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コペルニクス的転回〜Red Chestnut〜

レッド・チェストナット(Red Chestnut)

科属/トチノキ科トチノキ属
学名/Aesculus carnea
和名/ベニバナトチノキ
花期/5月

12-7-9選択法/セカンド19:毎日の生活で起こる感情の起伏を表すエッセンス
7グループ選択法/恐れや心配のある時に
製造法/煮沸法:できるだけ多くの木から満開の花房を摘み取る

人の心配をせずにはいられない人に。
自分の心配をやめても、愛する人のためにしきりに気をもみます。
良くないことが起こるのではないかと取り越し苦労をすることも多くあります。

エドワード・バッチ著作集収載「12ヒーラーズとその他のレメディー」BABジャパン)

バッチ博士の記述からもわかるように、私たちは“レッド・チェストナット状態”と聞くと、人の心配ばかりしている心理にあてはめて考えます。
しかし、私はバッチ博士がレッド・チェストナットのエッセンスを発見したいきさつに関して、ずっと疑問を抱き続けていました。

エッセンス発見のきっかけは、バッチ博士が斧で手首を深く切ってしまったという事故。
そのとき周りにいた人のうろたえて取り乱す様子で、博士はよりいっそう痛みと不安がかき立てられ、肉体的な傷よりも精神的な痛みに苦しんだそうです。
そこから、自分のケガに対するエッセンスではなく、周りの人のためのエッセンスが必要であると感じた……とされています。
しかし、大ケガをした数日後に発見して生成したという新しいエッセンスを、果たして博士は周りの人たちに飲ませて、自分の心身が和らぐのを確認したのでしょうか?
私はそうではないと思うのです。

バッチ博士の後半のエッセンス(セカンド19)は、1935年に半年弱の期間で一気に発見されていきました。
博士は、新しいエッセンスを発見する直前に、そのエッセンスが助けとなるような強烈な症状に襲われたといいます(悪性の吹き出物に覆われたり、顔や膝下が腫れ上がったり、髪の毛が抜け落ちたり、目が見えなくなったり、出血が止まらなかったり!!!)。
そしてそれは、ジュリアン・バーナード著の『バッチのフラワーレメディー 植物のかたちとはたらき』によれば、「平均すると、ほぼ毎週1種類のレメディー(エッセンス)を発見していたことになる」というのです。
自らがその症状を体験し、対応する新たな植物を発見し、エッセンスを作って服用することで症状を克服していく……それが毎週続くとなれば、精神的・肉体的な負担はいかほどのものでしょう。
しかし、切羽詰まった状態の中で、博士は自分自身の治療目的のほかに、生成したエッセンスの有用性を、自らを実験場として確かめていたはずです。
そう考えると、レッド・チェストナットのエッセンスも、おそらくまずは自分で服用して、その効果のほどを見極めていたのではないでしょうか。
残念ながら、当時の記述がありませんので、想像するしかありませんが。

ただ、そう仮定したときに、レッド・チェストナットのはたらきとして、まったく逆の解釈が成り立ちます。
「人から過剰な心配をされることで、精神的な苦痛を覚えているときに」

たぶん、バッチ博士は最初、このような目的でエッセンスを服用したはず。
そしてその後、根本的な原因に当たる、心配のエネルギーを注ぐ側を癒すべきと考え、「人の心配をせずにはいられない人に」と記述を変えていったのでしょう。

もし、レッド・チェストナットが選ばれたのなら、まずはセオリー通りに「自分が誰かを過剰に心配していないか」を考えてみてください。
それで思い当たるものがない場合は、逆に「誰かが自分を過剰に心配しているのかも……」と考えてみましょう。
そうすると、親やパートナー、親友の顔などが思い浮かぶかもしれませんね。

でも、心配のエネルギーを降り注ぐ張本人を見つけて、その人にレッド・チェストナットを飲んでもらう必要はないのです。
バッチ博士が最初にそうしたであろうように、自分がレッド・チェストナットを用いること。
自らの苦痛が癒されると、「私は大丈夫」という自信のエネルギーに包まれ、その変化によって相手にも安心感を与えることができるのですね。

レッド・チェストナットには、「人の心配ばかりしている」という心理状態がステレオタイプのようにつきまといがちですが、見方を変えるならば、また別のはたらきに気づくことができます。
そしてそれは、バッチ博士も常に考えていたことなのだろうと思えるのです。

いただいたサポートは、人々や地球の癒しと成長に貢献する人やモノ・グループへと循環させてゆきます。ひとしずくの水が大海へと繋がっていくように、豊かさのエネルギーをここから世界のすみずみにめぐりめぐらせていくためのファースト・ステップに選んでくださるのだとしたら、大変光栄です💫