プロを目指し、野球しか誇れるものがなかった自分が野球を失った話。ライブナウを作った大事な想い出
ただいまラオスなうです。
その場のノリと勢いでラオス人とウイスキーのショットを15杯はあけました。飲みサーの時代を思い出しました。いまから一緒に飲み直します(笑)
今日は僕の原体験について。
昨日はライブナウの詳細について話したけど、
じゃあなんでライブナウをやろうと思ったのかの背景のお話です。
高校まで僕は野球をやってました。プロ野球選手になるつもりで、進学先も甲子園常連校から特待が来ていた。けど、自分の力で甲子園に行きたいからと関学に行きました。
しかしそんな順風満帆に見えた高校1年の春。
僕はキャッチボールで暴投を投げてしまい、アメフト部が輪になってミーティングしているところに投げてしまいました。
「どこ投げてんねん!」と怒鳴られ、僕はそれからうまくボールを投げれなくなりました。
5mとかの距離をワンバウンドで投げたり、頭の上を越していったり。調べてみるとイップスという病気になってしまいました。イップスとは精神的な病気で、こういった暴投がトラウマになり、投げる瞬間に筋肉が硬直してまた暴投を投げて延々悪循環になる病気です。
怪我なら待てば治ります。けど、イップスはいつ治るかわからない。結局引退まで治ることはありませんでした。
その日の練習の帰り道は
ショックで絶望し、友達と帰っていたと思いますが、全身の力が抜けたようで、抜け殻のように何も喋っていなかった気がします。
せっかく自分の力で甲子園に行くことを目指して
関学に入学したのに、ピッチャーなのに、
まともにキャッチボールも出来ない。
そんな悔しさや絶望から死ぬ事も考えました。
自分には野球しかないし、野球のためにこの高校に来たのに。
そんな想いがグルグルと頭の中に渦巻いていました。
「自分から野球をとったら何も無い。」
「プロになれない自分なんて存在価値がない。」
「なんのために高校に通ってるんだろう、なんのために生きているんだろう。」
本気で毎日思っていました。
今ふりかえっても、人生で1番の挫折でした。
そんな時にふとYouTubeでヲタ芸というダンスパフォーマンスを知ることになります。
当時AKB48が大流行していて、僕も大ファンでした。
そのきっかけでヲタ芸をしりました。
ヲタ芸は気持ち悪いとかのイメージがありましたが、それは秋葉原のもので、今のヲタ芸は暗いところでペンライトを持ってやるヲタ芸で綺麗だしかっこよかった。
すごく感動しました、同時に自分もこれをやりたいと思うようになりました。
そこからは野球部の練習の合間を縫ってヲタ芸の練習をし始めました。
YouTubeに動画を投稿することがいつしか自分の生きがいに感じるようになりました。
それから2年後、高3の文化祭は校内ステージの1000人の前でヲタ芸をし、みんなが盛り上がってくれました。その達成感と余韻は今でも忘れないと思います。そこでやっと、自分の居場所やもう一度輝ける場所を見つけた気がしました。
「自分は生きていていいんだ、ここならもう一度輝ける。」
そんなことを改めて思いました。そして、自分らしく好きなことで生きていきたいと強く誓いました。
それから大学生活を経て就活をしても、
会社は誰にでも同じことを求めるように感じました。
逆にひとつでも他の人と違ってできないことがあるととても厳しい。
そして、最後まで就活をしましたが、内定を全部辞退しました。
今の社会では個性が輝かない。
自分も周りの人も自分らしく好きなことで生きてほしい。
そんな想いがあり、僕はどんどん新しい生き方の選択肢を提案していきたいと思うようになりました。
その手段の1つがライブナウです。
ライブ配信は中国ではかなり盛んで、日本のYoutuberより多くの人がライブ配信をしながら稼ぎ、生きています。
そんなライブ配信に可能性を感じています。
この想いもどうか知ってもらえると嬉しいです。
今日はそんな感じで!ではおやすみなさい!
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