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365日日記を続けて思ったこと

今日で日記をつけ始めて丸一年が経った。分かりやすいように新年度(4月1日)から始めたので、現時点で丁度365記事ある。疲れてる日は短かったり、面白いことがあった日には饒舌になったりした本日記群、多少の振り幅はあるが平均すると1日約1000文字くらいだと思われる。

1000文字×365で約36.5万文字。ここに、単発で書いた記事の文字数を合わせるとなんだかんだでおよそ40万文字書いたことになる。

一般的な文庫本が一冊20万字だから、文庫本2冊分だ。綾辻行人のAnother上下巻くらいの量、と例えれば40万文字の膨大さは想像に容易い。毎日適当に書き連ねていたものが、量にするとこんなにもなるというのは不思議だ。継続は力なりとかいうやつだな。

ということで、日記を一年間続けて思ったことを書き連ねていく。




めりっと


日課が増える

毎日のように日記を書いていると、生活の一部にのめり込んでくる。私は大体10時になると「日記書かなきゃな」というスイッチが自動で入るようになったし、どんなに疲弊して寝落ちしても日記を書いていない日は自然と目覚めるようになった。(一度だけ12時ジャストに目が覚めて毎日更新が途絶えた)

今まで筋トレや勉強などの「一日何分間続ける」ことが苦手で、すぐにやめていた私だったが、日記だけは唯一続けられている。これはすごいことで、一日30分程度だが何かを継続しているということに深い意義がある。私には日課があるぞ?と威張ることも可能だ。三日坊主になるか否かはともかく、日記にトライする価値は十二分にあるだろう。

毎日文章が書ける

これも毎日更新の効能だ。ある作家は「1日どんなに忙しくても原稿用紙2枚(800文字)は書くようにしている」と言っているように、如何に毎日執筆するという行為が、文章構成力に関わっているかが分かる。実際、私もこの一年間でだいぶ文章を考えるスピードは上昇したように感じる。

普通の人は、一日に1000文字書く機会なんて、意識的に作らないとないだろう。そこで日記を書くことによって文字数を稼ぎ、文章力のアップへと繋がるのだ。

過去を振り返れる


これは日記のメリットだな。楽しかった思い出や割と重要だった出来事は、なんとなくで記憶に残っているかもしれない。もしくはカメラロールを遡れば簡単に日付を割り出せる。そういう己の中の年表に刻まれるような出来事は、遡及の必要がないかもしれないが、それよりもプライオリティの低い瑣末なものを思い出す際に日記は活躍する。

例えば、私は散髪するたびに「散髪が好きじゃない」みたいな話をnoteでするようにしてる。そうすることによって自分が前回いつ散髪をしたかが分かる。そういったあんまり気にしないけど遡及はしたいような物事の記録にはぴったりだ。

でめりっと


時間がなくなる

さっきとは真逆のことを言います。確かに、毎日の日課として日記時間が増えるのは良いことだが、結構時間を割かなければならないのも事実だ。私は大体30分くらいの執筆時間を要する。しかもこれは10〜11時頃の30分なので、早寝人間の活動がピークの時間帯である。中途半端な時間ではあるから、例えば帰宅して映画でも見ようかなと思った時、「でも今から2時間弱」だと日記を書く時間と被るな…。みたいな弊害が生じる。
そういう観点から見ると1日30分は大きいかもしれない。

ネタがなくなる

これはそう。基本的に日記はその日に思ったことを書き連ねるのが常套手段なんだけど、バードカフェのおせちみたいにスカスカな1日を送ってしまうと、何にも思い付かない日もある。そんな日は日頃から溜めておいたネタストックを引っ張り出したり、過去のメモからネタを探したりする。そうすると必然的にネタはどんどん枯渇していき、すっからかんになってしまう可能性がある。この一年はそんなことはなかった(実は問わない)のだが、いつネタが切れるか分からないのでヒヤヒヤする。

結論


できるんならやっといた方がいい。英検と一緒の感じだ。別に人生に必要ではないんだけど、あって損はないかなという。日記なんてそんなもんだ。気張りすぎずに適当にやるのが一番いいのかもしれない

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