「破顔一笑、働きがいのある事業所の実現をめざして」

はじめに

 この度、“ワークセンターわい”という福祉事業所の所長である籔文章さんにお話を伺うことができました。籔さんは“生きがいと意欲が感じられる”福祉事業所の運営に長年取り組んでおられます。籔さんが福祉に携わるきっかけや、仕事の魅力についてお話を伺います。

福祉に興味を抱く

 13~14歳の頃、とあるテレビ番組で盲導犬特集の番組を見て福祉に興味を持ち、盲導犬訓練士になりたいと思いました。しかし、どうすれば訓練士になれるかわからなかったので、高校卒業と同時に“そごう”というデパートに就職しました。デパートに就職した後も「盲導犬訓練士になりたい」という気持ちは持ち続けていたので、日頃から周囲の知り合いに「訓練士の仕事がしたい」と相談していました。

大学を目指す

ある時、日本ライトハウスの屋上で盲導犬の訓練をしているという情報が入り、足を運びました。それから、デパートで働きながら盲導犬の訓練所にも通うようになりました。通い続けてしばらくした頃に“27歳の所長”と話す機会がありました。そして、「本当に盲導犬訓練士として働きたいのであれば、障害について学びなさい」と言われます。私はその言葉に感銘を受け、大学を目指そうと思いました。

福祉事務所への就職

 大阪経済大学に入学し、働きながら福祉について勉強を始めます。大学に通っている間も、福祉の仕事がしたくて仕方がありませんでした。2回生の時、岸和田に福祉事業所ができたことを高校の先生から教えていただき、紹介してもらいました。そして、20歳で障害に携わる仕事を始めました。

当時の障害者に対する風潮

 当時、障害を持っている人が働くことは異例でした。しかし、私は「障害を持っているからと言って、家に閉じ込めることはおかしい」と感じていました。そこで、1977年に“認可外の事業所”を作ることにします。ただ、事業所を建てるための土地やお金はなかったので、当時の岸和田市市長が福祉に力を入れていたこともあり、建物の補助金を支援していただくために何度も市役所へ足を運び、ついには事業所を建てる土地と補助金が予算化されました。

仕事を継続できた理由

厳しい仕事でしたが、障害者の親から「子どもの行く場所ができた」と感謝された経験や、妻の支えがあったから続けることができました。妻は、「あなたの働いている姿が素敵」とひたむきに私を支えてくれました。

理想の事業所を目指して

事業所が肥大化し、古いタイプの施設になる中で、「作りたかった事業所づくり」をしたいという思いが再燃します。当時、常務理事だった社会福祉法人を卒業し、現在所長を務めているワークセンターわいを設立しました。この事業所の目標は、①障害者に自立してもらう。②高い給料を目指す。の2つです。働ければ働くほど稼げるという状態が、入所者の自立心をはぐくむと考えています。

大切にしている言葉

破顔一笑です。「笑っていれば、人生なんとかなる!」という思いを込めています。

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