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【読書記録・気になる一文】「奇想の系譜」 / 辻惟雄

ここにあげた六人の画家は、そうした<主流>の中での前衛として理解されるべきである。異端の少数派としてその特異性のみを強調することは決して私の本意ではない。

 2019年2月9日(土)から、東京都美術館で「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」が始まることから、そのもととなった書籍を手に取ってみました。

「奇想の系譜」 / 辻 惟雄

 1968年 (50年前!) の美術手帖の連載に筆を加えて書籍化されたもので、「江戸時代における”表現主義的傾向”の画家 ー奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特色とする画家ー の系譜をたどった」書籍です。

 岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳 の6名について、各作家の生い立ちや作品の特徴について、多くの図版を用いて丁寧に説明されています。現在は著名な6名の画家ながら、この書籍が発刊された当時は、美術史の脇役であったというのが驚きです。

 「奇想」=奇なる発想 について、辻氏は「眠っている感性と想像力が一瞬目覚めさせられ、日常性から解き放たれた時の喜びである。わたしが「奇想」とよぶのは、そのようなはたらきを持つ不思議な表現世界のこと」と述べています。

 一番はじめに抜粋した文章は「あとがき」での辻氏言葉です。「奇想」という言葉の響きと、ここで取り上げられている作家の作風から、当時の「異端」のように捉えてしまいますが、そうではなくこれらの作家は「近代絵画史の<主流>の中での前衛」だといいます。新しい表現や内的ビジョンの表出、批判精神など、当時の(同時代性という意味ではない)”現代アート”とも捉えられるようにも感じました。

「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」では、本書の6名に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えた8名の作家が紹介されるようです。本書の図版はモノクロなので、展示で彩色画がみられるのが楽しみです。)

 一方で、本文の中で最も印象に残ったのは下記の伊藤若冲に関する記述。

狩野派の手法をいくら自分のものにしても、しょせん狩野派のワクを超えることができない、宋元画を学ぶにしかず…というわけで、宋元画をおびただしく模写したが、また考えてみるに…結局のところ、宋元の画家が<物>に即して書いたものを又描きしたのではかなうはずがない、自分で直接<物>に当たって描くにこしたことはない、(中略)ニワトリなら羽根の色も多彩だし、何よりも身近に求められる…。
”今のいわゆる画は、どれも画をかいたもので、物を描いたものを見たことがない”

 一昨年は動植綵絵が公開され大きな話題となった伊藤若冲が、「ニワトリ」を多くモチーフにした理由についての記述ですが、組織の中でのポジションや既存のシステムの中での”常識”に満足せず、自分の理想を追求していく様子が感じられます。一方で、<物>に即しつつも、写生としては不正確であり

彼のいう<物>に即しての観察写生とは、結局のところ、そうした固有の内的ヴィジョンを触発させるための手段にすぎなかったのではなかろうか。

といったところもまた印象的な一文でした。


 2015-2016年に森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」の中でも、この「奇想の系譜」の影響は多く言及されていましたが、本書を読んだ後に同展での村上氏の造形を見直すと、この書籍に登場する画家たちの特徴的な造形が消化されて取り込まれていることが感じられました。

(「村上隆の五百羅漢図展」 @森美術館 の展示風景)

また、

 「奇想」の中身は、「陰」と「陽」の両面にまたがっているように思われる。
 「陰」の奇想とは、画家たちがそれぞれの内面に育てた奇矯なイメージの世界である。(中略)当時のわたしが興味をそそられたのはおもにこうした「陰」の奇想の面であり、それを紹介したのが本書の意義でもあり、反響も当然この面に集った。
 これに対し「陽」の奇想とは、観客へのエンタテインメントとして演出された奇抜な身振り、趣向である。(中略)この面の「奇想」は、ひとつには日本美術が古来持っている機智性や諧謔性と深くつながっているように思われるからだ。

といった「奇想」の両面が表されているようにも感じられました。

 「奇想」の画家のイメージが少し変わり、なんだか難しそうな”江戸の絵画”が”現代”の感覚ともつながるように思える書籍でした。

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