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実家の愛犬が亡くなった

あまりにも急な別れだった。
まだ家を出て一年も経っておらず、年末くらいから犬は突然耳も目も老化して体調を崩してしまった。

先月末遊びに行くと久方ぶりに元気になったと両親は喜んでいた。
今日も元気そうだったし医者からも気管支が生まれつき悪いけどそこ以外は健康だと言われていた。
だから今日は両親達だけと外食に行って、また週末会いにいこうかな。一瞬だけ会いに行こうかとも思ったが元気だという言葉でやめてしまった。
それだけが、心残り。

愛犬は、本当に可愛かった。
私が寝てる部屋に勝手に入って一緒に寝てるくらいだった。
二代目と一緒にベッドを取られる事も多かった。
1匹になったら頻度は減ったけどそれでも懐いてくれてたし、親に怒られるとすぐに私のところに飛んで逃げてた。

結婚して家を出る時の気掛かりが、犬と母だった。

3代目はわりとさみしんぼう、母は時折友達と遊んだり旅行に行くのが好きな人。
だから私が率先して留守番をして犬の面倒を見ていたがそれが出来なくなる。
家が近い弟一家に頼むとはいえ弟一家には2歳の甥がいる。

すごく心配だったが、私は家を出る選択肢を取った。新しい家族を作ったから。

3代目が亡くなった連絡を受けてすぐ実家に帰った。夫は着いてきてくれた。
実感は湧いてなかったが眠るようにしている3代目を見ると涙と鼻水が止まらなかった。

両親も弟も自分たちがもっと見てれば、と悔やんでいた。

でも3代目は両親の帰りを見届けて、父の腕の中で息を引き取った。
帰りを待つ良い子だった。
うちの犬はみんな、亡くなる時は絶対家族の前で亡くなっている。見てない時に、という事をしない優しい子達ばかりだった。

だから、良い子なんだ。気管支が弱かったけどきっともう病院も車も嫌で、母達に面倒みさせたくなくて、亡くなったんだと元気づける方へ転換することができた。

これが、多分私が『家を出た』ということなんだなと帰りの電車で痛感した。

電車で40分。バスで10分。実家への距離は遠くなったが飛行機や新幹線に比べれば一本で行ける距離だ。

そして夫が着いてきてくれたことが大きい気がした。
夫の前でぐしゃぐしゃに泣いた。
夫に偉かったねって言われながら帰った。

多分、今まで依存してた先が母や犬だったのが夫になったんだなあと思った。
だから慰めることができたし、私より辛い立場の人達を多少俯瞰出来た。

それは喜びと共に少し怖いことだなと感じた。

私は依存先が一つしかなくて破滅した人を何人か知っている。
そういう人ほど心を壊していったのも知っている。
夫は家族で大事な人だからもちろん依存先にしていいと思ったが、今までは
母と犬>家族/友達>趣味/親戚>仕事
というのが、
夫>>>>母(と犬)>父や弟一家や母方親戚>友達/父方親戚/趣味/仕事
という、夫だけが割合大きすぎる気がしている。
それぐらい心を開いてしまっている。

ちょっと怖いなと思っている。
なので敢えて、趣味や仕事も押し上げたいなと思い始めた。
実家に行く頻度は減ると思う。母を外食に呼び出すだけで事足りそうだからだ。
犬がいたから実家に顔を出したし、犬がいたから私は元気に生きれた。過去形だ。

でも、やっぱり寂しい。
会うたびにおやつを欲しがったり、ふわふわの毛を撫でれなくなった事、撫でると気持ちよさそうにする顔、もう見られないのだと思うとまた涙が出てくる。
もううちには犬達がいない。形跡はあるのに、もう誰もあの可愛いふわふわした生き物を触る事も何も出来ない。

だから面白い動画を見つつ余所見しながら、冥福を祈ったり、向こうで会えたら良いなと思うしか無い。

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