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負を代替したら光になる(2024/04/03)

・ここ最近の過ごし方。TSUTAYAで見たい映画を10何本くらい借りて、ひたすら映画を見る。実は日記を書いていない期間にはかなりTV画面を見つめていた。映画は見始めたら止まらないので、受動的に楽しめるコンテンツである。とりあえず再生してみると、画面に釘付けになる。そういう動きで1日に2、3本ほど映画を見る日が続いた。


・最近は北野武の映画にハマっている。「菊次郎の夏」では何もかもがめちゃくちゃな菊次郎の見せる不器用な優しさと夏の儚さに魅了された。「ソナチネ」もかなり好きな作品だった。かっこいい。ロシアンルーレットのシーンが良かった。頭に拳銃を向けるという構図はなぜこんなにも絵になるのか。

・レンタルショップで借りたい映画を探すと、いくつかは貸出中になっていた。この世のどこかに、同じ映画を同じタイミングで見たがっている人がいるんだという事実がちょっと嬉しい。この現象は図書館でも多々あって、読みたい本が貸出中だとやっぱり嬉しい。もちろん、借りられなくて悲しいんだけど、その埋め合わせをするかのように親近感のような感情が湧き上がってくる。負の感情を小さな喜びで代替すると、人生がちょっと明るくなる。ベッド横のライトくらい。でもその光で救われる夜はあるはずだ。


・示し合わせていないのに、人と同じ本を読んでいたという経験は中々ない。映画においてもそうだ。上映中の映画ならなくはないシチュエーションだが、サブスクで数多のコンテンツを摂取できる時代に、人と被るのは至難の業だ。けれどインターネットに目を向けてみると、映画や本のレビューほ毎秒更新されていて、世界のどこかで誰かが同じコンテンツに浸っているのだ。

・実感は無い。あまりにもインターネットだから。配信のライブビューイングや生放送を見ていても、これが果たして生で起こっているのかを訝しんでしまう。録画でもギリ成り立つんじゃないか、とか。インターネットは曖昧だ。まるで空虚な箱である。

・カプリコを食べようとしたら目が合った。

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