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整形外科の待合室にて。

娘と私は、意外とよく似ているのかもしれない。


意外とご近所にあった整形外科は行ってみるとこれまた意外に大きくて、受付を済ませて案内された待合にはざっと30人くらいの人がいた。
ぱっと見9割の方がご高齢の方だった。
車椅子の人、杖をついている人、付き添いの人といらしてる人。
皆さん何かしらの痛みや怪我を抱えてらっしゃるのだろうなと思いながら、なるべく邪魔にならないように立って待った。
何せ抱っこ紐の中の3ヶ月児は母が座ろうものなら自分が起きていようが寝ていようがお構いなく『立ちなさいよ!』と声をあげて抗議するので。3ヶ月の股関節健診に初めてこの病院へ来たこの日も、もれなく待合のすみっこでゆーらゆーらと揺れていた。
15分程待っただろうか。
子の名前が呼ばれ、診察室前の長椅子に案内された。

そこに座っていたのは仲良くお互いの出自を話し合う、おそらく初対面であろうご高齢の男性と女性。そしてご高齢の夫婦。
歳を重ねると初対面同士でも自分の苗字の由来から子ども時代の思い出まで話せてしまうものなのだなぁと聞き耳を立てるまでもなく聞こえてしまった話にちょっと感心しながら待った。
やがて仲良さそうに話していた男性の方が診察室へ吸い込まれていった。
この病院では診察になる人が呼ばれると、その次の診察の人にも声がけがされているらしい。優しそうな恰幅のよい看護師さんが男性を送り出した後、次はあなたですよと名前を呼んだのはご高齢の夫婦の奥さまだった。たぶん長く農業に従事されていたんじゃないかしら、腰からほぼ90度に前傾したその姿は、亡くなった祖母や農協の集まりにいた地域のおかあさんたちを思い起こさせた。

「わたし、呼ばれましたよ」

そんな声に振り向くと、その奥さまが診察室へ入ろうとドアに手をかけたところだった。
まだだよ座ってなよと旦那さんが声をかける。しかし奥さまは納得しない。見かねた話好きそうな先ほどの女性が「次に呼ばれるみたいですよ」と声を掛けると、奥さまはやっと納得されたのか長椅子に座り直していた。
あぁ旦那さんは多分ご苦労されているんだろうなぁと思いながら何となく状況を把握した。
長椅子に座り直したおばあちゃんは話好きの女性と話すうちに、その女性の先にいる私と赤子に気がついたらしかった。
「まぁ!赤ちゃんはいいよねぇ!」
こちらを見てニコニコと話しかけて下さった。
「うふふ、ありがとうございます」
「男の子?女の子?」
「女の子なんです」
「あらそう!男の子!」
まぁーしっかりした男の子だこと!
抱っこ紐から頭だけ出している娘を見て、おばあちゃんは愛おしそうにそう言った。

うん。確かに父親に激似なのよねうちの娘。
髪の毛はまだすだれハゲ状態だし。
抱っこ紐に隠れちゃうから可愛いミモザ柄のロンパースも見えないしね。ってかミモザしらないかもおばあちゃん。

一瞬でそんなことを考えているうちに、目の前のおばあちゃんは娘を見ながらしきりにかわいいかわいいと言ってくれていた。
その後も名前は決まったの?と聞いてくれたり
(私が言った名前がいかにも女の子の名前であることに一瞬戸惑われたようだったけれど、次の瞬間にはもう「しっかりした男の子だ」と心からのお褒めの言葉を頂いた)
お話好きの女性がそれとなくソーシャルディスタンスについて指摘してくださったのを、そうだそうだと頷きながら娘の頭を撫でて下さったりした(まぁ家に帰って娘の保湿ついでに頭も拭いてあげればいいやと思って撫でてもらった)。
視界の端にいたこのおばあちゃんの旦那さんはきっと気が気じゃなかったと思う。そして恐らくきっと、色んな病院に奥さんを連れて行くたびにそんな思いをされてきたんだろう。
視界の端から何となくそんな諦めと羞恥と苛立ちの視線が感じられたから。

自分の家族が認知症になったとき、その事実を頭では理解できても、患者家族はすべてを受け入れて常に適切な行動と対処ができるとは限らない。むしろ家族ほどその現実を受け入れられないものだ。
病気が進行すれば渦中の本人は自分が病気だとは露ほども思わなくなるし、本人は自分の正確な年齢ではなく自分が今認識している記憶の中の年齢に逆戻りしてしまうこともある。だからあのおばあちゃんは旦那さんの付き添いでこの病院へ来たと言ったのだし、自分が認識している事実と違うことを旦那さんに指摘されて意固地になっていたのだろう。
それでもあのおばあちゃんが怒り出したりしなかったのは、病気になる前からきっとあのおばあちゃんに人当たりの良さがあったからだろうし、今までずっと隣で見守ってくれてきた旦那さんがとても優しい人だからなんだろう。

ようやくおばあちゃんの名前が呼ばれ、ご夫婦は診察室へ吸い込まれて行った。

無事に扉が閉まったのを見て少しほっとしていると、さっきの話好きの女性が話しかけてくれた。

「あのおばあちゃんはきっと認知症だね」

よく見るとあのおばあちゃんとあまり年齢が変わらなそうなその女性は言った。

「ああいう人を毛嫌いする人もいるけど…あなた偉かったわねぇ」

「あらーそうですか!ありがとうございます」

実は母が介護の仕事してるんです、と付け加えると、神妙な面持ちで頷いて下さった。
その後も退屈な待ち時間が気まずくならない程度に、ぽつりぽつりと話をしてくださった。
おかげで、自分が眠いときに母が自分に関係のない話をしているとよく寝る娘は、抱っこ紐の中で静かに寝息を立ててくれていた。
その後まもなく娘の名前が呼ばれ、娘の股関節には何の異常もないことが分かり、診察室を後にした。
帰り際にあの話好きな女性にお礼を言った。
さようなら、と丁寧に返して下さった。
別れのあいさつなんて久々に言われた気がした。

診察後の書類の処理を待っていると、会計前の待合にあのご夫婦が座っているのが見えた。
娘を見つけたおばあちゃんがまたあの旦那さんを困らせるといけないので、おばあちゃんの視界に入らないよう、少し間を空けて立って待つ。
意外とスムーズに会計は済んで、ご夫婦は帰って行った。


おばあちゃん、うちの娘を「男の子」って言ってくれてありがとうね。
実は私もね、赤ん坊の頃は外に出ようものなら会う人全員に男の子と間違われていたらしいのよ。
母がそれを気にかけて、私に赤やピンクや花柄のお洋服を着せてくれてたらしいんだけどね。
どこへ行っても
「かわいいですねー!男の子ですか?」
と言われて、仕舞いには母も否定しなくなったとか。
だいたい赤子に性別を聞くこと自体間違ってるよねぇ
って笑う母の事を思い出して、ちょっと嬉しかったんだ。
だってあんまりこの娘は旦那にそっくりなものだから。もしかしてひとつも私に似てるところはないのかと思ってたの。
おばあちゃんのおかげで、娘はやっぱり私の子なんだなぁって思えたよ。
ありがとうね。


どうかあのおばあちゃんと旦那さんが、穏やかな季節を過ごせますように。

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