「巡り結ぶ、石の言霊」こぼれ話
私は基本的に、自作のあとがきは書かない奴です。(文庫の解説とかはめちゃ好きです)
ただ今回だけは、「ひかりのいしむろ」さんにこちらの記事で取り上げて頂けました。
なので少しばかり、この抽象的過ぎる作品の「こぼれ話」を書こうと思います。
「巡り結ぶ、石の言霊」
最初の文は、突如、頭の中に響きました。
巌のもの。揺らがぬもの。そは永遠を過ごすもの。
水のもの。歪むもの。そは揺らぎゆき清冽なもの。
私の文章は基本的に、こんな感じで突然、頭に振ってくるワンフレーズがもとになります。
実のところ、この話もそうでした。
もちろん、当初は訳が分かりません。
でも書き表わしていく内、それが「鉱物アクセサリー」の「ひかりのいしむろ」さんに繋がり、この詩のような文章は生まれました。
書いているうちに浮かんできたのは、二人の女性――多分、私の中の「ひかりのいしむろ」さんのイメージ――です。
ついでに縄文仲間(笑)であるあゆみさんのイメージも加わり、一人は縄文時代、勾玉のような鉱物を削る仕事、要するに「形作る仕事」をする古代の女性。
もう一人の「石を結び飾る人」は、完全にあゆみさんのパートナーさんのイメージで書きました。
私にとって、この話は古代と現在の二人の女性の話であり、連綿と続いてきた不思議な人間の営みの話です。
古来より飽きることなく鉱物を愛で、そこに宿る神や、宿ったエネルギーを意識する不思議な営み。
そして、ごつごつとした岩のままではわかりづらいそれを、装飾品に仕立てる昔からの職人たちの存在。
文化は変わり、時代は変わる。それでも、受け継がれてゆく「巌のような」伝統。
いえ、伝統とさえ呼べない、本能的な自然への崇拝の念。
それに対して変わりゆく「人」が、流れてゆく「水」になったのは、自分でも正直な話、想定外でした。
でも確かに、水は石を削ることができます。
人と同じように。人よりも、より優しく柔らかく、絶えることもなく。
だから、人と水が私の中で同じになったのでしょう。
鉱物と人が繋がるために、歴史の中で誰かがずっと仲介をしてくれていました。
そういう人々の末裔が、きっと「ひかりのいしむろ」さんのような存在なんだろうと思います。
そうそう。
この話は、実のところ「noハン会」直後に書いたお話です。(本当に、当日帰っている電車の中で出てきた言葉なんです)
それが、不思議と「ひかりのいしむろ」さんの節目になるであろうnoteを書かれた後、お二人への「ささやかなエール」として公開することになるとは正直思っていませんでした。
――偶然って、面白いですね。
私の書く抽象的な話は、あらゆる解釈ができると思います。「そうであってほしい」と思って書いています。
(もっと具体的に書いていきたいのですが……修行が必要そうですね……)
どうぞ、著者である私の言葉に振り回されずに、読んだ方のイメージで、この物語を受け止めていただけることが一番良いと思います。
読んでいただきありがとうございます。 頂いたサポートは、より人に届く物語を書くための糧にさせていただきます(*´▽`*)