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「鬼滅の刃」から見る、創作における時代の変化

「鬼滅の刃」最終巻読みました。
最後数ページに渡るメッセージが良くて、なぜこの漫画がここまで愛されたのかがよくわかりました。

読み終わってみて、「鬼滅の刃」という作品は、吾峠呼世晴先生そのものだったんだなあと思いました。
もっとわかりやすく言うと、「鬼滅の刃」という作品は、吾峠先生の愛が詰まった作品であり、その愛の大きさがあったからこそ、これ程までの社会現象を巻き起こしたのだと思いました。

これは新しい作品の在り方、売れ方だなあとも同時に思いました。
「作品が面白い」というよりも「その作品を作っている人が好き、応援したい」という気持ちの方が響き、広まっていく。
恐らく、「鬼滅の刃」に対してそのような認識は一般的にされていないでしょうが、僕はそう感じました。

思えば、最新巻を読む前に「鬼滅の刃はSMAPみたいなもの」という話を友人にしました。
その時は「皆がカッコいいと思うものが詰まっている」という意味合いで言ったのですが、今は「皆から愛され、皆を惹きつける魅力がある存在」として同じ言葉を言うでしょう。

「何を作るかよりも、誰が作るかの方が重要」

既にこのことはSNSの普及により、ここ数年で自明になってきてはいますが、日本漫画界という群雄割拠の世界に彗星の如く舞い降り、映画界の歴代興行記録をごぼう抜きして行く程の偉業を成し遂げられた日にゃあ、時代の変化を感じざるを得ませんな。

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