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目のない子猫

15年前、我が家にかわいい命がやってきた。その子の眼は潰れてしまったから目がなかった。
名前は夫がつけた。Zaatti(ザッティ)と呼ぶ
当時日本映画にかぶれていた夫は「目が見えないこの子は「座頭市」という名にふさわしい」でもかわいい子猫だからZatouichi+Kitty=Zaatti

私が長野の動物病院に代診として勤務していた頃、病院も忙しくなり始める5月、生まれて一ヶ月ほどの野良猫が持ち込まれた。持ち込んだ人の家の床下で見つけたと言う。親は近所を徘徊する茶トラの母猫とおそらく兄弟か親子関係にある茶トラの父猫で、後でわかったことだが、後日この2頭は猫エイズ発症で弱っているところを保護されたとのこと。
持ち込まれた子猫は病院に世話と里親探しを一任されたのだった。
子猫3頭のうち、1頭のオスは体も大きく、鼻水、目やにはあったことからウイルス性の猫風邪もかかっていたが大したことはなく、治療で間もなく鼻も目もそこそこきれいになった。里親はすぐに見つかった。もう1頭のオスは片目が感染症による目やにで眼瞼が癒着して開くことはなく片目を失ったが、残った片目は大丈夫だった。この子も1番目の子の次に貰い手が現れた。最後のメス1頭が残った。この子はほかの兄弟に比べて体重は半分ほどしかなく、両目が目やにと癒着でクシャクシャだった。こいつは目が開かないだろうと、院長は安楽死を提案した。案の定、目は開くことなく膿でパンパンになって潰れた。だが、食欲旺盛で、生きるエネルギーに満ちていたこの子を殺す気になれず、家に連れ帰ったのだった。猫エイズ・猫白血病は幸いにして陰性だった。

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私の夫は1年前に大病をし、半年前に退院したのだが、体調がすぐれず、家にこもっていた。体が日常についていけず、精神的にも落ち込んでいたと思う。その夫がこの子をとても気に入り、絶対に飼うと言い出したのだった。それからは猫のいる生活が始まった。夫はこの子猫があまりに可愛くて目に入れても痛くないほど可愛がった。毎日彼女を撮った写真を送ってきたものだった。

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彼女は元気に少しずつ成長し、大きくなっていった。目が見えないことをハンデとしない活発な子だったが、やはり行動には制限がある。
私たちは彼女をあまり人の集まらない公園等に連れ出して遊ばせた。見えないから逃げ出すことはないし、むしろ一生懸命私の後を追いかけて動き回った。彼女を見て声をかけてくる人に夫は名前の由来である「座頭市」の話を誇らしげにするのが常だった。夫が外国人で日本語が喋れないものだから。座頭市をわかってもらうことで人との交流を求めていた。夫もこの頃から、彼女に合わせて外に出るようになった。
11月発情が始まる頃、病院で避妊し、ついでに上下の眼瞼を縫い合わせた。眼球がないから結膜が露出し、涙がずっと出続けていたから、眼瞼を閉じてきれいにしてあげたかった。すると笑っているような愛らしい表情になった。

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この時ひとつ、後から悔やんでも悔やみきれなかったことをしてしまった。子猫は歯が生え変わるときいろんなものを噛むのだが、この子の噛み癖はひどくて私や夫の生傷が絶えなかった。とても気の強い子で要求があるとすぐ噛んできた。あまりに流血が多かったので、短絡的に考えて、手術時に犬歯の一部を削ってしまったのだった。犬歯の頭を少し削ったことで歯髄が露出し、その後、歳を取る前に犬歯が抜けてしまった。Zaatti、本当にごめんね。
この子がうちにやってきた1年目のことだった。

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