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北京人おっさんと行くタイ珍道中 6


台湾ヤクザ御一行と共にメコン川を渡り切ってタイに入国。ここの入国管理施設は陽気なタイ人のおばちゃん職員がガンガン話しかけてくる。宿泊地にMae Sai Hotel(注:一般名詞の「メーサイのホテル」ではなく、固有名詞の「メーサイホテル」である)と書くと、「ほんまにMae Sai Hotelなん?チェックしにいくで?」と探りを入れてきた。しょぼい賄賂を取ってくるラオスの職員とは大違いである。腐敗していない末端の公務員、ちゃんと舗装された道路、セブンイレブン。タイはとてつもない先進国に見えた。

おっさんと再会し、ソンテウで再びメーサイへ。おっさんの奢りで晩飯を食らい、オタク汁まみれになった服をコインランドリーで洗う。スコールが降っていたが、洗濯が終わると雨も止み、メーサイの街は静かになっていた。

コインランドリー猫
北京人のおっさんの奢り。

翌朝、メーサイのバスターミナルからグリーンバスに乗り、一路チェンマイへ。チェンライから乗ってきた自称香港人のおっちゃんと仲良くなり、英語(私・同行者・香港人),中国語(私・北京人・香港人),広東語(私・香港人),日本語(私・同行者)というカオスな会話が繰り広げられたりした。自称香港人のおっちゃんは簡体字のサイトをずっと見ており、我々一行の間では広東人ではないかという噂が立っていた。あと、香港ドンキの話をしてもピンと来ていなかったようなので少なくとも2,3年は香港にいないことがわかった。

北京人のおっさんがチェンマイで金三角に詳しいやつを召喚してやると言い出し、雲南の回族(チンホー,パンゼー)を呼んでくれたのだが、残念ながら彼は弟の葬式で出て来れなかった。代わりに、何やってるかわからない東北人のおっさんが召喚された。チェンマイの城の中心にあるデカい寺ワット・プラシンにソンテウで向かうと、東北人おっさんがタバコを吸いながら待ち構えていた。東北人おっさんは東北訛りで何を言っているのか全然わからないし、北京人おっさんを遥かに凌駕するマシンガントークで通訳担当の私を困らせた。


ワット・プラシン
ご本尊

とりあえずワット・プラシンを見学して昼メシを食う流れとなった。美味い店知ってるからと言われて連れて行かれたのはなんとしゃぶしゃぶ屋である。タイまで来てしゃぶしゃぶかいなと思いつつ、タダ飯なので特に文句は言えない。東北人おっさんはマシンガントークで東京の家賃はどうだ、日本の給料はどのくらいだ、それだったら中国で働いた方が良いとずっとカネの話をしていた。マシンガントークでずっとカネの話をしてくるのはステレオタイプもステレオタイプの中国人像であるが、流石の北京人おっさんも辟易していた。結局のところ東北人おっさんは本国で思うように稼げず、カネがなくてタイに来たらしい。マシンガントークの通訳に疲れ、しゃぶしゃぶの味は覚えていない。何しにタイに来たんだろう。

東北人おっさんはオレは金三角は詳しいんだと豪語するので色々聞いてみた。詐欺タコ部屋(詐騙園區)について知っているか?と訊くとあれはハイテク産業団地で騒がれている程のことではない、ネットで尾鰭がついて騒がれてるだけのことだと言う。そんなはずはあるまいとは思うもののそんなに自信満々に返されると反論出来なくなってしまう。彼は逆に、金三角の麻薬の最大の顧客は誰か知ってるか?と聞いてきた。アメリカか?と訊くと、彼はタイ王室だと言う。タイ国民なら誰もが知っていると言っていたが、本当なのだろうか。少なくとも、なんの証拠もないし、公の場でこれを言うと不敬罪に問われること間違いなしである。

しゃぶしゃぶ
マシンガントークに耐える。
寿司?

東北人おっさんと別れ、最後にターペー門で記念撮影をして宿へと向かう。バスターミナルの近くに宿を取ってあるので、朝早くても大丈夫だ。フロントの横で酒を飲みつつ、タイの夜はまた暮れてゆく。タイのビールはシンハーよりチャーンの方が好きだ。ビールが苦手な私もチャーンのスッキリした喉越しは嫌いになれない。

ターペー門

北京人おっさんと一緒にいるのもややマンネリ気味になってきたので同行者と2人で夜のチェンマイ市内を散策することに。同行者がロイクロ通りに消えていったので、私はその辺でタイ式マッサージを試してみた。ゴギギギギギギギ。アッッッッ!ガゴゴゴギ。
身体中のダメなところが解された気分になった。大体250バーツだったと思う。1000円でこれは格安かもしれない。

夜のトゥクトゥクは気持ちがいい

一度宿に戻り、バスターミナルの近くを歩いていると、2匹のイヌが吠えながら猛スピードでこちらに向かって走ってきた。本能が脳に危険信号を知らせ、猛スピードで走り、奴らのナワバリから抜け出した。タイに来てイヌに追いかけられたのはこれで2回目となる(1回目はムラ)。そんなこんなで色々疲れ果ててチェンマイの朝を迎えるのだった。


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