朝まだき、15才は夏の歌

(C)ブランキージェットシティ。とりわけ詞にご注目ください、夏的にも。

              *

15才で家出した彼女は彼に出逢ったのさ
ギターケースに座り クリーム色のバスを待ってた時
夜はきれいな星をたくさん手に入れてる
神様は小さな鍵を探してる最中

大人たちはきっとみんな狂っているんだろう
遠くの方で雷が光るのが見えたよ
夜が怖いのなら 心を開いて
全てを壊してあげるから 君のために

ソーダ水の粒のように
楽しそうな 日々は流れる

ビードロのジャケットを着た浮浪者がやってきて
きれいな湖への道を尋ねられたとき
僕は彼にタバコを勧めたのだけれど
口がないから吸えないって彼は言う

夏の光はきれい 彼女はその中で遊びたがる
妖精の話を聞くのがとても好きで
やがて太陽が沈み 沈黙が訪れ
赤いリンゴを 二人でかじってる

ソーダ水の粒のように
楽しそうな 日々は流れる

いつか今のことが 懐かしく
感じるのかも しれないね
僕の大好きなレコードに
ゆっくりと針が降りてゆく

ソーダ水の粒のように
楽しそうな日々は流れる

かつて人はみんな
無邪気な子ども
だったよ

◆15才
https://youtu.be/2Rjhc6S6PxE

文藝評論家、竹田青嗣はかつて『陽水の快楽』という名著を書いた。
それは陽水の歌詞 ー 傘がない等 ー を読み解き、太宰などを援用し、人心と時代を分析したものだが、嗚呼。
彼はロートルゆえブランキーに目配り出来なかったのか。

15才は家出カップルに始まる叙事詩であり叙情詩。こと浮浪者のくだりは一見シニカルもシュール。いったん彼女を離れ、口のない浮浪者と邂逅す。この一節を配したあたりにベンジー(浅井健一)の天才を覚える。
クリーム色のバス、ソーダ水、赤いリンゴ・・・視覚的にも素晴らしい。さらに夜、星、神様、(手元の)小さな鍵、遠くの雷と、頻繁に視点が移動する。だから広角的に訴求でける。
お手本すね。

夏の光はきれい。が、やがて太陽は沈む。妖精の話は英国伝統譚でもある。アーサー・マッケンの名ホラー小説『パンの大神』を彷彿させる。
夏の光のなかで、しかし彼女と彼はリンゴを齧っているのである。

わかります? このカフカ的世界が。

先だって俺は森鷗外『阿部一族』を引いた。三浦春馬あるいは自殺について。
俺は痛みを覚えたが、鷗外は〝放っといた〝。歴史そのままに。

どちらが人間として優しいかは明らか。もちろん鷗外だ。
おそらくベンジー@ブランキージェットシティも〝歴史そのまま〝に放っといたのだろう。彼女と彼氏、生も死も、あらゆるものをそのままに。
こんな感性・そのままの鋭敏さを、俺はみんなにわかってほしいのよ。

そして夏は死の季節でもある。コロナがあろうとなかろうと。
コロナウイルスを放置してはならないが、夏の光のなかで。

朝まだき。


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