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まちの激変に文化で抗おう。”画家村”から語る恵比寿のまちづくり(後編)

渋谷といえば、スクランブル交差点。そうイメージする人も多いけれど、それだけではない。原宿・表参道・代官山・恵比寿・広尾・代々木・千駄ヶ谷・上原・富ヶ谷・笹塚・幡ヶ谷・初台・本町、これぜんぶが渋谷区なんです。
『#LOOK LOCAL SHIBUYA』は、まちに深く関わり、まちの変化をつくろうとしているローカルヒーローに話を聞いて、まちの素顔に迫る連載です。

恵比寿編SESSION2では、恵比寿の過去と未来のアートシーンを考察します。株式会社スタンダードワークス代表取締役の山本士朗さん、ニューヨーク在住の現代アーティスト山口歴(やまぐち・めぐる)さんをゲストに招き、恵比寿新聞の高橋賢次さんと渋谷区観光協会の金山淳吾が話を聞きました。

>>前編はこちら

経済効果だけで
文化施設を設計しないために

高橋賢次(以下高橋):歴くんは、子どものころに(渋谷区)広尾の絵画教室に通っていたんですよね?

山口歴(以下山口):はい。小学1年から6年まで、広尾商店街の近くにある絵画教室に通っていました。

高橋:歴くんは、その絵画教室でゴッホの『星月夜』を見てから画家を目指すようになったという記事を読みました。子どものころに恵比寿のドメスティックな影響を受けていて、いまの歴くんが生み出すアートの一部になっていると思うと、歴くんの語る恵比寿の話がとても面白い。今日は士朗さんと歴くんが集まっているから、恵比寿の未来の話をしたいんです。恵比寿というまちは、これから何をしていくのか?

90年代の恵比寿は、非常に能動的な人たちが集まってまちの文化をつくっていった。今はどうなっているかというと、恵比寿ガーデンプレイス以外に文化的な場がないと感じています。アーティストがチャレンジする場、取り組みたいことを実験的に行う場がなくて、表現がしづらいまちになっているのではないか。恵比寿というまちをどう新しく、おもしろくしていけるだろう?

恵比寿新聞 編集長・高橋賢次さん
1975年、奈良県生まれ。2009年に『恵比寿新聞』を立ち上げる。恵比寿ガーデンプレイスにあったパブリックスペース「COMMON EBISU」のプロデュース、大学の非常勤講師、各種イベントの企画・運営など活動は多岐に渡る

金山淳吾(以下金山):いま、渋谷駅周辺は再開発の真っ最中です。おそらく、恵比寿もゆるやかに区画整理をして再開発が進んでいくと思います。行政スキームとしては、文化施設を誘導すると容積率の緩和(※延べ面積の敷地面積に対する割合が容積率。容積率を緩和することで大きな建物を建てられる)をするとしています。

僕が課題だと思うのは、文化施設に対する想像力が欠如していることです。たいていの文化施設は、図書館や目的のわからないユーティリティホールです。これが諸悪の根源だと思うんです。図書館やユーティリティホールが悪いわけではなく、これらを単なるスペースとしてつくってしまうから人が集まらない。幸いなことに、渋谷はアイドルの興行が多く、まちにハコが無いからユーティリティホールが使われている状況ですが、本来は「次の文化は何か」を想像した場づくりが必要です。「クリエイターたちにとって、本当に欲しい場所は何か」を考慮した設計がされないんです。

この状況を変えるためにも、クリエイターたちは渋谷を背負って恵比寿から羽ばたいてほしいと思うんです。歴さんのように世界で活躍しているアーティストがいるし、音楽家や作家もいると思う。歴さんのような人たちが、「次の文化施設はこういうもので、こんな人・モノを集めよう。その場に必要な機能と動線はこれだ」と言ってくれるようになるといいと思います。

高橋:実は、そうなりそうな可能性と素地が恵比寿には備わっていると感じるエピソードがあります。2022年に恵比寿駅前の高架下の壁画がリニューアルしました。デザインは完全公募制だったのですが、30件ほどの応募があり、応募者の多くが恵比寿周辺に住んでいました。非常にクオリティの高い作品が多くて、「もしかして、まちの人たちだけで全てのクリエティブがつくれるのではないか」と思ったんです。恵比寿というまちは、培ってきたクリエイティブな素地があるのかもしれないと思ってワクワクしました。

山本士朗(以下山本):金山さん・高橋さんがおっしゃるように、場づくりには最初からクリエイティブな人材が関わらないと良いものはできないと思います。経済効果や法律だけで計画を描いてしまうと、どうしても場があるだけになってしまう。一方で、仕方がない部分があるのもわかるんです。長く続けていくためには、稼ぐことが必要ですから。僕はなるべく経済性に寄り添いますが、そもそもハコの魅力を担保するためにクリエイターと最初から一緒につくることが大切だと思います。クリエイターがもっと積極的に計画段階から入ってくれば、最終的に魅力的なものができると思います。

金山:士朗さんが第一ファクトリーをつくった時代と今では、規模とインパクトが変わってしまいました。昔はもっとスローでしたよね。前編で話題に挙がったブルックリンと恵比寿のまちが変わっていく様相は、まだ良い時代の変化だったと思います。当時は、まちの変化をグラデーションで実感できるスピード感だったのではないでしょうか。

僕は(神奈川県藤沢市)辻堂で育ったのですが、子どものころの辻堂は漁村だったんです。夜8時には真っ暗になるようなまちです。それが、2011年に駅前に大型ショッピングモールができて、一気に地元の商店街がなくなりました。辻堂は”住みたいまちランキング”で上位になったけれど、僕が地元に帰っても、子どもの頃の景色は一つも残っていません。学校帰りの景色も、夜に真っ暗な中で歩いた道もなくなってしまいました。

こんなまちの激変に唯一抗える武器が、文化的な何かだと思うんです。士朗さんが話されたように、クリエイターが最初から場づくりに関わっていくことで変化が起きるのではないか。そして、地元にクリエイティブな人材が育っているなら、まちの外からクリエイターを連れてくるのではなく、地元の人材のプライオリティを上げていくことが大切だと思います。

文化的なものと文明的なものに
境界線を引きたい

高橋:歴くんは今、ニューヨークのブルックリンにいますよね。オンラインで参加してくれていますが、背景のインパクトが大きい! 焚き火をしているように見えます。

歴くんに聞きたいのは、若手クリエイターを育てるような雰囲気がブルックリンにはあるのかということです。

山口歴(以下山口):焚き火をしているんです。実はこの場所は焚き火NGですが、バーベキューをしているということで。ニューヨークの生活ってペースが早くて、静かに休む時間がないんです。

僕がブルックリンに引っ越した当時は、まちが盛り上がっていました。マンハッタンに住めないアーティストが流れてきて活動していておもしろかった。本当に魅力のある場だったけれど、いつの間にか「ブルックリンに来ることがゴールだ」というまちになりました。

正直なところ、今のブルックリンには魅力を感じなくなってきています。ブルックリンのカルチャーは、もう名ばかりになっているように思います。今でも、ブルックリンでおもしろいことをやっている人たちはいるのかな……? お金持ちしかいなくて、白人のまちになっています。

金山:僕は、前職で小林武史(※音楽家。サザンオールスターズやMr.Childrenのプロデュース等も手掛けていた)と働いていました。彼との会話でよく挙がっていたのが、「文化的なまちで暮らしたい」という話です。文化が成熟していくと、文明的なまちになってしまうんです。「本当は、文化的なものと文明的なものに境界線を引けるといいね」と話していました。

おそらく、以前のブルックリンはすごく文化的なまちだったと思います。でも今は、文化的なものに価値がついてしまって、価値がついたものをめがけて文明的勝者たちがやってくる。結果として、ブルックリンは文明的な場所に変わりつつあるのではないか。

そして、恵比寿もブルックリンのようになる危険性があるのだと思います。文化的に育ってきた恵比寿というまちが、文明的になっていく可能性ですね。そこに文化性を取り戻していくために、コミュニティをつくって、もう一度クリエイターと対話をするのはどうでしょうか。恵比寿は、歴さんのような世界的アーティストを生み出したまちです。住民みんながクリエイターのような意識で、「どんなまちが欲しいのか」を話しながらまちづくりをすると、おもしろくなっていきそうな気がします。

渋谷区観光協会・金山淳吾
1978年生まれ。電通、OORONG-SHA/ap bankを経てクリエイティブアトリエTNZQ設立。2016年から一般財団法人渋谷区観光協会代表理事として渋谷区の観光戦略をプランニングしている

若者と高齢者の真ん中にあるものを探る

高橋:僕は恵比寿に住みはじめてから、自分がつくりたいものを持っていたり、想像力豊かに何かに取り組んでいる人たちが周りにたくさんいることに気が付きました。恵比寿というまちは、何か変なことをやっている人たちが住んでいるというイメージが強かった。もう一度、そんな恵比寿を取り戻せないかなと考えています。きっかけとして、歴くんのような海外で活躍しているクリエイターが、逆輸入のようなかたちで恵比寿に回帰しないかな……勝手に大きな期待をかけているんです。

山口:そういう意味で、伝えたいことがあります。
小学生のころに、並木橋の高架下にあったグラフィティを初めて見て衝撃を受けたんです。誰が描いたものかわからないのですが、とてもアイコニックなグラフィティで、銃を持っている男と銃を突きつけられている男でした。たとえば、グラフィティのレジェンドに呼びかけて壁画を描いてもらうのはどうでしょうか。僕が影響を受けてきた恵比寿を、今の子どもたちに見せられたらいいな。そうしたら、子どもたちにとって良いとっかかりが生まれると思うんです。

僕は、ブロンクス(※ニューヨークの行政区の一つ)に7年間スタジオを持っていました。ブロンクスを選んだのは、並木橋のグラフィティを描いていた人たちのような文化的コミュニティがあったから。ブロンクスのそんな環境に憧れたんです。そして、隣のスタジオにクール・ハーク(※ヒップホップ黎明期を支えた著名なDJ)がいるような場にたどり着いたんです。

画面:ニューヨーク在住の現代アーティスト・山口歴さん
数々の色の絵具の筆跡を貼り合わせる「カットアンドペースト」という独自の表現方法で知られる。キャンパスだけでなく、壁や彫刻に制作することも特徴のひとつ。ISSEI MIYAKE MENやユニクロとのコラボレーションで山口さんの名前を目にした方も多いのでは

山口:そんな僕に何ができるのかを考えると、子どものころの僕に影響を与えてくれたグラフィティのOB・OGのつながりを復活させて、たとえばクール・ハークを呼んでイベントをするとか。そんなことができたら良いのかなと思いました。

ただ、難しいですね……士朗さんたちが恵比寿に文化を持ち込んだころとは時代が違うから。その頃の恵比寿は盛り上がっていく真っ最中にカルチャーがつくられていったと思うんです。今は、つくられたカルチャーの上に乗っかっている人が多いから。まちの文化をつくろうと言っても、全く違う話なんですよね。考えていくと、士朗さんはすごいことをされたんだなと思います。

高橋:これからの恵比寿について、士朗さんはどう思いますか? 「こうなったらおもしろい」というイメージはありますか?

山本:今の恵比寿は、圧倒的に若者が多いですよね。それはそれで良くて、きっと渋谷とは違った魅力を恵比寿に感じた若者が来ていると思います。一方で、恵比寿には僕の年代から上の世代の人たちが行く場所があまりないです。文化的コミュニティというと若い人にフォーカスされるけれど、社会を見渡せば今後は高齢社会になるわけです。高齢の人たちの居場所があって、その人たちがつくる文化が現れてくるとおもしろいなと思います。今は、高齢社会の目線が抜けている気がしています。

高橋:とある60代の先輩とお話していたんですが。その時に「私も年だから、夜遊ぶよりも朝に遊びたいんだ」とおっしゃっていました。朝に気持ちよくできる活動があればしたいし、恵比寿にそんな場があればいいのにと。

考えてみれば、ニューヨークには朝も行けるクラブがあったり、朝からお酒を飲む場所もたくさんあります。士朗さんの言うように今は若者にフォーカスすることが多いけれど、先輩がたの行く場所も必要ですね。

株式会社スタンダードワークス代表取締役・山本士朗さん
1986年にサッポロビール恵比寿工場内で『第一ファクトリー』の企画・運営管理を手掛けたことをきっかけに、リキッドルームや代官山ユニットなど数々のホール関連事業を手掛けている”ハコのプロ”

山本:言ってしまえば、クラブ文化は僕たちの世代がつくりあげたんです。その世代がクラブに行かなくなって、場の元気がなくなったという背景があるかもしれない。でも、少し目線を変えて朝にフォーカスしたら、別のアイデアが出てくると思います。こんなふうに、もう少し若者以外にも目を向けてほしいです。

高橋:若者から高齢の方・高齢の方から若者と、年齢を飛び越えるものの真ん中に何があるかを考えるのは大切です。考える過程も、すごくおもしろいと思います。

金山:たとえば、海外に出ている渋谷区出身のアーティストが渋谷に来るときに、「ふるさとだから帰る」ではなくて、「帰りたい場所があるから帰る」という居場所があるのが大切なのだと思います。そして、歴さんに影響を受けた世界のアーティストが、「恵比寿カルチャーはおもしろい」と言って、まちに帰属性を感じたらいい。そんなふうに、まちとカルチャーが巡るシステムが生まれるといいなと思います。

山口:2022年に仕事で日本に帰ったのですが、ずっと赤羽にいました。彫刻の工場が川口にあるから赤羽にいたのですが、赤羽のほうが昔の恵比寿に近い感じがしたんです。まちのごっちゃ煮な感じは、今の恵比寿には無いなと思いました。

高橋:2022年10月に、恵比寿神社の『べったら市』が開催されたんです。3年ぶりの開催で、すごい活気でした。恵比寿の下町感が戻ってきたのを体感しましたよ。

山口:あー! 行きたいっす。お祭りって大事ですよね。

高橋:恵比寿の下町文化は残していきましょう! 僕は、今日対談したメンバーと関係性を保っていたいです。今後の恵比寿にどう関わって、どんな未来を描いていくのか、継続的に話していきましょう。

山口:僕も恵比寿出身ですから、盛り上げていきたい思いがあります。僕が子どもたちに教えるだけじゃなくて、僕も若い子から教えてもらいたいです。

金山:日本ではなかなかパブリックアート(※公共空間にある芸術作品)が育たないです。そもそも、圧倒的に数が少ないです。地元の人たちの手で公共空間をアート化して、まちにクリエイティビティをインストールしていく。そんな機運がオーガニックに立ち上がって、恵比寿から少しずつ共有物を変えていく動きが生まれてくるとおもしろいと思います。

山本:実現するには、行政の理解が大切ですね。

高橋:恵比寿では、「自分たちのまちの色は、自分たちでつくっている」という雰囲気を感じることがあります。恵比寿というまちには、すごく可能性あるのだと思います。まずは歴くんが早めに帰国して、対面で話しましょう! 歴くんの帰国を、心待ちにしていますね。

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