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猫と私


注意 長い上に、自分の飼い猫の話しかしていません。

猫の地位がすこぶる高い我が家

猫飼いは嬉々として猫の奴隷を自称することが多い。そして我が家も例に漏れず、猫の地位がすこぶる高い。
暖房機の前で陣取っていても、猫が来たら即座に明け渡さなければならないなんて当然のこと。
ドアの一部をくり抜き、人間を呼ばなくてもほぼ全ての部屋を自由に出入りできるようになっている。

完全室内飼いだが、建物に囲まれた中庭だけは自由に出れるようになっており、好きな時に庭に出ては外の風を楽しんでいる。
ソファーを爪とぎ場所と決めているらしく、長年使うものだからとかなりの額で購入した母のお気に入りのソファーはボロボロである。
でも、「こらーやめなさーい。」と優しく言われるだけである。反省なんてもちろんしない。

流石に食卓に乗ると私に叱られるが、「うるさいあいつがいない時に乗るニャ」と思われている。多分。

そんな我が家には、かつては3匹、今は2匹の可愛い猫たちがいる。

長男猫

長男猫は白茶の猫である。
20歳近いハイシニアなのだが、出会った時に既に成猫であったので本当の年齢が分からない。
近所に餌付けをしている人がいて、その人の去年は子猫だった。と言う証言で年齢を推測している。

その人が県外に引っ越すとのことで猫はどうするのかと尋ねると、置いていくと言う。
生まれた時から、ご飯をもらっていたのにある日突然貰えなくなる。
そんな酷い話があるか。
非常に憤り、この子を迎えたいと申し出ると、一応気がかりではあったのか快諾された。

そんな経緯で我が家に来たこの子は、一番の甘えん坊である。常に私にべったりで、家の中にいる時は必ず同じ部屋にいる。
仕事で帰宅が遅くなれば、私が帰るまで車庫に続く廊下のドアの向こうで待っており、「どこ行ってたニャー‼何時だと思ってるニャー」と叱られる。
気づけばいつも見守られているような視線を感じることがある。
お互いに親のような、子供のような。それが入れ替わる不思議な関係性で、私の心の拠り所になっている存在である。

20歳近くなると、人間の言葉もある程度分かるんじゃないかと感じている。むしろ、向こうの方が「あいついつまで経っても猫語喋れないニャ」と思っている節もある。

2年ほど前から、高齢猫の宿命である慢性腎臓病を患っており、過干渉な飼い主のケアを渋々ながらされるがままに受け入れてくれていることがありがたい。何かにつけて「もうおじいにゃんだから…」と言われるが、まだまだ長生きしてほしいのである。

長女猫

長女猫は三毛猫である。
16歳になったばかり、こちらも猫界ではハイシニアに分類されるおばあちゃん猫だ。3匹の中では唯一、最初から意図してこちらから迎えに行った猫になる。

長女猫は、3匹の中で一番猫らしい猫である。気が向けば迎えに来てくれるし盛大に甘えてくれるが、あくまで彼女の気が向けば。である。
雄二匹はどんくさいのだがこの子は運動神経が良く、フェルトボールでラリーができる。ソファーボロボロ事件の主犯でもある。

この子は、産まれてすぐに元飼い主によって計8匹の兄弟と共に保健所に持ち込まれた。酷い話である。そこに偶然通りがかった保護団体の人に保護されたそうだ。
丁度、長男猫が寂しさからかひどく鳴くので、遊び相手がいた方が良いかと保護団体の譲渡会に参加した私と出会った。

長男猫が、小さかったこの子の面倒をよく見てくれたので長男猫とはすごく仲が良い。
一方で、今は亡き次男猫に対しては、何が気に入らないのか終始シャーシャーと怒っていた。次男猫は長女猫が大好きでよくちょっかいをかけていたのだが。

人間の家で生まれ育ったせいなのか、あまりごはんに執着が無く、好みはあるもののえり好みせず食べる。外が怖いのか一度も脱走したことがない。
そして親ばかであるが、顔がとても可愛い。

長男猫がどこか人間らしいのに対して、この子は本当に猫らしい猫なので、仕草などが面白くて癒される。今もせっせとぬいぐるみ運びに精を出しているのが可愛らしい。

この子も慢性腎臓病と甲状腺機能亢進症を患っており、プリプリ怒りながらも過干渉飼い主のケアを受けてくれている。おばあにゃんとか言わず、まだまだ長生きしてほしい。

次男猫

次男猫は、キジトラである。
5年前に7歳の若さで亡くしている。腎臓病だった。
猫には腎臓病という宿命病のようなものがあると、知識では知っていたものの気づいてやれず、様子がおかしいと病院に連れて行った時には末期だった。その半年ぐらい前からよく水を飲むような気がするとは思っていたのに、血液検査で腎臓の状態を示す項目の一つが若干高かったのに、元気だから一時的なものだろうと済ましてしまった。
私が判断を誤ったせいで、この子は若くして亡くなった。私は一生このことを背負っていく。

闘病の辛さから、この子が可愛かった姿の記憶が、亡くなる直前の姿に上書きされてしまっていたが、最近ようやくこの子の可愛かった姿、楽しかった思い出が思い浮かぶようになってきた。
時間が経って悲しみが形を変えてきたような気がする。

この子は、13年前のある日突然我が家の庭に現れた子だった。生後3カ月ぐらいに思われた。
猫風邪が酷く目やにと鼻水でグズグズで、大きくなれるのだろうかと心配したが、よく食べよく遊び、がっちりした体格の猫に育った。
どの子も完全室内飼いにしているが、この子はとにかくやんちゃで、私が講じた脱走防止策をかいくぐりよく脱走した。

3匹の中では、一番私と距離がある子でどちらかというと母と姉に懐いていた。私に甘えたくても、べったりの長男猫に遠慮していたのかもしれない。もっと甘えさせてやればよかった。

この子が亡くなった後、不思議なことが沢山起きた。
偶然が重なっただけなのだが、そう思うことで救われるのでそう思うことにする。

まず亡くなった日に、グーグルフォトから姉のスマホ宛に写真をまとめた動画が送られてきた。
寝そべる姿、大好きな刺身に舌鼓を打つ姿、箪笥の上で得意げな顔をしている姿…。何となく、これは次男猫が送って来たのだと思った。
あの子から「この家に来て楽しかったよ。」と言われている気がした。
亡くなった後も、ああしてあげれば良かった、もっとこうしてあげれば良かったと苦しんでいた私に対するあの子の優しさのように思えてならなかった。

他にもある。亡くなって数日後、私が買い物をしている時に、お菓子などに付ける『ありがとう またいつか』というメッセージカードが、目の前に落ちて来たのだ。
丁度3月の異動の多い時期だったのもあって、店頭にはそういったものが沢山あったのだが、あの子に言われている気がした。
ボロボロ涙が出てきて、飛ばしてしまった店員さんには慌てて謝られた。
端から見れば、メッセージカードを飛ばされただけで涙をボロボロ流す不審な客である。
「ちょっと色々あって。」と説明にならない説明をしたが、店員さんは困惑していた。あの時の店員さん本当にごめんなさい。

長男猫も、長女猫もこの子の闘病があったから、数値に現れる前から腎臓病への備えができた。
知人には「次男猫ちゃんのおかげだね」と言ってもらうこともあるが、実のところこの子の犠牲のお陰でというようにも聞こえて、内心複雑なのである。この子は別に長男猫と長女猫に活かすために病気になった訳じゃないのだから。
そろそろまた6回目の命日だ。あの子の好きだったお刺身を買ってこよう。

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