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夫婦ってやつぁ

たとえばあなたの奥さんが、あなたが連休中に5日間ほど出張だというので、「世間が楽しんでる時期にワンオペはつらいし」と、幼子を連れて奥さんの実家に1週間ほど帰ったとする。

そうして連休明けに帰ってくる。

家のドアを開けて、ただいまーと言ったところまではよかったが、中に足を踏み入れてくるにつけ、なんだか奥さんの雰囲気がすぐれない。「なんか、臭うね……」とか言い出す。台所の排水口を見て、ふう、とか静かにため息をついている。かといって、はっきり物を言うわけでもない。やぶからぼうに「掃除機かけた?」と言うので、「朝気になるところだけかけたよ」と返答すると、「ふうん……」とだけ言う。おい、なんなんだよ。

なんなんだよ。こっちは連休明けの忙しい平日に、わざわざ時間をつくって空港まで迎えにいったというのに。そのもやっとした雰囲気はなんなんだ。あなたは奥さんの、はっきりしないがやんわりと不機嫌な態度にいらいらする……かもしれない。

以上はノンフィクションまじりのフィクションだ。ただ、今回は上記のようなシチュエーションにおいて、奥さんの脳内でどんな思考が繰り広げられているかをお届けしたいと思う。

といってもこれはあくまで個人的な思考なので、「そんなこと全然思わない」という奥さんも世の中には多数おられると思う。あくまでごく一部の限定的なケースとしてご笑覧いただければうれしい。

ただ、昭和の終わり生まれで平成育ち、よくも悪くも中途半端に男女平等を意識させられるなかで学び働いてきた世代の奥さまであれば、もしかするとちょっと近しいところもあるかもしれない……とだけ、書き添えておこう(ああ、もう元号をこうやって使えるような年になってしまった)。

* * *

子とふたりのフライト。子のご機嫌をとりながら、あの手この手で乗り切り、ようやく着陸。抱っこをせがむ子(15kg)を、よいしょと担いだり歩かせたりしながら、なんとか荷物受け取り口にたどりつく。

到着口には夫が迎えに来てくれていた。連休明けの平日に、とてもありがたいなあと思う。子もひさびさに会えたパパに嬉しそう。ホッとする。

車で送ってもらって、ひさしぶりの我が家へ。

ドアを開ける。ただいまー。

”あー、帰ってきたぞー”

と思ったが、足を踏み入れると、おやなんだかじめっとしている。そしてなんだか臭い。生ゴミかな、排水口かな。思わず、「なんか、臭うね……」とか言ってしまう。わたしは精神の鍛錬が足りないのだ。窓を開ける。

外は気持ちのいいほどの快晴。でもなぜ、たくさんの洗濯物を部屋干ししているのだろう……。そらじめっとするわ……。いやいや、考えたら自分で平日の朝に洗濯したってだけで偉いよなあ。きっと、朝忙しくて外に出す時間がなかったんだ。そうに違いない(と思おう)。

食洗機には、いつ回したのかわからない食器が入ったまま。子が不在だったのに、子のコップが入っているということは、少なくとも夫の出張前に回したものだろう。しかもそのコップは、ひっくり返って中に水がたっぷりと溜まったままだった。い、いつの水だ、これは……。

食洗機のゴミ受けには食べ残しが溜まり、もちろんシンクの排水口にも生ゴミが溜まり。目にするたび、「まあそうだよねえ、出張もあったし、忙しいよね」という気持ちと、「ああ、落ち着ける家に帰りたい……」という気持ちが頭のなかでがっしゃんこして、ふう、というため息になってしまう。

そう、落ち着ける家に帰りたい。すべてのため息の元凶はここなのかもしれない。

「はー、ただいま。やっぱ家が一番落ち着くわ〜」って、ドサッとソファとか座ってみたい。

まあ、いい、とりあえず座ろうかと椅子や床を見ると、髪の毛やホコリが目立って座る気になれない。落ち着けない……。思わず「掃除機、かけた?」とか、ひと昔前の姑かよわたしは!と心の中でセルフツッコミしながらも聞いてしまう。

「朝、気になるところだけかけたよ」と聞いて、そうか、かけてくれたんだ……と思いつつ、そうだった、「気になる」ラインが違うだけだった……と思い出し、「ふうん」とか煮え切らない返事になってしまう。

室内の物干しには、私たちが出発する前、つまり1週間前に洗った子の服がそのままハンガーに吊るされていた。い・つ・の・だ・よ!と思いながら、うん、忙しかったんだよね、そうだそうだ、と息を吸い込み、吐く。

はあ、ひとまずトイレでもすませて落ち着こう、とトイレに入ったら、もちろん黒い輪ジミ……通称さぼったリングができていて、便座もかなり汚れている。こちらも座る気分になれず、便座をトイレ拭きシートでひととおり拭いて、貼ってあった便座シートも全部捨て、さぼったリングをごしごし落とした。

手を洗おうと洗面所に立つと、わかっちゃいたけど水垢のピンク汚れがかなり目立つ感じになっていた。無言でメラミンスポンジを手にとり、ピンク汚れをこする。

くっそこれ全部noteに書いてやる、怒りやイライラじゃなくて、カレーみたいに一晩寝かせて哀愁と笑いに変えて書いてやるんだから……とよくわからない熱を帯びながら、メラミンスポンジで洗面台のピンク汚れをごしごし落とした。

noteがあるおかげで我が家の平和は保たれている。

* * *

あなたの奥さんは、あなたとケンカしたいわけではないのだ。

忙しい中、空港まで迎えに来てくれたり、快く実家に長期滞在をさせてくれたり、とても感謝している。だから、ケンカなんてしたいと思っていない。ほんとうは、「やっぱ家は落ち着くねえ」なんてにこにこ笑っていたい。

ここまで書いてきたようなことを直接伝えると、どうしてもケンカになってしまいそうでいやなのだ。だってケンカしたいわけじゃないんだもの。

だからおそらく、金平糖みたいな、ひとつひとつはとってもちっぽけな気持ちのイガイガボールを、ごくりごくりと丸呑みしてゆくのだ。ときにガリッと奥歯で噛んじゃって、結局しかめっ面をして「ふう」なんてため息がもれていたりして、全然隠しきれていなかったりするのだけれど。

でもイライラ金平糖を飲み込んでいると、胃のあたりがイガイガしちゃって、「もう、ちゃんとお片付けしなさいって言ってるでしょう!」なんて、子どもに八つ当たりしてしまったりする。

八つ当たりなんてしたくはないのだ。ああ、やっぱり精神の鍛錬が足りない。そんな自分がまた嫌で、新しいイライラ金平糖が増えてしまう。

* * *

ところでここまでの話を読むと、わたしがやたら清潔好きというか、神経質な人間みたいだが、そんなことはまったくない。ここは大切なところなので誤解なきように補足しておきたい。

これまでのnoteにお付き合いいただいている方にはもはやバレていると思うけれど、お仕事モードのときはさておき、私生活ではもうだいたいがズボラでいいかげんな人間である。

先のピンク汚れだって、ちゃんとした奥さまはピンク汚れにならないように日々こまめにちゃんとお掃除するところ、ピンク汚れが見えてからようやく腰をあげるところが、もうスタートラインからしてダメなのだ。そんな自分が、妻として不足ないよと受け入れてもらえる場というのは心底貴重だと思う。

もちろん掃除のしかたも適当なので、実家で掃除しようものなら、母から静かにダメ出し(というか追加の指示)が飛んできて、己のズボラ度を再確認する。え、そんなとこ気にするのか、って。

だが私にとっては几帳面にうつるそんな母も、自分ではズボラを自称しているし、実際きらきらした奥様勢からすると適当だろうなと思うので、ひとくちにズボラといってもそこには「ズボラ階層」が存在するのだとわたしは理解している。私の身の回りの場合、掃除や清潔に関するズボラ度でいうと実家の母<私<夫なのだろう。

「どこから掃除したくなるかライン」は、ズボラ勢の中でもひとりひとり違うのだ。そりゃ考えてみれば当たり前なのだけれど、ここを意識しておかないと、無駄にイライラしてしまうので案外大切なポイントだ。

そうしていろいろと考えていると、掃除や清潔に関するズボラ度が「私<夫」であることは、ひょっとしたら私にとっては「欠かせない幸せの条件」なのではないか、という考えにたどり着き始めた。

たとえば逆の場合を想定してみる。夫から「ここちゃんとノズル変えて吸ってよ」とか掃除のダメ出しをされたり、「え、ちょっと排水口のゴミちゃんと捨ててよ」とか「もっと毎日きれいに掃除してよ、ピンク汚れできてるじゃん」とか言われる日々だったら……。だめだ、耐えられない。

もちろん夫婦のバランスはご家庭それぞれなので、一律に掃除や清潔に関するズボラ度が「妻<夫」がよい、と言っているつもりはまったくない。ただ我が家においては、そうであることで、他でもない自分自身が救われているなあと、思った。

* * *

ああ、つくづく夫婦ってやつぁおもしろい。

カッとなってピンク汚れをガシガシこすっていたときに抱いていたむしゃくしゃした思いはいつしか消え、noteに書こうと思っていろいろ頭のなかで考えを深めているうちに、至った結論はつまるところ「ああ、このひとと結婚してよかったなあ」である。めでたし、めでたし。

と終わればまあきれいだけれど、実際のところはこういうささいな気持ちのアップダウンを、お互いに繰り返しながら、夫婦というのはつづいてゆくものなんだろう。

だって違う人間なんだから。”育ってきた環境が違うから〜好き嫌いはいーなめーないー”んだから。ああ、もう令和か……。

時代のことに思いを馳せれば、わたしが書いたようなイライラポイントなんて、昔はイライラするポイントになりうるとも思われていなかったのだろうな。実家で父の振る舞いを見ていてもそう思う。時代とともに、パートナーへの期待感があがっているっていうのは大いにあるよね。

子が大人になるころには、どんな夫婦像がふつうになっているかなあ。このnoteを読んで、ああ、そんな時代もあったんだよねえなんて、話したりしているだろうか。


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