見出し画像

両親は聴覚障害者。第一言語は手話。

大学の授業で、「五感の中でひとつだけ残るとしたらどれを選ぶか」という質問をされた事がありました。その際、視覚と並んで多かった答えが聴覚でした。「音の無い世界」をその時初めて想像しました。そのくらい、聴覚とは私の中に当たり前に在るものです。
そんな私に尾中さんが聞かせてくれたのは、全く新しい音でした。


■部活に熱中した高校時代 


当時は県内で1番偏差値の高い高校に通っていました。なので、必然的に周りに勉強のできる人が多く、偏差値や大学の話ばかりをすることに飽き飽きしていました。ラグビー部に所属していたこともあり、授業は行かずに部活だけ参加する日もありました。
ある日電車で部活仲間と帰宅しているとき、部活に行くだけで疲れて寝るしかない自分と、疲れても単語帳を見ている他の部員を見たときに「自分は勉強には一生懸命になれない」と思いました。

■常に「人を巻き込むこと」を考えるようになった大学時代 


滋賀大学の経済学部に入学しました。
「いい会社に入り、いい年収を得るために、いい経験を積もう!」と思いました、というのも、当時は人に評価されることでしか「自己肯定感を得る方法」を知らなかったからです。
何かのリーダーになろう!と思い、サークルを立ち上げました。バイトや授業でサークルの優先順位が低い人に「どうすればサークルに来てもらえるのか」を試行錯誤していました。
映像を作る授業をとっていたのですが、どうすればいいものができるのか考えるのが楽しくて、寝るのも忘れて映像づくりに没頭したこともありました。
このような大学時代の経験から、常に「人を巻き込むこと」考えるようになったのです。

■就職後「やりたくない」に気づく 


高い年収でネームバリューのある企業に就職しようと思い、大手のテレビ局と広告代理店を受け、広告代理店を選びました。
仕事は、ものすごく忙しかったです。しばらくして、「やりたくないことに時間を使っている」ことに気が付きました。
社内のあるコピーライターの方に、「自分にしかできないことを作るのが大事」と言われ、それを機に「自分にしかできないこと」を探し始めました。しかしそう簡単には見つからなかったです。 


■転機 


ある日、東京で有名なお団子屋さんの行列に並んでいた時のこと。突然、列が止まったのでどうしたのかと前を見ると、ちょうど会計をしようとしている客に、店の人が大声で何かを伝えようとしていました。その瞬間にその客は「聴覚障害者」だと気付きました。あわててその場に行って、手話で通訳をし、その客からお礼としてお団子を一本もらいました。その団子を食べたとき、鳥肌が立ちました。自分にしかできない事のヒントを見つけた気がしました。
そんなこともあり、会社を辞めます。

■他人と自己を比較することからの逸脱 


聴覚障害者関係の仕事に就こうと思い、聴覚障害者を支援する施設を訪れ、職員の方々と話をするも「聴覚障害者を弱者と意識している事」に違和感を抱きました。
人間関係さえあれば助け合えるし、弱者でなくなるのに…。そのような考えを持てる仕事が無いことに気づき、会社の立ち上げを決意します。

■学生に向けて


どうしても人と比べてしまうと思います。もちろん、人と比べて成長する事もあるとは思いますが、「自分は自分」という意識を忘れないで欲しいです。
意識していることの1割は自分で理解できるが9割は無意識の部分です。その無意識の部分を広げていく事で見えてくるものがあります。
失敗しても良いんです。
むしろ「誰にもできない失敗には価値がある」と考えています。

■今後の目標


①楽しく生きる!
②明るく生きる!
③痩せる! 


英語は勿論、ドイツ語やフランス語でも「こんにちは」くらいは言えるのに、手話で知っている言葉が一つも無い事に気付きました。尾中さんのように、手話が第一言語の方というのは本当に稀で、そしてそれは大きな武器なのだと思います。その武器に気付き、当時の仕事を辞めてまで自分の道を切り拓いていく姿は、本当にかっこいいなと思いました。Silent Voiceの障害者を弱者と見なさない、新しく前向きな活動が、これからも楽しみです。 


今回、取材をさせていただいた方
■氏名:尾中 友哉 さま
■法人名:NPO法人Silent Voice/株式会社Silent Voice
■役職:代表理事/代表取締役社長


記事を読んでいただき誠にありがとうございます! ぜひ「フォロー」と「スキ」をお願いいたします! 他の記事もご覧いただけましたら幸いです!