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誰かと一緒に生きていくこと。

『夫婦』とは難しいことだ。というのを最近身を以て感じている。

夫婦は唯一の赤の他人である

『家族が増え、互いの血を遺伝子を分け合った子を持ったとしても、夫婦だけはずっと他人』
これは父親の言葉だ。初めて聞いた時は、突然何を言い出すのか。と思っていた。

今としては、父親が言いたかった事が少しわかる気がする。

初めて出会った時に他人同士だったから、自分と違う価値観を持つ人だから、惹かれ恋をして、夫婦になりたいと願ったのだと思う。
夫婦に成り立ての頃は、世界を見る視点が変わり、互いに気持ちが盛り上がっているから全てが素晴らしく、楽しく感じれるものだと思う。

少しづつ時間が経ち、浮きだっていた気持ちも落ち着き出し、しだいに緩やかな時間が流れるようになると、当時は恋愛に近かったのだろうと考えるようになった。愛や恋や好きや嫌いやらで長年暮らしていくのは少し難しいのではないかと考えるようにもなった。

その時に、父親の「夫婦は唯一の他人」という言葉がチラチラと胸の奥をチラつくようになった。

そう、私たちは言ってしまえば他人同士なのだ

これは、決してマイナスの言葉ではない。

他人だからこそ一緒に生きていこうと、互いに決意し結婚したことは、奇跡にも近いことだと私は思っている。
本当は一人で生きていた方がラクであると思う。一人であれば、自分の気持ちだけで物事が決められる。やりたい時にやりたい事をやり、やりたくない事はやらなくても誰にも責められない。それなのに、この人と一緒にこれからの人生を共に生きていこう。と互いに思い、する結婚には奇跡以外何者でもないと思う。

だけど、他人同士が一緒に生きていくのは大変な事が多い。
これまで生きてきた道が違うのだから、そもそもの価値観が違う。出会った頃は魅力の一つだった「違う価値観」は夫婦生活の中では、良い方向だけに行かない事もある。離婚の原因によく挙げられる「性格の不一致」も価値観の話だと思う。

他人同士だから、性格が違うのも、価値観が違うのも、物事の捉え方が違うのも、全部当たり前のことだと思う。
全く違う他人同士が一つ屋根の下で暮らすのだから、すれ違うことのが多いかもしれない。

夫婦は唯一の他人である。だからこそ、互いを理解し努力しあっていかなければ続かない

父親の言葉に足すならば、私はこう続けると思う。

違う考え方を持つのだから、その考え方や価値観を理解しあって、その「違う」をうまく融合できるように努力しないと、続かないのだ。

どちらもが「一人でいいや」と思ってしまうとそこで終わりだと思う。

互いに違う事を理解し、自分自身の考えに相手を押し付けようとせず。
相手の価値観に全て合わせるのではなく、互いが心地良い距離感で「考え」を融合できるように努力し合わないと、20年、30年、もっと一緒に生きていくのは困難な道だと思う。

多様性がたくさん見出されているこの世の中で、この人と生きていくと決めたのだから

簡単に「やめよう」とは言えない、言いたくない。
誰かと一緒に生きていくことは難しいことだが、私はこの奇跡を簡単に手放したくない。と思う。

数十年経って、これを読み返した時。
どんな感想が生まれているかは、楽しみでもあり怖くもある。こんなこと考えていたのかぁ〜と、笑って読んでいる私がいるといいなとは思う。

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