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2014年6月24日 ~ 7月27日・任意入院


      ” ヤバい、このままでは死んでしまう・・・ ”

そう強く感じて ” 自分の意志で ” 退院してまもなく1ヶ月になります。
この1ヶ月間、結果が微塵も出なかった辛さ・悔しさと、無駄銭を
使ってしまった後悔の念、さらに自宅に戻ってもすることのない日々を
過ごし続けて、どうも調子が上がりません。そこで入院の日々をここに
綴り、自分の中で一区切りつけて気持ちの整理をしたいと思いました。
少々長くなってしまうかも知れません。ですので、お暇な時に目を
通して下されば幸いです。(気持ちの整理が付けばいいけど・・・)

今回の入院は、嘔吐恐怖(吐くことへの恐怖感)による極度な食欲の
減退からくる著しい体重減少、及び 持病 であるパニック障害、それの
根源である不安障害の軽減が目的でした。本来なら3月末に入院する
予定でした。しかし、私が入る部屋は24時間監視のPICUと呼ばれる
4部屋しかない、特別な場所であったため、なかなか空きが出来ずに
3ヶ月待たされる結果となってしまいました。しかしながら、このことは
かえって良かったと思っています。というのは、延びてくれたおかげで
このnoteという場所を知ることができ、皆さんとの交流を現在も楽しめて
いるからです・・・。


6月の半ば、自宅の電話が鳴りました。『入院の準備が整いました。24日に
なります。着替えなどのご準備をなさって、午前9時までにお越し下さい』。
病院からの電話でした。私は嬉しかったのです。入院そのものは決して
嬉しいものではありませんが、”これで治療が受けられる、3ヶ月待った”と
いった心境で、ホッとしたのを覚えています。前日までに荷物をバッグや
袋に詰め、もしネット環境があるのなら『入院日記』を毎日ここに綴ろうと
ノートPCも準備して24日の朝早くにクルマで病院に向かいました。
クルマに揺られること1時間、病院に到着。混雑する受付で『まずは診察を
受けて下さい』と言われ、診察室の前へ。20分後、診察を受けました。
これまでの病歴、家族構成、自身による性格分析、なぜか学生時代の成績まで
聞かれ、それから病棟へ向かいました・・・。


そこは・・・ は? 二重扉? 精神科?? 閉鎖病棟!? 内科じゃないの??

何と、PICUがある病棟とは精神科の閉鎖病棟だったのです!
その部屋に通され、持ってきた荷物のチェックをされました。鏡ダメ!
ライターダメ!香水?ビンだからダメ!カッター、ダメ!!常用の薬ダメ!!
ダメダメづくしです。私はガラスを割って、それや刃物で自傷行為をしたり、
人を傷付ける気は全くありませんでしたし、薬を一気に飲み干すことも
しません。ライターで火を点けることだって・・・しかし、それらは
いっさい聞き入れてもらえず、すべて取り上げられました。小学生の時に
学校へゲーム機を持って行き取り上げられたような気持ちになりました。
気付けば昼食の時間です。クルマに酔って嘔吐しないように朝食を抜いて
家を出て来た私でしたが、出された昼食はいっさい喉を通りませんでした。
空腹であったのにもかかわらず・・・。

病院まで送ってくれた父は帰り、病室に独りとなった私は、まず周囲を
見渡しました。天井には監視カメラが付いていました。部屋の向こうは
ナースステーション。看護師は女性だけではなく、体格のいい男性も
多い・・・。部屋にテレビはない。さて、ネットは・・・繋がらない。
ネットは出来ないのか・・・。noteは見られない。昼食は片付けられ、
仕方ないのでホールに出てみました。そこには様々な患者がいました。
老若男女、種々雑多・・・。ぴょんぴょん飛び跳ねてる若い男の子、
ずっと俯いている若い女の子、世間話をしている老壮年風の女性たち、
大声でわめいている太った男性、ろれつの回っていない男性・・・。
塗り絵に夢中な若い女の子に歩き回ってる女の子・・・。

そのホールの片隅に喫煙室を見つけました。空腹を紛らわせるために、
そこに入って一服・・・。その一服はガツンと来ました(苦笑)。
空腹であることに加え、種々雑多な患者たち・・・。”俺はこれからここで
3ヶ月も暮らすのか・・・” ショックがだんだんと大きくなってきました。
煙草を吸い終え、ホールに出てみると、さっきまで飛び跳ねてた男の子が
『よぉ!』と声をかけてきました。明らかに私よりは20歳くらい年下の
ガキ(笑)。でもここは精神科病棟、しゃーねーな・・・と思いつつ、
『こんにちは。今日から入りました。よろしく』と挨拶をすると、その子は
『何の病気?俺は統合失調症!』と言ってきました。私は『不安障害』と
答え、そのまま病室に戻り、親しい友人に携帯から”地獄だ!”とメールを
送りました(笑)。


さて、日も暮れかけたころ夕食の時間となりました。さすがに朝・昼と
食事を抜いています。もう食べるしかありません。出された食事を見て
またショックでした(苦笑)。食うしかないか・・・で、食べました。

で、何とか完食。自宅でなら、食後はすぐに一服なのですが、病院では
当然のことながら病室では吸えません。かと言って、食直後に動くと妙に
吐き気がするので動けず・・・。煙草をしばらく我慢して親友に電話です。
”何とか食べることができた。少し残したけど”、と。親友もまぁ良かったと
褒めてくれました。3時間後には消灯です。それまでには一服を・・・。
で、薬を服用して1時間半後くらいにようやく喫煙室まで行けるくらいに
落ち着きました。そこで一服 ( ´_ゝ`)y-~ ・・・。

そして午後9時、消灯です。話す相手もいないし、寝ることにしたものの、
なかなか寝付けませんでした。入院前は明け方にnoteへ文章をアップしてた
私です(苦笑)、そう簡単に寝付けません。仕方なくホールへ行きました。

すると真っ暗なホールにもまだ人が何人もいました。また、喫煙室にも
多くの人たちがいました。聞けば喫煙室は24時間営業だそうで(笑)。
部屋に戻り煙草を手に取り喫煙室へ。そこで煙草を吸いながら50代の
不眠の女性と話す機会を得ました。そこに聾唖の男性が入って来ました。
私はジェスチャーで何とか会話をしましたが、ぎこちないものでした。
たくさん頷いて、空書したりして一生懸命会話しました(笑)。
その晩は2時くらいに寝たと記憶しています・・・。

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翌朝、6時になって病室の電気が煌々と点りました。30分後には
ラジオ体操の曲です。もちろん!私はやりませんでした(笑)。それから
20分後に朝食です。あまり食べられませんでした。食後に薬を服用、
午前10時には体温と血圧測定です。血圧はいつも上が100行くか
行かないか・・・そんな感じなのですが、それは病院でも同じでした。
測定後に一服。それにしても精神科病棟の喫煙率の高さには驚きました。
殆どの人が煙草を吸います。それもかなりヘヴィ。チェーンスモーカーも
多かったです。しかし、この場所が自分にとって憩いの場、交流の場へと
後々変化していくことになります。

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入院3日目、朝食から3時間、大きな声で女性が入って来ました。
『お風呂ですよー!準備して下さい!!』私は慌てて着替えとタオルを
持って行きました。脱衣所には中年の女性が4人。『早く脱いで!』
その声に驚きましたが、聞けば - 介助入浴 -。彼女たちの前で全裸になり
椅子に座って入浴です。PICUに入ってる私は介助入浴の対象。
滑って転んだりしないようにヘルパーさんたちが付いているとか。
もう恥ずかしさも何もなく、痩せこけた身体を晒して入浴です。しかし、
自宅での入浴が大変だった自分には楽に洗えて助かりました。


        入院4日目でPICUを追い出される

入院4日目になって男性看護師が病室へやってきました。その方曰く、
『あなたは普通に歩けるし、そこそこ食べられるので部屋を変わってくれ』
とのこと。もっと重い人が待っているからその人を入れるということでした。
PICUでない患者はホールで食事を摂りますが、私は嘔吐恐怖があるので
それはできません。できれば一人で食べたいのです。ただ、幸いにも
移動先は個室でした。これならば落ち着いて日々過ごすことができます。
大勢の患者がいるホールで食事を摂る心配も不要になりました。。。

割と広めの部屋で安堵しました。この日から退院までここで過ごすことに
なりました。そして入浴も介助がなくなり普通入浴となりました。

しかし、問題が浮上しました。今までは毎食、部屋まで届けられて
いたものが、これからは自分でホールまで取りに行かなくてはならない。
いや、取りに行くのは空腹なので平気なのですが、問題は食後です。
食直後はできれば動きたくない。でもお膳を下げに行かなくては
ならなくなったのです。それが辛かったです。そこで看護師に相談し、
どうしても無理な時はナースコールをしてくれと言われました。しかし、
それも最初のうちは曖昧で、全然下げに来てくれなかったりしました。
ムカムカしながらも、仕方なく自分で下げに行ったりしました。
そのムカムカは、食後のむかつきとイライラのムカつきを兼ねています。

こんな感じで入院生活が続いて行きました。調子がいい時はホールに出て、
若い女の子たちと会話を交わしたりしました。彼女たちはさまざまな病名で
入院していました。みんなきれいな肌をしていたのですが、残念なことに
そこには自傷行為の傷跡がたくさんありました。聞けば幼少期の親の虐待、
学校でのいじめなど、さまざまな理由を抱えていたのです。でも話せば
ごくごく普通の子たちでした。

若い子だけではなく、世代の近い男女の患者さんたちとも会話をしました。
その場所は主に喫煙所です。その中にまったく無言で下を俯きながら
煙草を吸う男性がいました。一切話すことはありませんでしたが、私は毎回
『こんにちわ』『どうもで~す』と声を掛け続けました。リアクションは
なかったのですが・・・。でも喫煙所では他の患者さんたちとたくさんの
会話をしました。特に聾唖の男性とは下ネタでよく盛り上がりました(笑)。

退屈な日々でした。何もすることがない。食うか寝るか吸うか・・・。
このうち、私は「食う」ことがままならない。毎食が恐怖でした。
そして普通入浴になってからの入浴も恐怖でした。まるで貧血のように
目の前が真っ暗になり、吐き気を催してしまうのです。そのため入浴は
何度かパスしましたし、食事も摂らなかったことが何度もありました。
そのことに対しての主治医・看護師のケアが全くないことが多くあり、
自分はだんだんと不信感を抱くようになってきました。欠食しているのに
点滴を拒否されたことも大きな引き金となりました。

当然のことながら体重はみるみる減少していきます。終いには他の患者さん
から『ヤバいんじゃないですか?』とまで言われる始末。週に2回の診察で
そのことを訴えても、主治医の女医には梨の礫でした。

もはや楽しみ・・・それもギリギリのラインでのささやかな楽しみは
喫煙所での会話でした。私もイライラしたりはしていましたが、そこでは
笑顔になれたのです。主治医や看護師には腹を立てていたものの、患者同士
では楽しく話せたのでした。

         ※ 痩せこけた髪の長い変な男が私




しかし、この病棟には「満期」というものがあります。
患者の入れ替わりが激しいのです。また、症状が改善しないため
別の病棟に移される患者さんもいました。喫煙所で仲良くなった患者さんと
別れる日も多くなってきました。どんどん患者が入れ替わっていきます。
私に Wi-Fi を貸してくれた男の子 - よぉ!と言ってきた男の子 - も
退院して行きました。楽しくジェスチャーで会話していた聾唖の男性も
退院して行きました。そして新たにいろんな人が入って来ました。


              募る不信感

私は私で、主治医の治療方針に納得がいかず、一部を除いて看護師たちも
冷たい、ワーカーはまったく頼りにならない・・・。そんな状況下で
体重は46kgまで減少していきました。欠食も増えてきているのに
主治医は内科的アプローチを一切取ろうとしない・・・。
治療方針を尋ねたら『高カロリー食を摂って行動制限すれば太る、それが
退院時の目標』と言われ、不安障害のケアは全くないものでした。
それですっかりキレてしまいました。でも、それで暴れれば隔離病棟へ
連れて行かれます。7月19日に 外泊許可 をもらい、自宅に帰り
そこで2泊したあとはもう病院に戻る気は失せていました。しかし、
そんな自分を親友は励まし、何とか病院へ戻るように説得してくれました。

病院に戻っても、もはや何も楽しくなかったのですが、ひとつだけ
嬉しいことがありました。喫煙所で、ずっと下を俯いてムスっとしていた
男の子の顔に笑顔が浮かぶようになり、話をするようになったのです。
鬱病の彼に薬が効いたのかも知れません。が、それまでとは打って変わって
笑顔でよく喋るようになったのです。それはとても嬉しいことでした。
声を掛けてもノーリアクションだった彼に、私の気持ちが少しは
届いたのかな?と思ったりしました(笑)。

そして私はそれを見届け、心の中で退院を決意しました。
このままでは入院費ばかり嵩み、自分はダメになってしまうと思いました。
喫煙所でよく話した女の子からもその方がいい、と言われました。

       ※ グレーのスウェットを着てるキモい男が私


7月27日の日曜日に退院を決め、前日の診察で主治医に告げました。
実にあっさりと許可されました。

退院を翌日に控えた土曜日の夜中、かつて賑わっていた誰も居ない
喫煙所で煙草をゆっくりと吸いながら、それまでの入院生活をひとり
振り返りました。いろいろあったな・・・と ( ・_ゝ・)y-~ 。


           愛すべき患者たち

翌日、朝食は摂りませんでした。病棟を出る時、たくさんの患者さんが
私に握手を求めてきました。『絶対に良くなって下さいよ!!』。
そこには、入院当初あの喫煙所でムスっとしてノーリアクションだった
彼も笑顔でいました。私は彼らに別れを告げ、二重扉を出ました。

病院には妹がクルマで迎えに来てくれました。もう梅雨も明けて
夏になってる外に出て、その青い空に別れを告げました。
約1時間後、私は懐かしい自宅の匂いを嗅ぎました。
それからしばらくは、あの”地獄”だった閉鎖病棟や喫煙所がとても
懐かしくなりました・・・。

入院前出発時 は本当にお騒がせしました。
皆さんからの暖かいお言葉に感激しました。
が、このような結果になってしまい、申し訳なく思っています。


さて、退院から4週間が経過し、まもなく1ヶ月になろうとしています。
が、私は相変わらずの状態です。
一度入院してしまったため、経済的状況が悪く、もはや通院するしかない
状況にあります。これからが本当の闘いになります。

乗り越えるべき壁が幾つも存在します。現在の私にはそれが途轍もなく
大きな壁に感じます。体重46kgからの挑戦・・・。

この先もnoteを楽しめるように、noteで遊べるように頑張っていきたいと
思います。

最後までお読み下さいましてありがとうございました。
痩せこけた男の写真は忘れて下さい(笑)。


ちょっと今後は「ゆっくり」「のんびり」とさせていただきたいと
思います。これからもよろしくお願いします。




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