見出し画像

“Just leave it !!” の考え方で、生きるのはたぶんラクになる 【2/4】【ワーホリ、その後 #007】

※本記事は全4回の第2回です。【→ 第1回を読む 】

■ タスマニアで、運命の出会い

オーストラリア到着から半年が過ぎ、そろそろ2年目のビザのために農場へ行こう、と思い立った彼女。

オーストラリアでは、農場で一定期間以上働く、などの条件を満たすことで取得できるセカンドビザなるものがある。それを取得するために農場で働こうと考えたのだ。農場での仕事を手伝う代わりに食事と宿泊場所が提供される制度「WWOOF」を利用し、タスマニアへ。

でもなぜ、タスマニア?

「漠然と、行ってみたいなーと思ってて。よく聞く地名は他にあったんだけど、なんとなく、日本人の多いところには行きたくないなと思ってたんだよね。あとは、タスマニアすごくよかったよ!って友だちが言ってたりとか。で、タスマニアが呼んでる!と(笑)」。

実際、彼女はタスマニアで運命の出会いをすることになる。それについてはまた後で。

そうして意気揚々と乗り込んだタスマニア。だが、1軒目のステイ先は失敗だったそうだ。通常、WWOOFというシステムでは、1日のうち半日ほど労働して、残りはフリータイムになる。だが彼女のステイ先ではその規定が守られておらず、実態は強制労働のようだったという。

「朝から晩まで息つく暇もなくて。しかもホストのおばちゃんがすぐキレる。話に聞いていたWWOOF生活とあまりに違うから、『え?』ってなって。一緒にステイしていたフランス人も、ある日突然夜逃げしてたよ。公道に出るまで歩いたら30分くらいかかる真っ暗な田舎なのに、それでも耐えかねて」

やむなく彼女も「日本へ帰る」と嘘をつき、そのステイ先を抜け出した。次のステイ先を選んだ基準は「万が一、何かあってもすぐに逃げられる環境のところ!」。そして移ったのが、バス停が目の前にあるオーガニック農場だった。

「そこではラズベリーのピッキングやジャムづくりが仕事。労働時間も半日くらいであとは自由時間、という、まさに話に聞いていたようなWWOOF環境で、すごくよかった」。そして彼女はこの土地で、2ヵ月半ほど滞在することになる。

未来の旦那さんとなるその人と出会ったのも、この農場。そこは、彼の友人の家だったのだ。

未来の旦那さんは年末の長期休暇を利用して、その家へ遊びにきていた。例年なら1月はすでに帰っている時期だったが、この年はたまたま帰りの飛行機をキャンセルして、長く滞在していたという。そして、そのタイミングで訪れてきた彼女と出会う。

いつの間にか自然と一緒にいることが多くなって付き合い始め、結局3月までその農場でともに滞在していた。最後に一週間、キャンピングカーをレンタルしてタスマニア一周旅行をして(↑写真)、シドニーへ戻る。

「結局、シドニーの空港についたらその彼氏の弟が迎えに来ていて」、そのまま彼の実家へ連れてきてもらい、一緒に暮らすことになった。「なんか、勢いだよね」と笑う。

出会って1年後には結婚、実家の隣の家が空き家になったためそこへ引っ越し、子どもも生まれた。流れに身を任せていたら、そういうふうになっていた。

「なんか私は、ぼんやりとしてて何も考えてなかったんだよね。でも後になってふりかえると、全部決められていたんじゃないかな、って思ったりするよね。自分がそれまで決断した、会社を辞めるタイミングとか、どの国で何をして、いつ移動するかとか、お互い全部合致したから、出会って結婚までいたったのかなって。じゃないと出会わない相手だし」

それはどんなできごとでもそうなのだけれど、結婚など人生の節目にはやっぱりそう思いを馳せることがある。旦那さんの方だって、例年通りのスケジュールで帰っていたら彼女とは出会えてすらいなかったはずなのだから。

偶然も必然のうちとはよくいったものだ。


■ 流れに任せていたら、この国で暮らしていた

↑なんとこれ、自宅の敷地内。日本でいう「公園」並みに散歩しがいがある

ワーキングホリデーは単なるきっかけにすぎない。だからその後に日本に帰る選択もあれば、その国に居続ける選択もあり、はたまた違う国に行ってみようという選択だってありだと思っている。彼女の場合は、この国で暮らしていこうと思った理由は何だったのだろう?

「なんか、もう選択肢ないと思った(笑)。自然の流れにまかせていたらこうなった、っていう感じなんだよね。でも、それが嫌なら逃げることだってできただろうし、違う選択もできたと思う。もともと海外に住む憧れもあったし、この流れでいいなって

もし海外へ出ずに日本でそのまま暮らしていたら、どうしていたと思う?と聞いてみる。

「どうしてたかな。転職はしていたと思うけど……、でも、絶対結婚はしてない。友だちも、絶対独身だろうねって言ってたし。だから私、超『番狂わせ』だよ」。さらりとそんなことを言う。

何がそんなに変わったのだろう。

「単純に、結婚したいと思える相手に出会えていなかったというのもあるだろうし、日本人の嫁姑問題とかも嫌だったし……、あとは、会社で仕事をしながら結婚しているイメージというのもまったく描けなかった。で、それを全部変えるには、私の場合は暮らす場所から何からなにまで変える必要があったんじゃないかなと思う。だからここに来て、すべて自然とおさまった、ってちょっと思うかな」

場所を変える、環境を変えることの影響は大きい。それは、これまでに一度でも、大きく環境を変えたことのあるひとなら頷けるのではないだろうか。

今の環境で「100%ありえない」ことも、引っ越したり、仕事を変えたり、付き合う人を変えたりと環境を大きく変えれば、「十分ありうる」ことへと簡単に変わったりする。


■ 子育てとバランスをとりながら、日本とつながる仕事をつくりたい

↑広々とした自宅のお庭で、大地と親しむ日々

これから、どんなふうに生きていきたい?って聞いてみた。

「近い未来は、とりあえず子どももまだ小さいし、この生活をうまくキープして、遠い未来につなげていきたい、ってのはあるかな。持ち家さえあればそれで十分だから、家を買うっていう目標はいっこあるかな。あとは、このエリアに住み続けたい、できれば」

ここに住み続けたい、と思うのはどうして?

「やっぱり夫の仕事がここにあるし、私自身が、おじいちゃんやおばあちゃんが近くにいない生活だったから、自分の子どもには、おじいちゃんとおばあちゃんが近くにいる生活をさせてあげたいなと思ってるんだよね」

そしてゆくゆくは、家にいながら、子どもを預けないでもできるビジネスなんかををできたらいいな、とつぶやく。どんなものだろう。

「最初はモノにフォーカスしてたんだよね。こっちで売っているものを日本向けに売ろうかなと思ったんだけど、でもそれはすでにやっている人もいっぱいいるし。それなら、モノじゃなくて知識みたいな部分で役立てないかな?と考えていて。それも、すでに資格を持っている人はやっているんだよね。自然療法士とか。もし本格的にやるなら、自分もまた大学に行ったり、資格をとったり、勉強が必要。ただ今は、母親業にも力を入れたいなって

だからある程度バランスがとれるもので、ゆるく、負担がかかりすぎない程度のことがやりたいという。具体的なイメージもあるのかしら。

「たとえば、子どもの寝かしつけ方ひとつとっても、日本の常識とオーストラリアの常識は全然違うんだよね。そういうところを発信して、日本とはまた違う知恵を日本へ届けて、ラクになるお母さんが増えたらいいなー、とかね」

ふむふむ、なるほど。日本のお母さんたちは確かに、いろんなことにとらわれて大変そうだと感じることもある。こうじゃなきゃこうじゃなきゃ、と思っている“常識”は、国が変わるとその真逆が常識だったりもするから、そこはぜひ頑張ってほしいなぁ。

(つづく)


※ちなみに上の文章を書いていた2015年当時の私は子どもがまだいなかった。育児中の今なら、育児関連の常識の違いについて、もっと掘り下げてどっぷり聞いていたんだろうなぁ。日本の常識も、ところ変われば非常識。それが見えてくると、肩の力が抜けることもたくさんあるよなぁ、と思う。このあたり、また彼女に話を聞いて、別記事にしてもおもしろそうだ。


■次回は7/25(水)にアップ予定です。内容はこんな感じ↓

“Just leave it !!” の考え方で、生きるのはたぶんラクになる 【3/4】【ワーホリ、その後 #008
・ワーホリ談義。帰国は「前提」じゃない
・「軌道修正がしづらい」日本
・「置いておく」思考 - Just leave it!

---

※『ワーホリ、その後』を始めた理由はこちら

マガジンページで、『ワーホリ、その後』シリーズ一覧できます

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。