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ドラえもんから学ぶ災害論

はじめまして。
今年の4月にプラス・アーツに入社した水沼です。
入社順に毎週投稿してきたこのnoteも、遂に僕の番が来てしまいました。正直、防災についても、プラス・アーツについてもよく理解していないので、特に書けることがなく、とても内容に困りました。どうにかネタを絞りだした結果、僕が好きなとある映画の話と大学生のころ宮城県南三陸出身の民俗学者から聞いた話を書こうと思います。


皆さんはドラえもんの映画をご覧になりますか?
僕は小学生のころ、よくドラえもんの映画を観に、劇場に行っていたような記憶があります。
「確か、ドラえもんで自然や災害を描いた映画あったな」と、薄っすらとした記憶を頼りに、映画を探しました。


ありました。
「映画ドラえもん のび太とふしぎ風使い」

早速Amazonプライムで見直しました。
懐かしさも相まって、とても面白く見れました。
簡単なあらすじを説明すると、
ある日、のび太の元へ台風の子ども「フー子」がやってきて、ひょんなことから「風の村」という不思議な村に迷い込んでしまいます。「風の村」には、風と共に生きる「風の民」と風を悪用する「嵐族」が対立しており、のび太たちは「嵐族」を倒そうと闘う、といった内容です。
僕が特に面白いと感じるのは、台風をとても可愛らしくキャラクター化しているという点。
物語りの最後に「フー子」は、のび太を守るために、自ら犠牲になり、巨大な台風になって悪者を倒します。戦いが終わった後、「風の村」に平和が訪れますが、フー子はどこかへ消えてしまいます。
僕はこの災害の描き方が、なんだかとても好きです。


ここで思い出すのは、僕が大学生の時、宮城県出身の民俗学者から聞いた、南三陸の「一切供養」という思想です。

「一切供養」というのは、この世のありとあらゆるものを供養するという思想です。
南三陸は入り組んだリアス式海岸なので、どこからどんな理由で来たかもわからない遺体がよく岸に上がるそうです。身寄りのないその遺体を無縁仏として埋葬し、供養したのが始まりらしいです。僕が驚いたのは、「一切供養」は、人だけでなく、自然や地震、津波も例外ではないということです。家族の命を奪った津波さえも供養するという考え方に、初め強い違和感を覚えましたが、よく考えれば、そこに住む人々は海の恩恵を受けて生きてきました。たとえ、それが家族を奪った存在だったとしても、恨むのはあまりにも酷なのかもしれません。そう考えると、「一切供養」が、海と共に生きる人たちのしなやかで柔軟な考え方に感じられます。

話がだいぶ飛びましたが、
ドラえもんのフー子にも、この「一切供養」に通じるものを感じます。
そりゃまあ、あんな可愛いフー子を恨むのは辛すぎますよね。
防災と直接的には関係ないですが、
災害が共に生きてきた日本人らしい考え方で、僕はとても好きです。

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