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少年たちの星月夜【4】

俺たちは、胸打たれた心地で真っ赤に染まった美術準備室に見入った。

別の人間がここにいたら、目にも留めないようなただの夕焼けだっただろう。

けど、俺たちは違った。

世界が、物凄い力強さでこぶしを振り上げてきたような、静かで圧倒的な衝撃を受けていた。

ああ、世界はこんなにも美しくて大きい。そして俺たちは、あまりにも小さくて無力だ。

その絶望の、なんと心地いいことか。

俺のちっぽけな悩みは、なんだか笑い出したくなるほど簡単に吹き飛んでしまった。

・ ・ ・


「ゴッホの星月夜」は、こいつの世界の象徴だ。
ユーモラスで不気味。不安定で魅力的。色鮮やかで薄暗い。

それが、こいつの内側にある世界であり、こいつから見た世界なんだろう。


――じゃあ、俺は?


いつものあいつの言葉が聞こえる。

ただ、今度の言葉は、少しだけ違う。


「僕は、星月夜みたいな文章を書くよ。世界がどれぐらい歪で酷くて、それでいて美しいかを、書いてみたいんだ。」


真っ赤な夕焼けに染められた、生き物の体内のような美術準備室。
もしここにカメラがあったなら、俺はこの風景を写真として納めていただろうか。


――いや、きっと無理だろう。

だから、そっと瞼を閉じる。

壮大な夕焼けは、一つの終わりを俺たち二人に唐突に突き付けてきた。

もう、俺たちは子供ではいられない。

世界が何たるかを知ってしまった俺たちは、もう昨日と同じ自分には戻れない。

この夕焼けは「魔的」だった。この夕焼けは「非日常」だった。

だからこそ、俺たちは現実を見る。


俺たちは、人間は、世界は、この夕焼けを写真なんてちっぽけなものに切り取っては置けないのだ。

それは実に「記録的」な天啓だった。
俺は、こいつと出会って初めて、心の中で燻り続けている想いを口にした。


「じゃあ、俺は写真を撮るよ」

「苦手じゃなかったっけ? 写真を撮るの。」

「まあな。けどさ、結局何言っても逃げられないんだ。お前は文章から逃げられないし、俺はきっと写真から逃げられない。俺は死ぬまでに絶対に満足する写真を撮らなきゃ死ねないだろうし、お前だって「星月夜」みたいな世界を書かなきゃ死ねないんだろ?」

「ああ……。そう。すごいね、同じことを思ってたんだ。僕たち。」

二人で笑い合いながら、俺たちはもう一度、夕焼けに目を向ける。

俺たち二人に、世界があっさりと終ることを告げるため、ただ一瞬だけ燃え上がった夕焼けが、終わりを迎えていた。


夕焼けは終わる。藍色が滲む空に、星が少しずつ瞬き始める。

「俺たちの星月夜、だな」

「うん……、そうだね。」

その後、俺たちは普通の受験生にはなれなかった。

小学生で平等にまかれた種は、もう芽吹かない。

けど、俺たちは根を伸ばす。

深く暗い地中に向かって、〈表現〉という世界に魅了された俺たちは、不安定な将来へと一歩踏み出した。


いつか、「ゴッホの星月夜」のような、自分だけの世界へ辿り着くために。




「少年たちの星月夜」第一話はこちら


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