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性と羞恥(2024/03/14)

・病院に行くなどした。寝起きの手ぶらで病院に行き、お薬を少々いただいた。ふらっと立ち寄ったかのようなラフさ加減で、バッグも何も持っていないため、思ったよりも処方された薬をどうやって持ち帰ろうか悩んでしまった。ダメ元で薬局さんに袋を要求してみると、少しの逡巡のあとに5円でレジ袋をもらえた。これほど袋に感謝したことはない。この先も感謝することはないだろう。

・友達にかなり緊急性の高い内容のLINEを送った。するとボケで返答が来てしまい、結局伝達が出来なかった。自分も知らず知らずのうちにこういう迷惑をかけてしまっているのではないかと自戒の念を込めて深く考えた。私は文章やコミニュケーションにおいてボケをぶち込むことが多々あるが、それが正しくない文脈での使用になっている可能性も否めない。例えば、相手は真剣な話をしたい、物事を円滑に進めたいと思っているときのボケはノイズでしかないし、そもそも相手を楽しませていないという点ではボケとしても陳腐になる。

・ボケはツッコミがいて初めて成り立つのであって、誰も捌けない場所にただただボケを放り込むのはエゴでしかない。その結果反応が悪くてもそれを受け手のせいにしてはならない。ボケというのはそれほど自責的なものであり、事後処理までも行う必要がある。タイミングと場を見極めてボケることが求められており、今一度自分のボケを振り返る必要があるなと感じた。

・本屋に行き、何冊か本を買った。

「人のセックスを笑うな」山崎ナオコーラ

・人のセックスを笑うな。何年も前から気になっていた一冊だ。なんと言ってもタイトルの奇抜さ。本棚にささっているとそのインパクトは絶大だ。私は中学くらいの時からタイトルに惹かれ読みたいと思っていた。けれども思春期の人間は本棚に「セックス」という言葉を並べることに恥ずかしさを覚える。

・文学においてセックスという行為は頻繁に描写される行為だ。それは生物的な営みであり、生命の根源的な行為でもあり、深く追求すべき事柄だと思う。けれどセックスという言葉は何か下ネタ的な扱いをされることも多い。だから思春期の人間はそれに羞恥心を感じるのかも。

・性的なものを忌避しすぎるのはあまり良くないんじゃないか、と前々から感じていて、人間の三大欲求にも性欲がランクインしているわけだし、もっと性について語るべきなのかもしれない。

・ただオープンにしすぎるのも良くないかも。ほどよく。

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