少年たちの星月夜【1】
その日、美術準備室は、今までに例を見ない記録的な夕焼けで一面が真っ赤に染まっていた。
最近は天気予報を見るたびに「記録的」の三文字が画面を泳いでいるので、驚くこともなくなった。
けど、この日の夕焼けは俺たちにとって、稀に見る光景という意味で、確かに「記録的」だったんだ。
準備室の棚には、「美術」という混沌の世界を生徒たちに教えるためか、有象無象にモノが収納されている。
すでに卒業した生徒の作品はもちろん、年代物の美術品集。
静物画のモデルである食品サンプル。
ずいぶん昔に生徒から取り上げたらしいモデルガン(BB弾が横に大量においてある)。
それだけじゃなく、何故か箱入り一升瓶の泡盛まで、地方の中学校にしては異様なまでにカオスな世界が詰め込まれていた。
そんな謎だらけの部屋を根城にできるのは、俺たち美術部員の特権だ。
だけど、他にも数人いる美術部員たちは皆、真面目に部活動と向き合っている。
他の連中が、ここを訪れることは滅多にないので、実質、二人の秘密基地と化していた。
ここで、部活動に真面目なのと、美術に真面目なのとは話が違うという持論を展開しよう。
俺たち二人が見ていたのは学校が教える、枠にはまったイギリス庭園のようにきれいな「美術」じゃない。
アフリカのジャングルのように暗く底のない、時には、狂気さえ作品に詰め込むことのできる「美術」の世界だ。
俺が、枠を超えた「世界」に気が付いたきっかけは、一冊の写真集だった。
遥かアラスカで撮られた、一枚の写真。
地面から空に突き上げる白い木。
クジラの骨。
風化して、いつか地面と一体になることを無言のまま肯定する生物の壮絶で静謐な最期。
あの写真に、どうして共感したのかわからない。
ただ、あの静けさが耳に届いたような気がした瞬間、つまらない世界を構成する一番頑丈な鍵が、その写真をきっかけにして、壊れた。
その先に、俺は新しい世界を見つけた。
何かを描きたいと、作りたいと、写したいと思う果てのない世界。
圧倒的に自由で、絶望的に孤独。
そのくせ人に見られなければ、評価されなければ存在できないところ。
安穏な集団生活で生きてきた俺は、それを見せつけられて心底怖かった。
「孤独」は、親や周囲に依存して生きる中学生(俺)にとって、命がけだ。
けど、それでも、あの写真のような世界を、自分の手で形にしたいと心から思った。
たまらず、命がけの一歩を踏み出す。
写真部のない学校で、選べたのは美術部だ。
そこで俺は、同じタイミングで入部届を出したあいつと出会う。
最初から、変な奴だった。
部活で絵を描いている様を見たことはなく、社交性もあまりない。
ただ顧問のいない時間はジッと美術の教科書を読んでいる。
顧問に言われて渋々描く絵は、お世辞にも上手とは言えない。
「僕ね、絵はどうしても下手なんだよ。」
食品サンプルのデッサン中、ポツポツという雨音のに静かな声で、あいつは唐突に声をかけてきた。
「じゃあなんで美術部に入ったんだ?」
「それは……これ」
鞄から出された美術の教科書。
わざわざ付箋まで貼り付けられたページを、俺は見せられた。
それは、ゴッホの星月夜だった。
「僕はね、ゴッホの星月夜みたいな文章が書きたいんだ」
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