見出し画像

Tちゃんになりたかった私


Tちゃん

Tちゃんは、私の大学時代からの友達である。
同じ学科で同じゼミ、同じ部活という大学時代の殆どを共に過ごした大切な友達だと思っている。

Tちゃんはいつもニコニコしている。誰にでも公平で、ノリが良く頭もいい。一方で部活では全国屈指の実力を持ったすごい選手だった。おまけに美人と非の打ちどころがない。
のんきでマイペースな所は私と一緒だが、彼女の場合に限ってはそれがまた魅力なのである。

Tちゃんのお父さんも優しくて素敵な方で、父との関係が悪い私にはまず父と娘が仲が良いということが衝撃だった。
Tちゃんのお父さんは、お家にお邪魔する度に「リカちゃん、前言ってた旅行は楽しかった?」などと、気さくに話しかけてくれる上に、話していたことも覚えていてくださった。こんなお父さんの元で育った子は、そりゃこんないい子に育つよな。と羨ましく思ったものだ。

Tちゃんには全てが叶わないと思った。こんなにも皆から愛される子っているんだ…。私にとってTちゃんは、最も仲の良い友達であり、憧れの存在でもあった。

陰と陽

嬉しいことに、ジブリネタが好きなど感性が似ていたこともあってか、Tちゃんもまた、私といることを楽しいと思ってくれているようだった。
3年生ぐらいの時にTちゃんが言ってくれた「まだ出会って3年ぐらいって信じられないよね。もっとずっと昔から一緒にいるような親友。」と言う言葉は今も心の額縁に飾ってある。と言うと、何だか我ながらキモチワルイ。当然本人には言えない、こんなこと。

本名も「リサとリカ」のような感じで似ていたので、他の友達からは「リサリカ」のようにひとまとめで呼ばれることが多かった。
私は人気者のTちゃんとそのように扱われるのがとても嬉しかった。

二人一緒にいても、話しかけてくる人は皆Tちゃんの方を見て話す。それはそうだ。物事の捉え方がネガティブな私とポジティブなTちゃん。どちらと話すのが楽しいかは明白である。

Tちゃんは「陽」で私は「陰」だった。そんな感じがしていた。
私はTちゃんになりたかった。

模倣

一緒にいる時間が長いせいか、私がTちゃんみたいになりたいと思ってポジティブな言動を取り入れようとしていたせいなのか、学年が上がるにつれて似ていると言われることが多くなった。

そんな折に、ある大会の打ち上げの飲み会で、後輩が「Tさんとリカさんて超仲いいし、なんか雰囲気似ていますよねー。二人とも『〇〇やー、せやなー』みたいな感じで。」
それを聞いていた先輩が「Tちゃんとリカちゃんは似ているようだけど、見ている世界は違うよ。」とサラリと言った。

先輩の言葉に、私はドキッとした。Tちゃんの模倣をしてTちゃんになりたい私の浅はかさを見破られたような気がしたからだ。
先輩はへべれけに酔ってはいたが、目はまっすぐ私たち二人を見ていた。

私はTちゃんにはなれない

こんなに長い時間がたっているのに先輩の言葉を一言一句に到るまで、表情まで覚えているのは、「模倣しているようだけど、お前はTちゃんにはなれないよ」と言われたようで多分ショックだったからだ。

私はTちゃんにはなれない。結果を残したくていつも一人キリキリしていた。一人だと話しかけにくいと言われたこともある。底抜けに陽の者であるTちゃんとは、やっぱり違う生き物だ。

おばさんになって丸くなった今なら、「そりゃそうだ。でもあんたはあんたで悪くないよ。」とでも言ってあげられるのだが、当時は自分に価値が全くないような気がしていた。

まるで片思い

まさに子育て真っ最中と言う年代である故か、年々会う友達も減ってきて独身の私は殊更寂しい。更には別の、長い付き合いの友達と疎遠になる出来事※もあった。寂しい。寂しい。寂しすぎてXやらnoteなどを始めて人との繋がりを持とうともがき始めてしまった。
※よろしければこちら

意外なことにTちゃんも未だ独身である。でも、Tちゃんは私と違って、仕事に趣味にと、どの場面でも沢山のTちゃんを慕う人に囲まれてキラキラ輝いている。
私にとっては唯一無二の存在の友達だけれど、私はTちゃんから見ればきっと、沢山いる友達の中の一人なのだ。

それでも、大好きなTちゃんに年に数回、連絡を取って会える仲というこのポジションを、私は後生大事に生きていくのだろうと思う。
まるで片思いである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?