約1年前に放送されたあるサスペンスアニメへの感想

記事の性質上、下記作品へのネタバレとポジティブでない意見を多分に含みます、それらを見たくない方は閲覧に注意して下さい。

何故このような記事を書こうと思い立ったのかを前置きすると、私が普段ネットサーフィンをしているとある界隈の中で「気になるアニメ」「面白そうなアニメ」の話題をすると相当な確率で上記作品の名前を挙げる方が未だに散見されるからだ(2023/05/20現在)

私が上記作品の評判を聞いて丸一日掛けて全話視聴したのが本年1月初めの頃、前評判を聞いたのもあるが第1~2話の導入部分からとても面白そうだと最初の頃はワクワクしながら視聴していた。

というのも哲学の思考実験である「スワンプマン」を題材にしていると聞き及んだからだ。

TRPG界隈ではniconicoリプレイ動画時代からある有名な沼男を扱ったシナリオ(YouTubeでも”TRPG”と検索するとTOP5近くに出てきて270万PVはある)があり、それに比肩するクオリティ、もしくはリスペクト作品なのかと勝手に期待してしまっていた(よくよく考えれば改変は認められていても商業作品として出すのはNGなのでもしそうであっても限りなく黒に近いグレーなのだが)

しかし第3~5話の前半部分クライマックス辺りからその沼男部分の設定に少しづつ違和感を感じ始め、その疑惑が確信に変わったのは8~9話辺り、具体的には

・ドッペルゲンガーは超人的な力を持つ
・敵勢力の目的は島民を全て飲み込むこと(人をスワンプマンに変える事は手段であって目的ではない)
・ドッペルゲンガーは平面(影)が弱点

この辺りの設定が出だしてからは私は急速にこのアニメのストーリーへの興味が薄れていき1つの懐疑的な気持ちを抱きながら視聴するハメになってしまう、それはniconicoでTRPGのリプレイ動画を貪るように漁っていた者として、この話に出てくる設定のほとんどが”どこかのシナリオで見たような内容”だからにほかならない。

これ以降も物語が進むたびに加速度的にキャラクターの設定、戦いに駆り出される小物や”影”の正体とその背景等、様々な要素が肉付けされていくのだがほとんどの要素がその辺りからひっぱってきた代物にしか見えなかった。

例を挙げるとすれば物をコピーする設定、ここだけやたらと詳細に緻密な設定が説明されるのはTRPGでプレイヤー側が有利になりすぎないようにゲームマスター側が押さえつけるような形で”枷”を付けるのとほぼ変わらない原理で、それをそのまま見せつけられた形でしかない。

そもそもなぜ私がこのような物の見方にならざるをえなくなってしまったのか、その原因はこちらの作者インタビューを見れば大体を垣間見る事が出来る。

「絶対に面白くなる確信があれば、最初の設定にはこだわらない」
大層なことを言っているように見えるが、作品を見終わった後だと行き当たりばったりのノリと勢いで作り上げたとしか聞こえないんです。

作品の原点は2008年の読み切り作品であるドッペルゲンガー物に2016年に海外ゲーム記事(別のインタビュー記事参照)からループ物の着想を得てそれぞれの要素を掛け合わしたしたとあるが、そこからわざわざ「沼男」の名前だけ間借りしている時点でほぼ確信的に某有名TRPGシナリオをオマージュしようとしているし、その証左としてこのインタビュー記事内でも堂々とCoCの資料を出してきている有様。

物語の最終決戦は某有名同人ゲーム原作とほぼ同じ流れにしか見えなかったし、ラストの大オチも某有名土着・民族的ホラーゲーム作品そのままの内容でいわゆる”パクリ”と揶揄されても仕方がない展開を見せつけられ、それまで以上に興ざめするしかなかった。

それを裏付けるような「連載中に12作品のゲームをクリアした」とかいう余談、本当に蛇足でしかないです。


なんなら作品名だしちゃってるし

影響を受けてるっていうかあのゲームクリア後に見られるムービーがこの作品ラストの展開そのまんまだし、アーカイブとそれらを「参考」で済ませられるレベルかというと知ってる人間が見た瞬間に元ネタが判るレベルなんですが…これらのインタビュー記事を読むだけでも上記に記載した通りの「どこからかひっぱってきた」という着想が万遍なく散りばめられた作品だという事が判ると思うのですが、この作品の作者自らが発想したであろうと思える要素は”ヒロインが最後までスク水””バディでループする””影がコピー(スキャン)する時にシャッター音がする””影の損壊表現がモザイク”ぐらいしか私には認識できませんでした、後者2つに到ってはヒルコ伝承と一体なんの関係が…?

ラストの展開は最初からきまっていたとあるが「約300年もの間、年平均4人の生贄を捧げても衰弱してしまっている島の神様的存在が2018年7月24日というピンポイントなその日に島民約700人を全て平らげる=生贄に捧げるだけで本来の力が戻って外なる世界へ帰れる」という筋書きには最後の”外なる世界”のCoCライクな設定を使いたいがための”それありき”にしか見えないし(蛭子伝説自体も日本が舞台のCoCではわりとポピュラーな存在)そのお陰で結局この作品のストロングポイントの一つだと思われていたスワンプマン要素が形骸化してしまっている。

ただ単にスク水ヒロインとのボーイミーツガールがしたいだけなのであればループ、ドッペルゲンガー、サスペンス(バイオレンス)要素のうち2つは邪魔でしかなかったと思うし、特にスワンプマンという思考実験としての解が作品中に無いのであれば題材としてそれを取り上げる必要性があったのかと作者に問いたい。

タイムリープ物でロマンチック要素を結びつけて大成功を収めた作品はシュタゲで証明されて…と、ここまで書いた所でOP最中のクレジットで原作者の次にデカデカとした文字で書き出してある7名を思い出す。

アニメ化の際に携わったであろう各会社の錚々たる顔ぶれ

この作品はアニメ単体で見るのであれば作品制作に携わった映像制作会社、声優陣の熱演等は一定水準以上のクオリティであり、その部分に関しては正当な評価を受けるべきであると思う。

しかし放映当初は「Disney+」による独占配信だったという点については色々と疑問が残る。

《ディズニー+独占配信とかやってなきゃもっと流行ってたはず》だそうですが…

流行ってたら私と同じ評価を下す視聴者が放映当時にもっと出てきていたと思う、はっきりいって原作連載をしていただけならまだしもコレをアニメ化して世に出すまで漕ぎ着けた上記企画者達には嫌悪感を覚えると共に、映像作品として今後もこの作品が近年の”タイムリープ・サスペンスアニメ”の代表作のように取り上げられてしまう可能性にとても強い抵抗感を覚えます。

昨年11月に独占が切れて国内配信が解禁されたそうですがCoCTRPGの版権をもつKADOKAWA関係者がこの作品をどう思ってるのかとても興味がありますね、界隈で隆盛を極めたniconicoでこの作品の配信が無いという点もここまでくるとイヤでも邪推せざるを得ない。

この作品のネット上の評判を調べてみるとポジティブな意見としては近年のタイムリープ系の傑作と同レベルだとする称賛の声があるみたいですが、商業的な見方をすればまったくそれらには届いてはいないでしょう。

ネガティブな意見としてはやはり上記に挙げた2大作品とのそっくりな展開についての批評が主な争点であるのだけれど、それはこの作品が抱える問題点の一部分でしかないという事実をできる限りもっと多くの人達に伝えたい所存です。

ジャンプで同作者の”瞳のカトブレパス”をリアルタイムで購読していた時は「可もなく不可もない凡才だなぁ」としか思っていませんでしたが、年月によって画力は向上しても漫画原作者としての作家能力がここまで落ちぶれてしまうとは…

結論としては
オマージュと言うには節操なく様々な作品のアイデアを取り込んでおり、それぞれの作品へのリスペクトを私はほぼ感じられなかったし、インスパイアされたと言うには作者自身の独創性がそれらと結びついている事もほとんど無く、ただ何の捻りもなく元作品のアイデアをコピー&ペーストしただけのような場面は枚挙にいとまがない。

人の褌をかき集めるだけかき集めて相撲を取っただけの代物を”面白い”と勘違いして世にだしてしまう関係各所の無責任さには恐怖と憂いの感情しか持つことができません。