海に於ける誇張

夕焼けが、雲の隙間をぬって僕の肌を焦がす。海沿いの砂が転がるアスファルトを素足で歩く。短く切った爪の間に砂が詰まった。


僕の二歩先を行ったところを彼女が歩いている。歩こうと言い出したのは彼女からだった。僕は言われるままにそうする。主体性がないと言って彼女は僕をなじる。

「いつも思うのだけれど、あなたはいつも私の思い通りよね」

そうは言われても、僕はそれで構わないと思っているし、むしろ主体的に言いなりになっているから、僕としても思い通りにいってる。

今年になって海に来るのは二度目だった。一回目は車で来た。車を停める場所がなかなか見当たらなかったことを覚えている。

その時、僕は早く車を降りて、海に行きたかった。海の風を、潮風を。肌にまとわりつく不快感を味わいたかった。

彼女は、窓を開けて風を味わっていた。どうしてそう思ったかわからないけれど、その時の彼女の横顔は輪郭がないまどろみのようだった。時折見せる彼女の柔らかい視線は、最後の最後に僕を捕まえる。

目は、間違いなく人間にとって大切な器官のうちの一つだ。僕は彼女の目を通して僕を見る。僕は彼女を愛しているし、僕に愛される彼女が好きだ。彼女が愛する僕も好きだし、彼女のことも好きだ。

「ねぇ、隣に来てよ」

前を歩いていた彼女が僕を振り返る。西の日差しは彼女の左半分に陰を生む。僕は、彼女の手をとって横に並ぶ。いつもは冷たい彼女の手が今日はあたたかい。僕の手はいつも温かい。しばらくすると、手のひらが汗ばんでいるのを感じる。彼女はそれを嫌がって離そうとして、指先だけを絡める。しばらくして、また手を繋ぎ直す。

無言で歩くうちに、アスファルトの足元が完全な砂浜に変わっていった。人が多い。いつも来ているわけはないから比較できないけれど、僕は多いと感じた。犬もいる。もちろん、犬は人よりずっと少ない。

夕暮れ時は、悲しみを連想させるような哀愁を呼び起こさせるけど、若い僕たちはそんなことなかった。燃え上がるわけでもないが、感傷にも浸らない。それに、人が多かった。

「喉が渇いたわ」
「屋台をみてみようよ」

短い言葉を交わして、僕らはまた歩き始める。一歩進むごとに僕の胸の中で、後悔の気持ちが大きくなっていく。本当に彼女はいま幸せなのだろうか。僕には、誰かを幸せにすることなんて荷が重かったのではないだろうか。

屋台で焼き鳥とビールを買った。歩きながら頬張る。海のせいなのか、塩味が強い気がする。

テラス席の適当な場所に座り、ほんのすこしの間で温くなったビールを喉に流す。ビールは舌で味わうものじゃないと辿り着いたのは最近のこと。

「日が暮れても暑いのね」
「夏だもん」
「知ってるわ」

彼女は飲み物に口をつけない。僕はもうカップの半分以上を飲んでしまった。彼女は喉が渇いていないのだろうか。さっきから通りすぎる男らが、好奇な目でもって彼女に視線を残していく。それも彼女は気付いているのだろうか。

「さっきから、君をいやらしい目で見る男達が後をたたないんだ」
「そうなの?」
「たぶん、そうだと思う。でも、君のせいじゃない」
「そうね、でも。ごめんなさいね」
「謝ることじゃないんだ。僕が口に出すべきことでもなかった」
「そうとは思わないよ」

僕は、彼女の続きの言葉を待ったけれど、それで終わりだった。小さい頃から僕は勇気を出すタイミングを間違えて損をしている。人によっては、そのことがとても苦しい足枷になってしまうのかもしれない。けれど、僕はどう思っているのだろうか。うんと悩んでみたことはまだ無い。だから、わからない。彼女が立ち上がった。

「足だけ、海に入りたいな」

ああ、そうだ。こういうところを僕は好きになったんだ。彼女は僕のことを引きずらない。でも、僕のことを大切にしてくれている。その優しさは、決してカタチにならない。残ったビールを一息に飲み干して、ゴミを手早く片付ける。その間、彼女は待っていていくれる。小さな愛だ。

海は、冷たかったと思う。すぐに、その温度に慣れてしまったから感覚をしっかりと記憶できなかった。波打ち際を手を繋いで並んで歩く。相変わらず、人は多い。

時々ふざけて彼女は僕の足を踏む。転びそうになるけど、僕はしっかりと踏ん張る。腰を落として重心を低くするのだ。正直、その姿は間抜けだと思う。間抜けな姿だけど、僕は転ばない。

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古賀勇帆

短編集

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