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ぐるぐる (96)

 人にアドバイスをするのは難しい。おそらくどんな職種でもそうなのだろう。まずは相手よりも自分が何者であるかをしっかり理解しなくてはいけない。脳(脳味噌と書こうと思ったが、一体誰が最初に”脳”に”味噌をつけて言い出したのだろうか。”味噌”というからには日本人なのだろうが、解剖した時に味噌っぽい色をしていたのだろうか。因みに”かに味噌”は蟹の脳ではなく内臓である。さらに言うなら”そこがミソ”という言葉もあるが、このミソは味噌であり、要点や肝【これは肝心のという意味の肝であり内臓の意味ではないがが、こんなことをいちいち書いてたら()の中にいくつものカッコを作らなくてはいけなくなって収拾つかなくなる。ただでさえ今の時点で()の中が長すぎるのだから】というような意味になる。従って脳味噌の味噌は”肝心の”というような意味になるのだろう。それほど日本人にとって味噌とは大事なものなのだ。)の作りが違うのだから、相手を理解することなどほぼ不可能である。自分がどういう経緯でそう思ったかを話し、後の判断は相手に委ねるのが正しいアドバイスなのではないだろうか。

 先日ある会にてアドバイスを求められてしまった。その会では先輩ゲストが打ち上げで主役の後輩にダメ出しをする習わしになっている。ダメ出しなど当然出来ないと断ったのだが、アドバイスをしてくれとのことなので、どうにか絞り出した。とはいえはっきり言って難しい。何よりお客様も大勢集まったあたたかい落語会だったので、何もアドバイスすることなどないというのが本音だ。落語家などはお客様があってのものであり、自分がどうアドバイスしたところで、お客様の主観や好みと違えば何の意味もない。つまり、『もっとお尻を出したらいいよ』と言ったところで、お客様がお尻を嫌いなら意味がない。本人がお尻を出したいならそれを貫いてお尻を出し、お客様にお尻を出したい旨を伝え、何故お尻を出すのか熱い思いを語れば、お客様が納得するかもしれない。何を言ってるのかわからなくなった。つまり余程のこと、万人が納得するようなことでもない限り、簡単にアドバイスなど出来ないのだ。結局、やりたいことをやったらええんやでとしか言えなかった。

 そうは言っても、つい口が滑って「こうやってみても良いんじゃない?」などと言ってしまうことがある。そんなことを言ってしまったら後が大変だ。何故もっとああいう言い方にしなかったのかとか、こうも言えたのではないかとか、余計なことを言ってしまったなどという考えが頭の中でぐるぐるしてしまう。まあ筆者のようなものの言葉を間に受けたりはしないだろうが、気になる性分でどうも困った。

 みんな何かを言いたい世の中である。何かを気軽に発信出来ると言い換えても良い。あちらを立てればこちらが立たぬ。大概のことは傍観するのみであるが、表現するものとして良いのかと問われると何らかの葛藤はある。しかしだ、幾ら気軽に発信出来たとしても、何でも喋って良いのは素人の皆様だけの特権であり、その特権を奪うには代償を払う必要があることを理解しなくてはいけない。つまり、結局何が言いたいのかというと、シマウマのシマってケツに集中しているね、これはつぶやきシロー大先生のギャグである。お粗末。


『ビーフシチューを作っている著者』


この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com