく、お母さまのほうにレッド・チェストナットを飲んでいただいたのです。

親と子。
つながりの深い人間関係でレッド・チェストナットが導かれるのならば、私も自分の親や家族に対して何か見直すところがあるのかな?と思いながら、エッセンスに取り組むことにしました。

エッセンスと取り組んでいる期間中のこと。珍しく弟から電話が入りました。
普段はメールでやりとりをしているので、電話で連絡を取り合うのは滅多にないことなのです。
(何だろう?)と思って電話に出ましたが、弟の声がありません。
「もしもーし」「おーい!」と叫んでも応答がないのです。
そして、じっと耳を澄ますと、カチカチという車のウィンカーらしき音が聞こえてきます。
(どうしたんだろう……)と、一気に私の中では不安が芽生えました。
交通事故に遭ったのではないか、不審者に拉致されて車の中から必死に助けを求めて電話をかけてきたのではないか……。
いろんな悪い想像が頭の中を巡りました。
電話口からは一向に何の反応もないので、これ以上つなげておいても意味がないと判断、電話を切ることにしました。
そして、急いでメールを打ったのです。
「今、着信が入ったけれど、何かご用ですか〜?」と平静を装った文面で。

メールを送った後も、ずっと悪い想像ばかりが膨らみます。
父が事故に遭ったときに受けた第一報の記憶もよみがえってきました。
あの時も、いろんなイメージが連想されて、結果的に一番最悪な結末を迎えたんだった……。
そんな苦い記憶を噛みしめながら、これ以上ネガティブなイメージを弟に送り続けるのはいけないと気づいたのです。
そこで、意識してポジティブなイメージを持つようにし、弟が安全で安心であることを願うように思考をコントロールしていきました。

しばらくして、弟からメールが入りました。
「ごめん、車のサイドポケットにケータイを入れた時に、発信ボタンを押したみたい」とのこと。
なんだ、よかったぁ……と胸をなでおろすと同時に、これが、レッド・チェストナットのネガティブな状態なのだと知りました。
大切な人を思うあまりの過剰な心配は、不安を増長させてネガティブな現実を引き寄せる恐れすらあるのです。

バッチ博士がレッド・チェストナットを発見したのも、個人的な経験がきっかけでした。
博士は、薪を切っているときに手を滑らせて、斧で手首を深く切ってしまったのです。
そのとき周りにいた人のうろたえて取り乱す様子で、博士はよりいっそう痛みと不安がかき立てられ、肉体的な傷よりも精神的な痛みに苦しんだといいます。
そこから、自分のケガに対するレメディーではなく、周りの人のためのレメディーが必要であると感じたのです。

なるほど、これがレッド・チェストナットなのだ……と感じた私は、勉強会で自分の愚かな取り越し苦労の話を発表しました。
エッセンスを十分に理解したわけではないと感じていましたが、今回の課題はひとまず終了したのだとみなしていました。
ところが、そうではなかったのです。
課題エッセンスを終えて、セルフ・トリートメント用に選んだエッセンスが、何とレッド・チェストナットでした。

非常に興味深いことなのですが、再びレッド・チェストナットと取り組み始めて、またもや弟からの着信履歴が入りました。
前回のことがありますから(笑)、今度は焦らずに「着信があったよ〜」とメールを送信。
すると、またもや「操作ミスで発信したみたい、気にしないで」との返事が入ってきました。
レッド・チェストナット期間中に同じ出来事が続けて起こるなんて、面白いですね。でも、今回は何の不安も抱かずに落ち着いて対応できたのです。

同じ出来事が立て続けに起こるという経験はありましたが、これがレッド・チェストナットの理解を深めるかというと、そういうわけではありません。
う〜ん。いったいどんな意味があって再びレッド・チェストナットと取り組まされているのだろう。
目下私の心を悩ませているのは、他人ではなくて自分自身のことなのに……と、ずっと考えていました。
その結果、よりしっくりくる仮説を思いついたのです。
「利他的な態度」を意味するレッド・チェストナットですが、自分自身と、それを見つめる“もうひとりの自分”との関係性に当てはめることができるのではないか……?

私には、物事に直面したときに、直面した自分を俯瞰的に眺めて「大丈夫か、自分!?」と心配したり励ましたりする“もうひとりの私”がいます。
最近その“もうひとりの私”が、私に対して不安や心配といったイメージを伝えてくるのです。
具体的には、実際に直面している経済的な問題を連ねて「うまくいかないんじゃないか?」とささやいてきます。
きっと彼女(彼?)は、私のことをとても心配してくれているのでしょう。
別の見方をするならば、エゴが干渉してきているということなのかもしれません。

ただ、個人的には、自分自身の中にある多面性は、決して敵対するものではないと考えています。
魂も、ハイヤーセルフも、エゴも、すべては“私”に幸せと成長をもたらすためにそれぞれの立場で役目を果たしていると思うので、エゴが「ブレーキをかけている」のではなく、「過剰な心配をしてくれている」のだと解釈したいのです。
この解釈ならば……レッド・チェストナットが「愛する人(自分)のために心配せずにはいられない」状態になっている、“もうひとりの私”=エゴに働きかけていると考えることはできないでしょうか!?

そんなふうに思いついた日の朝に、とても印象的な夢を見ました。
私が国定自然保護区の端にある大きな一軒家に引っ越しをした夢で、知人のガイドと連れ立って森の中を散策したり、湧き水をくんで家に持ち帰ったりしていました。
そして、家の寝室の窓から外を眺めると、紅葉した樹木が眼下一面に広がり、真っ赤に色づいた葉が、日の光に照らされてキラキラと輝いていたのです。
それはもう、幸せに満たされた夢でした。
(今思うと、葉の形はトチノキのものだったような。赤く色づいていたのはレッド・チェストナットにつながるシンボルなのかしら?)

この仮説がレッド・チェストナットの新たな解釈につながるかどうかはさておき、私にとっては内面の協調や統合という形で働いているように思えました。
愛する者の幸せを願うのは、それが自分自身に対しても他者に対しても愛のエネルギーを注ぎます。
過剰な心配は愛ではなく、不安のエネルギーを注ぐことになるのです。
その区別をしっかり理解して、愛と調和に満ちたエネルギーを、自分にも周りの人達にも注ぎ続けていきたいですね。

いただいたサポートは、人々や地球の癒しと成長に貢献する人やモノ・グループへと循環させてゆきます。ひとしずくの水が大海へと繋がっていくように、豊かさのエネルギーをここから世界のすみずみにめぐりめぐらせていくためのファースト・ステップに選んでくださるのだとしたら、大変光栄です💫