仮面浪人の受験

※追記
令和5年度
共通テスト 
国語188/200  
数学196/200
理科190/200
英語176/200  
地理 87/100
Σ837/900
京都大学二次試験 
国語58/100
数学137/200  
理科163/200
英語105/150   でした!※

10月ごろから受験、恋愛、音楽の3つをどれも妥協せずにやり切ることを目標とした。
今回は受験について書く。
【落ちてから】
去年2日目の試験で初めてパニック障害の発作を起こして試験をフルで受けられなかったとき、そして落ちたことが分かったとき、自分は大事なところで結局毎回失敗する二流だと思った。第一志望に受かったことがないし、部活の大会も下手っぴになっちゃうし。しっかり成功させる一流になりたいと思った。そのためには本番での考え方の修正が必要なことは分かった。メンタルトレーニングの本を3冊買って読みつつ、(この本のうち2冊は後期〜受験直前期に、ノートにまとめて何度も読み直し、実践しまくることになる)仮面浪人も視野に入れて今の大学に入った。
今の大学に入ってから、イケメンでコミュ強の同期を見て、コミュニケーションなんか取れねえよと捻くれることもありつつも、何とか馴染んで色んな友達をつくれた。
初期
成績は良かったけれど家では勉強することはなく、ただただゲームで時間を浪費していた。勉強とはちょっと違うけど、怠惰なのは音楽もだった。作曲だって本を借りていたけど、全然進まなかった。楽しくはあるけど、怠惰な楽しさだった。多分大学生が一番陥りがちな楽しみ方だと思う。次の大学では絶対そんなふうにはしたくない。
【仮面浪人を決めるまで】
6月、7月と仮面浪人をするメリットとデメリットを何度も検討し続けた。「7月の末にはどうするか決める」と自分自身と、同高校の友達に言い、考え続けた。純浪だってしんどいのはわかるが(2月の孤独の勉強期間を経た今ならもっとわかる、あれを長期間耐え抜くのはほんと尊敬する)、あまりに自分が仮面浪人しようか悩みすぎており、どうするか悩まなくていい純浪が羨ましく思えるほどであった。2,3年生になった時のこととかの話を大学の友達とすることがありながらも、その頃の自分がどうなっているか思い描けず、「学部の授業は合わないな」とか苦しんでた。高いプライドも「ここにいるべきじゃない」とか偉そうなこと思ってたと思う。ほんと生意気だけど、発作起こして落ちたんだし、そう思ってしまうのもおかしくないのかも。そんな時期が6,7月だった。あと、デスクトップパソコンが欲しいと思いバイトを始めたのもこの時期だ。飲食店と塾講師を始めた。
結局仮面浪人をはじめるわけだが、その決め手は
❶学部の授業が自分には全くつまらないものに思え、もっといろいろな学問を学びたいと思ったこと。
❷自分の怠惰な生活を変える必要があるなと思ったこと。
❸開示が屆いたこともあり、アクシデントで落第した去年の悔しさが拭いきれなかったこと。
❹これから軽音のライブとかに出ることもあるだろうし、本番の弱さ(当時考えていた、俺を二流たらしめるもの)も克服したいと思ったこと。
❺一人暮らしに憧れていたこと。
この5つだ。
これだけ見ると仮面浪人する方がいいに決まっていると思うが、デメリットだって色々ある。まず、
❶また長い間頑張らないといけなくなること。
❷優しく迎え入れてくれたサークルを抜けるのが申し訳ないこと。
❸失敗したら、1年無駄とまではいかないが、不完全に消費してしまうこと。
❹大学で知り合った友達と疎遠になってしまうこと(好きな女の子もいるから残ってもいいのでは、と思ったりもした)。
❺自分が伸ばしたかったゲームのチャンネルがしばらく休止になってしまうこと。
などのデメリットがあった。(結局メリットデメリットともに、状況が進んでいくにつれて多少変わったりはした)
メリットの方がデメリットより大きいと思い、仮面浪人を決意した。
8月〜
大学の講義が8月の一週目で終わるので、そこから本格的に受験勉強を開始した。高校の頃使ってた問題集の答えをメルカリで買ったりした。8月20日くらいの実戦模試でまあまあの成績が取れたらいいなと思いながら、バイトの自習監督時間中に無機化学をやったりして、着々と知識をインプットし直していった。8月はバイトめちゃくちゃ入ってたし軽音もしてたし、机に座っての勉強は少なかったかな。でも俺が中弛みして落ちぶれたのを知っている、現役で目指す大学に行った親友に「仮面するならお前の本気見せてくれよ」と言われたので、絶対にめげてやるか、と気合で始めた。実戦模試の感触はまあまあだったが、勉強を始めて1,2週間とかなので達成感があるはずもなく、終わってすぐ秋の実戦へ向けて勉強に励んだ。
1週間ごとに各科目の計画を立てて、実戦まであと何週間あるのか、もしっかり書いて、着実に基礎を固めた。9,10月頃はスタンダード数学、クリア数学、物理重要問題集、学校で配られた物理のプリント、センサー化学で基礎を固めた。英語はもともと得意だったので2,3週間に一回青本の過去問を解くのと、電車で竹岡先生のドラゴンイングリッシュやWrite to the point の英作文の例文を口パクする、シス単を周回する、と言った感じだった。
9,10月〜
バイトを続けながら、受験勉強は以前と同じように、短期目標を設定し、実戦という長期目標も設定して、モチベーションを維持し続けた。自分は仮面浪人がピッタリだったんじゃないかと思う。ずっと机に向かっているよりも、こういうふうに色々な用事があって、忙しくて、その隙間に勉強して、という方がモチベーションを保ちやすかったように思われる。それにしても問題集たちをよくあんなにできたなと思う。実戦の結果は半年のブランクがあったにしては良かった。また仮面浪人の相談をじゅそうけんさんにしてもらう。手続きなどがややこしいからだ。10月から大学がまた始まるが、仮面浪人は決めているので、単位は最低限にした。必修の、学部の授業は全部登録しなかった。言語と心理学だけ(週5コマ、いかなくていい英語を抜いて4コマ)であった。教科書を買う時、必修の教科書を買わない俺を見た友達(この子はよく一緒に食堂でご飯を食べていたし、後期はこの子ともう1人とずっと食べてた。元同部活だったこともあり、学籍番号が一つ隣だったこともあり、だいぶ仲良くなっていて、結局受験の2日目の朝応援に来てくれ、次のライブ代を奢ってくれる子だ)に指摘され、初めて仮面浪人を打ち明けた。引かれてもおかしくないとは思っていたが、反応は控えめで、「そうなんや」くらいだった。
11月〜
バイトは10月末で辞めた。飲食店は向いてないから、塾は、今年度末専念したいことがあるから、といった。自分が出る軽音のライブの前の週はオープン模試、ライブが終わって次の週は実戦模試となっていた。目標は実戦だったので、ライブが終わってすぐ、勉強に戻った(このライブに向けてギターをめちゃくちゃ練習してたこともまた書きたい)。実戦後少し息抜きもしつつ。さらに勉強を続けた。仮面浪人は他にも何人かに打ち明けたこともあり、学科内でだんだんと広まっていって、共通テスト前とかはもうみんな知ってたっぽい。言ってない子から、「勉強頑張って!」と言われたりした。嬉しかったよ。会うたびに応援してくれる子もいたし(今度ご飯奢ってくれるらしい)ほんと友達に恵まれてる。これを自分が友達を作る才能があるとか言ったらもう終わっている、自分中心に考えすぎている、どう考えても恵まれている。実戦が終わってから長期目標が受験本番になったので、また頑張らないと、と思いながらも少し勉強が少ない日があった。が、勉強を続けた。「サボった」というほど怠けてはいないと思いたい。これ自分怠けてないか?と思ったら「いや、がんばるねん」と度々気合を入れ直して頑張った覚えがある。ここからは新しくハイレベル数学の完全攻略という参考書を使い、数学の扱える問題の幅を広げた。理科は主に過去問をやり、たまにわからなければ化学は重要問題集をやっていた。物理はその場その場で近似のコツなどを学んでいった。英語は変わらず、2,3週間に一つ過去問を解く、電車でドラゴンイングリッシュや、Write to the point の英作文の例文を口パクする、シス単を周回するくらいだった。実戦もオープンも素晴らしい成績で、
❶このまま続ける
❷本番やらかさない
の2点を気をつければ絶対にいけると信じたからこそ、絶対この2点を気をつけようと思った。
友達からは「大学生みんな遊んでるけど、やっぱ頑張ってる人いると応援したくなるわ」と言われ、とても嬉しかった。
地理は電車の中で主に村瀬さんの参考書や、地理統計を読んでおり、寝る前に地図帳を眺めていた。共通テスト直前期は地理の問題集と過去問をたくさんやり、固めた。他はあまり共通テスト対策はしなかったが、足切りが怖かったのでパックは一つ解いた。足切りギリギリセーフ、って感じだ。本番の前に、去年のようにパニック障害が出ては困ると思い、精神科で薬を処方してもらった。共通テストは、地元の浪人の友達も同じ会場だったので会場で喋ったりして、そこまで緊張しすぎることなく受けられた。素晴らしい点数をとれた。ここからがしんどい。大学のみんなに共通テスト褒めてもらえてよかったけれど、モチベの維持が難しい。
1月〜
共通テスト終わってからのモチベは最低で、なかなか勉強が手につかなかったこともあったけど、仮面浪人で、休憩がてら授業に出て(授業もそんなに楽ではないけれど)みんなと喋って図書館にまた戻るっていうのがあって(やはり俺にそれは合っていて)まあ何とかしっかりやれてると言えるラインの量はやっていたと思う。デートとか、ライブとかの行事で気分転換をしようとしたしね。(あんまり効果実感できないけどどうだったんだろ)。でもやっぱり共通テスト終わってすぐの1,2週間が、この半年で一番勉強に身が入らなかった気がする。
学校が終わる時は普段あんまり俺の受験に関心がなさそうな友達も応援してくれて、とても嬉しかった。学校がおわってからはオンライン自習室と言い、ツイキャスで勉強を続けた。休日に勉強ができない俺を3時間でも5時間でも勉強に導いてくれたツールだ。過去問演習とハイ完をひたすらやった。しんどかった。この3週間は本当に辛かった。親友の「お前の本気見せてくれよ」の言葉は忘れていたが、中学の頃成績を争っていて現役でとある医学部に入った友達が、俺が怠けたのを残念がってたのを思い出して、絶対負けるもんかと思いくらいついた(俺は中学時代勤勉で成績が良かったが、中学3年からだれて成績が落ちた)。他人の言葉が自分の凄まじい原動力になることがあるんだな。また、目標を達成できそうな状況になると自分は手を緩めてしまう癖があることを自覚し、緩めないぞと引き締めた。勉強したくないのに無理にやってるストレスのせいか、肌は超荒れていた。でも絶対めげないんだ、歪まないんだ(俺は「歪む」というのを、自分の信念を曲げて堕落する、という意味で使っていた)と言い聞かせて勉強をし続けた。日々のメンタルトレーニングも欠かさなかった。去年の2月はアニメを一気見していて、1日15時間スマホとかもあった、大成長だ。この2,3週間を堕落せず耐えたことが本当に誇りだ。
【本番】
本番の前夜、処方された薬を飲み忘れてしまい、1日目の試験をそのまま受けることになった。飲み忘れたことはまだ気づいてない。国語は大丈夫だった。しかし数学の試験開始までの待ち時間で少し吐き気がちらつく。だからといって俺だってそう簡単に負けたりはしない。去年3月にはじめて、また後期から行ってきた日々のメンタルトレーニングで学んだことを活かして、精神を落ち着かせた。メンタルトレーニングの本を読んだことで、意識的に自分の思考の傾向を変えていくことで最終的に無意識的な思考の傾向すら変わると分かったのでポジティブ思考だったり、フラットで落ち着いた思考だったりを意識して過ごしてきたから発作が完全に起こることなく待ち時間を乗り切った。試験が始まるとあまり気にならなくなったので良かった。集中して6問と向き合えたと思う。しかし、終わって帰ってる時、今日でここまで吐き気してしまったから明日はやばいかもと不安が募る。明日は絶対に発作を起こして去年と同じように落ちるんだとしか思えなくて、涙が出そうで出そうでたまらなくなる。早くホテルの部屋に帰って大声で泣きたいと思いながら急足でホテルに向かう。部屋に入った途端不安をぶちまけてもいいという安心感から、大声で泣き喚く。親曰く、隣の部屋から泣き声と嗚咽が聞こえていて辛かったそうだ。覚えてる、リズムがぐちゃぐちゃでまともな呼吸ができなかった。でもめちゃくちゃでかく泣き声が出て、冷静になれてないのにも関わらず「こんなふうに泣いてる自分は極限状態じゃないか」と自覚したくらいだ。でもまだ頓服薬を飲もうとはならなかった、発作だと気づいてないのだ。俺は「1年間何も変われなかったんだ」とか、「結局二流のままなんだ」とか思えてきてほんとに涙が止まらなくなってずっとわんわん泣き続けた。この時くらいに昨日自分が薬を飲み忘れたことに気づいて、長い間服用してた薬を切らすと、脱離症状と言って、余計に発作を起こしやすい状態になることを調べて知った。冷静に考えると、発作を起こしやすい状況で1日目の試験を乗り切ったのは本当にこの一年でメンタルトレーニングを積み、またいろんな面で自信を少しずつつけていったからだと思う。一流に近づいたわけだ。成長が感じられるはずだけど、そんなこと気づかず、俺は「ああ無理だ、飲み忘れたし俺はもう無理なんだ」と思った。俺はたまに泣いて全部発散したくなる時がある。脱離作用のせいで徐々にネガティブ思考が蝕んできて、それを発散しようと泣いたところ発作が起きて止まらなくなったって感じかな。そう思ってTwitterに無限に「試験を受け切ったらそれだけで褒めて欲しい」と、本音半分、保険張っといてまだガチで勝ちに行きたい気持ち半分で呟きまくった。だってこの人めちゃくちゃ泣き喚いているけど1日目何もしくじってないからね。そりゃ勝ちたい気持ちは強くあるよ、半年頑張ったわけだし。2日目友達も来てくれるし。そんな時晩御飯を母親と買いにいったわけだが、買うときも早く部屋に帰って泣きたいと思っていた気がする。これまた大声で泣きながらご飯を食べた後に、メガネをお尻で踏んでしまい曲げてしまう。すぐ直ると思ってしばらく放置していたが、後に直そうと思ってもなかなか直らずまあメガネなしで受けてもいいかとか思ったけど結局母親に電話した。この時の母親は本当に素晴らしい対応で、すぐにタクシーを呼んでメガネ屋さんに連れていってくれた。タクシードライバーは受験やのにメガネが壊れて、という話を母親から聞いて優しい言葉をかけてくれたし、眼鏡屋さんも優秀で、無料で直してくれた。それらが全部嬉しくて、人の温かみを感じて、また涙が勝手に出てくる。帰りのタクシーを探して街を歩いてるだけで泣きそうになってくる。嗚咽しながら何にも悲しいこととか悔しいこととか起こってないのに街中で泣いてた。これがパニック障害なんだと思う。泣くのが止まらないんだよな。母親が宥めてくれる。この時くらいに、何で俺は泣いてるんだと冷静になり、今まさに発作が出ているんだと気づく。最初は不安を発散したくて部屋で泣いてたけど、今回は泣こうとしてないのに泣いてたからね。ある程度収まり、タクシーに乗るとしばらくしてホテルについた。この一連の出来事で少し気が楽になった俺は、頓服を今飲んでもいいんじゃないかということに気づく。飲むと心はスッと落ち着き、不安は取り除かれる。この薬なしでないと生きていけない人がいるのも納得だ、スッと引く。先ほど言ったように、脆弱な状態で1日目の試験を乗り切った俺は成長しているんだと思うようになる。自身が滾ってくる。2日目は大学の友達が応援に来てくれるから、そのリラックス効果もあるだろうと思う。あと、発作の間もこの2人が来てくれるから2日目を諦めるのはないな、と思えていたかもしれない。そして頓服薬は少し眠くなるらしいので翌日の眠気を加速させないよう自慰行為は控えて眠りにつく。
目が覚めても薬が効いているのか、不安はあまり感じない、緊張もあまりない。そのまま朝ごはんを食べて最寄駅までいって、今の大学で出会った最高の友達2人と目指す大学への道を歩く。
2人と話してリラックスする+発作が出る前からもう一度頓服を先に服用しておく+別室受験をさせてもらうという算段で挑んだ。2人と話していると、やっぱこんなに応援されて負けてたまるもんか!と思えてきたし、薬で不安もなかった。別室受験は最初は断られたが、去年はさせてもらえたというと、「君去年の子か」と言われた。去年の俺の症状を知ってるからか、別室受験は許可された(イレギュラーな事態に対応してくれたこの人たちにも感謝するなあ)。結局ゲロ袋は2つ用意してもらったが試験中一度も触れることなく、2日目も完璧なパフォーマンスを発揮して終わった(みごとにメンタル面の対策が決まった)。カフェで時間を潰して2人に会う。片方の友達に寿司を奢ってもらった。「この大学受ける友達おったら流石に応援したくなるわ」とか「奢りやからたんと食え」と言われて超嬉しかった。もう1人の友達はライブ代を奢ってくれる子だ。本当にいい友達を持った。
合格発表の後は応援をしてくれた友達みんなに電話をかけて合格を報告した。みんな喜んでくれて、僕もみんなに感謝を述べることができて良かった。
今の大学で仮面浪人したこの一年は無駄なことなんて一つもなくて、素晴らしい出会いとか気づきとか成長ばっかりだった。だから俺は「今の大学が大好きだ。次の大学は憧れだ。」と思ってた。どっちも大好きになるといいね。

頑張った。
音楽も、恋愛を含めた自分磨きも、勉強も、全部絶対頑張り切るって決めてちゃんと全部やり切った。
どのコミュニティでも友達が支えてくれたのが本当に嬉しかったし助かった。
自分は努力もできないし、結局大事なところでいつも失敗してうまくいくことなんてないんじゃないかとさえ思ってたけど、この半年努力して、成功させて、成功できる人間だと自信を持つことができた。
人に頼ってもいいんだよな、とも思えた。1人で隠して仮面浪人するより、みんなに伝えて(最初は言わざるを得なくなったから言っただけだけれど)みんなに励ましてもらいながらやる方がずいぶん楽だ。

1人のように見えて、いろんな人に直接的、間接的に支えてもらって本当に有意義で自分の人生について考えさせられた、深みのある一年だった、こんな環境を用意してくれた親には感謝しかない。俺のことを支えてくれた友達たちにも感謝しかない。
でも「嬉しすぎて、感極まって、泣く」というのをやってみたかったけど、合格した時は泣けなかったなー。
「お前の本気見せてくれよ」と言ってくれた友達と抱き合ったけれど、すぐサークルの新歓が来てそんなムードではなかったな。これからの人生でそれを体験してみたい。そんな涙は絶対に気分が最高だろうからね。

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