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「恋」と「愛」

現在、外ではけっこう強めの雨が降っています。我が家の古い屋根を
雨粒が叩き、激しい自然のリズムの中、これを綴っています。

今回は、私が考える『恋』と『愛』について綴りたいと思います。
過去にここで綴ったとおり、私は長いこと体調を崩しておりまして、
『恋愛』の経験は決して多くはないのですが、その数少ない経験から
感じた、”今の” 私が思うことを、ちょっと恥ずかしいですが綴って
みたいと思います。 どうぞ、笑いながらお読み下さい。
話は男女の恋愛にとどまらないことをお断りしておきます。。。

また、文中に間違ったことがあれば、ご指摘願います。

私がまだ病気になる前、『彼女』と呼べる存在がいなかった時、
恋と愛に関して、勉強(というほど堅くはないのですが)したことが
ありました。結果、辿り着いたのはギリシャ哲学のようなものでした。

ひとくちに『愛』と言ってもさまざまな形があり4つに分類されます。
『エロス=性愛』と、その対極に位置するとされる『アガペー=神の愛』
そして、その中間に位置するものとして『フィリア=友愛』があり、
『フィリア=友愛』をより『アガペー=神の愛』に近づけたものとして
『フィラントロピア=博愛』があるとされていました。

    (これに関して間違いがあればご指摘下さい)



ティーンエイジだった私にとってはもちろん、エロス(笑)が先に
来ていたので、神の愛とか友愛とか博愛なんてものにはピンとくるものが
ありませんでした。ギリシャ哲学のようなもので彼女が出来るなら
苦労はしないのですが(笑)、当時必死だった私はとにかく『愛』という
ものが欲しくてたまらなかったのです。子供でした。。。

ふとしたことから高校1年の時に念願の『彼女』という人ができました。
私は私なりに『愛した』つもりでした。エロスはともかくも、彼女の
存在にときめき、常に気を配り、尽くしたつもりでいました。
その人もそれなりに応えてくれたと記憶しています。ところが、やがて
それは壊れます。子供の恋愛と言えばそれまでですが、それには
今思えば原因があったと思い出されます。私は彼女を愛していたのでは
なく、彼女に『恋して』いたのです。

これを読まれる方の見解はそれぞれだと思いますが、私の場合は
このように考えています。

『恋とは求めることであり、愛とは与えることである・・・』

つまり、恋愛とは『求め合い、与え合うこと』となります。

上記の私の子供の頃の恋愛は『恋』に過ぎなかったのです。
思えば当時の自分は相手に『求める』ばかりで、何も与えては
いなかったのではないか?『恋愛』になっていなかったのではないか?と。

男女の間のことだけに限らず、さまざまな人間関係にしろ仕事にしろ
他者と自分との間にこの恋愛状態が成立した時に、はじめて物事が
調和し、スムーズに展開していきます。ところが私の場合、往々にして
他者に求めるばかりで、『与える』という視点がありませんでした。
私は『相手を受け入れる』という観念はあっても、与えるという所まで
達していなかったのではないか・・・?そう感じてなりません。

つまり私は他者に恋するばかりで、愛そうとはしていない・・・と。

高校1年の時の『恋』以降も幾つか『恋愛』をしてきました。
しかし、どれもエロスにとどまり、私はそれ以上の『愛』を相手に
与えることは出来ませんでした。

そして、私は病気に罹りました。先日綴ったパニック障害です。
これに加えて拒食も始まりました。ここで見えてくるものがあります。
それは『自分を愛する』ということです。愛とは与えるものとするならば
自分への愛とは、自分の本質的な性格・性質が生かせる場を、自分に
” 与えてあげる ” ということではないだろうか・・・?

ある日、ここ note に於いて、ある方とその点についてお話をしたことが
あります。自分の本質を生かせる場は仕事や人間関係の中でも持てる
わけです。ですから結局は『自分を愛すること=他人を愛すること』に
つながっていくのではないか? 私の病気が治らないのは『自分を
愛していないからではないか?』と感じるようになりました。

振り返ってみても、私は自分に厳しいというよりは冷たく、何をやっても
満足せず、自分に対し否定的で、決して認めようとはしませんでした。
今でもその名残はあります。どうしても自分を受け入れることさえ出来ず、
認めて愛してやることができないことが多いのです・・・。食べ物が
喉を通らないのも、自分を労ってやることができない冷たさから来ている、
そのように感じることがあります。生きてゆく上で、食べることは決して
欠かせない行為です。しかし、自分に冷たいとその行為を無意識のうちに
してしまうのです。病気の根本はそこにあるのでは?と感じはじめました。

人を思いやることはできても、愛することまでできない、なぜならば
自分を愛していない人間に、他人を愛することはできないからです。



病気に罹り、約四半世紀、辛いことばかりでしたが、その中で『奇跡』が
起こったことがありました。1998年春のことです。私は遠く札幌の人と
恋に落ちました。これが現在の私にとっては最後の恋愛です。。。
例によって、私はその人に『恋』をしました。その『恋』の力は凄まじく、
私にとって、それまで不可能だった電車に乗ること、仕事をすることを
可能にしてくれました。彼女が来てくれる時は羽田空港まで迎えに
行かなくてはなりません。1年前の私にはアメリカに行くくらいの感覚で、
とてもとても都内まで行くなんて、ましてや人の多い東京に行くなんて
不可能なことでした。しかし、『恋』の力はそれを可能にしてくれました。
私も北海道まで飛行機に乗って行くことができたのです。。。

空港まで迎えに行き、モノレールや電車に乗り、オールナイトの映画を
一緒に観る・・・。夢のようでした。まさに『奇跡』だったのです。
そしてもっとすごい奇跡は、彼女は『愛』を知っている人でした。
彼女は、私に何も求めませんでした。ひたすら『与えてくれた』のです。
一緒にごはんを食べても、映画を観ても ” 私が出すから ” と、私に
お金を使わせませんでした。フィラントロピア=博愛を持ち合わせて
いたのです。エロス=性愛だけの私はとても愚かでした。

やがて、私も彼女に感化されて行きます。彼女のためなら何でもする!
自然とそのような人間になりました。彼女と行き来していた3年間、
私は仕事を一日も休むことなく、電車通勤も普通にこなし、どんな状況にも
耐えることができたのです。正直に書けばセックスの時も悦ばせることに
夢中になりました。やがて結婚の約束もしました。子供の名前まで考えて。

しかし、21世紀に入った2001年春、私の病状は急激に悪化しました。
電車にも乗れなくなり、仕事も休みがちになりました。そこでヤツが顔を
出し始めました。自分に対する冷たさです。無力になってしまった自分に
容赦なく私は冷たい言葉を浴びせ続けました。それでも彼女は結果的に
4年間も待ってくれました。にもかかわらず、私の病状は悪化の一途。

結局、2005年に別れることとなりました。彼女と別れてからの私は
ますます自己嫌悪に陥り、自分を冷たくあしらってゆくようになりました。
翌年には可愛がってた飼い犬2匹を立て続けに亡くしました。
もっと可愛がってあげれば良かった・・・。さらに自分を嫌いになり、
一年一年過ぎて行きました。その頃からあの大地震までの記憶は今や
ほとんどありません・・・・。

その大地震があった2011年3月11日、携帯電話にメールが来ました。
札幌の彼女からでした。『大丈夫?』の一言でしたが、私は思わず
泣いてしまいました。泣きながら怖かった事に加え、済まなかった、という
意味のメールを彼女に返しました。それに対する返事はありませんでした。
とてもせつない思い出です。


私はせっかくこの彼女から『愛』というものを教わったのにもかかわらず、
自分を愛することが出来ていません。病気という現状から人に恋することも
消えかけていました。そんな時、出会ったのがこのnoteという場所でした。
ここで先日、自分の病気のことを綴りました。予想を遥かに超える暖かな
コメントをいただけました。私はそれを涙しながら読み、返事を返して
ゆきました。他者との交わりの中で、ここに於ける自己表現とコメントに
対する返事を書く行為の中で、私は少し自分が好きになってきました。

こんな俺の文章でも、感動してくれる人がいるんだな、同じ病気を、また
同じような苦しみを抱えてる人も大勢いるんだな、それを知った時、
その人たちの言葉に励まされ、感動したと言われるうちに少しずつ少しずつ
自分という人間の存在に価値を見いだしてきました。ほんのちょっと、
自分を好きになったのです。まだ自分を完全に愛してはいませんが、
確実に以前とは違う、自分の姿が見えてきました。それはここにいる
皆さんのおかげです。そして、さらに言わせてもらえば『愛』という
たいせつなものを教えてくれた、今では最後の恋人のおかげだと
思っています。

今後、私はできる限り自分に暖かい言葉をかけ、自分を愛そうと思います。
自分を愛せない人間に人を愛することはできません。私は人を愛したい。
受け入れることはもちろん、人を愛したいのです。

そのために、まず自分を愛して大切にしたいと思います。
自分を愛す=与える人間になりたいと思います。

なぜなら、求めるだけの人の所には誰も寄っては来ないけど、
与える人の周りには、きっとそれにふさわしい人が集まってくる、と
思うからです。その中に、私は『愛する人』を見つけたいと思います。

どうぞ、皆さんも愛する人を大切にしてください。。。

そして、自分を愛してください。。。


    ここまで読んで下さいましてありがとうございました。
   感情が入ってしまい、拙い文章であることをお詫びします。




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