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流産した日

もう流産リスクは少なくなり、きっと大丈夫だろうと思っていた。もうすぐ12週めに入るところだった。

でも、その日のお昼間に、突然出血が始まった。

日曜日だったので、かかっている大学病院の救急センターに電話をして、当直の婦人科医の先生に症状を伝えた。

出血は軽く、腹痛もほとんどなかったので、先生は、「そこまで、緊急性はなさそうなので、明日朝に診察に来てください。ただ、出血がひどくなったり、腹痛が治まらない場合は、また連絡ください。」。

不安ながらも、その時は出血は軽かったので、大丈夫だろうと思って過ごしていた。その時には、まさか流産なんて思っていなかった。ただ、軽い出血は、止まってはいなかった。

夕方になり、腹痛が出てきて、出血が多くなってきた。その時「これはちょっとまずいかも・・・」と思い、母に連絡して、救急センターに連れて行ってもらうようにお願いした。旦那さんは、仕事で9時くらいになる日だった。

母は、すぐに車で迎えに来てくれて、そのまま病院に向かった。病院までの20分くらい、車の中では、母も私も、少し心配ではあったものの、いつもの他愛のない会話をしていた。

ただ病院に着いたときに、自分の違和感に気づいた。出血の量が多く、どんどん悪化しているのだ。座っていられなかった。

救命救急センターでは、様々な症状の患者さんが運ばれていた。患者さんも付き添いの人も、みな不安そうな顔をして、緊迫しているのだ。すごく重い雰囲気で、ただでさえ不安なのに、私は押しつぶされそうになった。

名前が呼ばれた。先生に症状を伝え、診療台に上がった際に、出血が治まらず、床が血でいっぱいになった。
「もうダメなのかも。」とその時に思った。

その後は、あっという間の出来事だった。
先生が、「少し出てきちゃってるかもしれない」と言われて、その後に、すごく残念そうに、なんとなく間接的に、「流産している」と告げられ、その場で処置を取られた。あまりよく覚えていない。

その時は、涙も出なかった。先生が「旦那さんが一緒ですか?」と聞かれ「母が一緒です」と伝えると「お母さまには僕から説明しますね」と言われた。母も悲しむだろうな、と思い、それも辛くなった。

その後に着替えて、先生からの説明を受けた。
それが終わったら、母が待っていた。
母の顔を見たら、やっと何が起きたのか分かったかのように、涙があふれ出て、母の胸で大泣きした。救命救急センターで大泣きした。

仕事中の旦那さんにもラインをしておいた。彼はこんな悲しいラインをどんな思いで読むのだろう。とにかく早く会いたかった。
心配していた姉にも伝えた。

自宅に戻り、旦那さんが帰宅するまでの間、1人でなにをしていたか全く覚えがない。

ただ、悲しかったことと、身体は疲れ果て、腹痛も出血も続き、辛かった、、、ということだけだった。

人に流産を伝えるという行為は、本当に自分が流産した、ということを何度も認識させられる。

#流産 #妊活 #アラフォー #家族 #不妊治療

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