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出産体験を書きとめる(無痛分娩って、呼び方を変えたほうがいいんじゃないか?)

先日、田中裕子さんのnoteで出産エピソードを拝読して、気づいた。そういやわたし、出産前日までnoteにいろいろと書いていたくせに、出産当日のことは何も書いていないなあと。産後、必死すぎたのである。

以下、田中さんのnoteから一部引用させていただく。

“それまでの人生で感じたことのない感情や遭遇したことのないピンチ、小さなよろこびや笑い、疲れが、毎日渋滞している。それを残しておきたいと思うひとがたくさんいるから、「子育てコンテンツ」は世の中に溢れるんだと思う(ネタにしなきゃやってられん、というひともいるだろう)。”

出所:「むすめが1歳になりました。嵐の日の出産を振り返って

そう、まさにそうですよね!と、それはそれは頷きながら読んでいたのだけれど、ああ、だからこそ、出産のことなんて、命にかかわる衝撃体験なのに、次々押し寄せるネタ大渋滞のなかではどんどん忘れていくんだわ!と改めて気づかせていただいた。

すでに我が家の娘は、1歳7ヵ月。わたしの記憶の鮮明度はだいぶ落ちていると思うけれど、この先はさらに落ちてゆく一方なので、いまのうちに出産体験を書きとめておきたいと思った次第です。田中さん、きっかけをくださってありがとうございます。

さあ、ちょっと長くなりますけど、いざゆかん。

* * *

その夜、わたしはnoteを書いていた。

予定日を過ぎても、なかなか出てこない娘。超過しすぎると命に危険がおよぶとのことで、翌日には陣痛促進剤などを使って誘発分娩を行うべく、入院が予定されていたのだ。

ああ、この大きなおなかも、いよいよ明日にはお別れかあ。そう思って、妊婦最後の夜にnoteを書いていた。ちょっと引用するが、サラッと飛ばしてほしい。

“ただ私の方はあきらめ悪く(笑)、誘発入院の日取りが決まってからもお腹に向かってマジメに赤ちゃんに状況を解説していた。

「聞いてる? この日には入院して、薬の力で出てきなさい!ってされちゃうからね。自分の意志で出てきたいんだったら、この日までのよき日を選んで、自分のタイミングで出てくるんだよー。どうしてもお腹の中が気持ちよくて薬が入ってくるぎりぎりまでいたいなら、それを選ぶ意志も尊重するけどね〜。自分のタイミングで出てきたほうがいいんじゃないかな〜」とか、なんとか。

理不尽に指示されたり、強制されたりすることが嫌いな夫婦の子だから、きっとそのあたりは遺伝しているのじゃないかとゆるく期待しつつ。

けれど前夜になっても気配がないから、ぎりぎりまでお腹の中を満喫する方を選んだのだろう。

マイペースなのも親ゆずりな気がするので何も言えない。”

とある妊婦の脳みそ【おまけ編】入院前夜のつぶやき」より


そんなnoteをアップして、明日の朝は時間がないからと、深夜、洗濯物を回して、夫と干す。

洗濯物を干し終え、入院のための荷物も最終確認して、いざ眠らんと寝室へ向かう。布団に入ろうとした、そのときだった。

「ぱつん」

ん? いま、何かが。

何かがおなかの中ではじけたような、いや、でも気のせいのような、そんな気がした。出産漫画を読んでいて、似たような擬音を目にしたことが頭をよぎる。もしや、これは破水というやつか?

トイレに行って確認してみるけれど、いまいち確信がもてない。うーんと首をかしげて、もうちょっと様子をみてみるかと、いったん寝室にもどる。けれど、からだを動かすと、なにやらパシャ、という感じで液体がもれでるような感覚があった。

ん、これはやっぱり……。もう一度トイレに行って確認してみると、これまでとはようすがちがう。出血混じりであきらかに尿もれではない。羊水なのか。やっぱりさっきの、破水だったんだ。たぶんそうだ。ついにきたんだ。

とりあえず夜用ナプキンをあてて、夫に事情を話し、産院に電話をする。深夜1時半頃だった、と思う。

* * *

「入院準備はできていますか? では今から来てください」

電話口の指示にしたがい、真夜中、夫に車を出してもらって産院へと向かった。歩くたびに液体が出てきているような感覚があるので、そろーりそろり、ゆっくりと歩く。

このときはまだ陣痛もなく、比較的落ち着いていた。

病院へ着き、個室へ通される。看護師さんに確認してもらうと、やはり破水とのこと。

出産には大きく分けると、破水から始まるケースと、陣痛から始まるケースがある。わたしの場合は破水からのスタートだった。そして破水スタートの場合、赤ちゃんと外の世界がつながってしまうため、感染をふせぐために即入院、となる。

病院についた時点で夜用ナプキンではもはや間に合わず、お産パッド(オムツみたいなもの)をつけられて、ベッドに仰向けにさせられる。腕に点滴もつながれた。

このあたりまでは想定内。けれど想定外だったのが、破水スタートの場合、姿勢が「足を少し上にした状態でベッドに仰向け」に固定されてしまうということだった。へその緒が出ないようにするため、この姿勢から動かないように言われる。トイレさえ行けないので、尿意をもよおしたらナースコールで看護師さんに処理してもらわなくてはいけない。院によるのかもしれないが、少なくとも、この産院ではそういう対応だった。

ベッドがウィーン、と電動で少し斜めに傾けられ、頭の位置を低く、足のほうが少しだけ高い状態のベッドに横になる。

この「斜めベッドに仰向け」体勢が、想像以上にキツかった。だってわたしが恐怖におびえながらそれまで読んできた陣痛体験談は、基本的にみな、陣痛中は自由な姿勢で過ごしてよいものだったのだ。

四つん這いになったり、あぐらをかいてみたり、お風呂にはいったり(破水スタートだと入浴は、バイ菌が入るので絶対NG)。そんなふうに姿勢をかえながら陣痛の痛みを流そうとしている自分を想像していたので、こりゃあまりに想定とちがうじゃないか。そう思った。

そうこうしているうちに、陣痛もはじまっていた。初めは耐えていたけれど、徐々にもだえるほどの痛みになった。本当はうずくまったり四つん這いになったりと姿勢を変えたいが、変えられない。どうしようもない。

正直、どんな痛みだったかはもうよく覚えていない。ただただ痛くて、呼吸が荒くなって、脂汗をかいていた。事前に仕入れていた知識では、「落ち着いてゆっくりと呼吸する」ことが一番たいせつだと脳にインプットしてあったので、「フーッ、フーッ!」と息を吐いてみようとする。

しかし、ここで第二の想定外

それは、呼吸が痛い、ということだった。始まったのはいつからかわからないのだが、わたしの場合、赤ちゃんの足が、右脇腹、肋骨あたりを常にぐいー!と圧迫していて、息を吸おうとするとなおズキッと痛い

ゆっくりと、深く深呼吸をしよう!と脳では思うのだが、なかなかどうして、それが「できない」。

陣痛の波がくるたび、頭のなかでは「ゆっくり呼吸、ゆっくり呼吸」と思う。にもかかわらず、実際は息を吸うのがあまりに痛くて、「ハッハッハッハッハッ」と犬のように浅い呼吸しかできない。看護師さんに「ゆっくり、ふかーく、呼吸してー!」と言われても、「息がっ! 吸えないっ! んですっ!」という感じなのだ。

ちなみにネットではストロー付きのペットボトルで水分補給するといいよ!みたいな口コミがあったので、ふふふ、準備万端よとペットボトルのフタをストロー付きのものにしていたのだが、現場では痛みのあまり、思わずペットボトルをベコッ!と握りつぶしてしまって中身がこぼれ、私の場合はむしろじゃまになった。つくづく状況は千差万別である。

陣痛の痛みには前からおびえていたけれど、まさか陣痛以外の痛みにもこれほど苦しめられるとは、まったく思っていなかった。

* * *

わたしが選択した産院は、無痛分娩にも慣れている院だった。事前に意向をきかれていて、わたしは「自然分娩希望だけれど、当日の状況によっては無痛に変更する」という方針で回答していた。

陣痛の波がくるたびに、陣痛+肋骨あたりを赤子に押される痛み+息が吸えない苦しさでもだえるということを繰り返し、「このままでは痛みで失神する」と思い、途中で麻酔を入れることを決めた。

とはいえ病院へ到着したのは真夜中。どちらにしても、朝になって院長先生が来るまでは麻酔を入れることはできなかったので、それまではひたすら陣痛の波に耐えていた。

目の前の痛みに耐え忍ぶことに必死で、時間の感覚を完全に失っていた。自分では2時間くらいのつもりだったのに、気づいたら朝になっていた。院長先生がきて、麻酔を入れてもらう。効き方には個人差があるらしく、わたしの場合、痛みはゼロにはならず、というか十分痛かった。でも麻酔があるとないとではあきらかに違う。それだけはわかった。

分娩中とはいえ、もう入院扱いになっているので、朝食が運ばれてくる。いやいや、食べるとか絶対ムリ! と、夫に食べてもらう。わたしはとにかく吐き気がすごくて、実際、看護師さんの前で吐いてしまった。

麻酔が切れてくるとまた痛みが強まってくるので、一定時間を過ぎて痛みが強まってきたら夫に訴え、ナースコールを押してもらって、また麻酔の追加をしてもらう。わたしの場合、無痛分娩といいつつまったく「無痛」ではなかった。

かといって、麻酔による痛みの軽減は確かにあったと思うので、正確に伝えようとするならば「麻酔を用いてある程度、痛みのコントロールをほどこした分娩」という感じだ。

しかもその麻酔は、陣痛などの痛みには確かに大きく作用していたのだが、わたしの場合は赤ちゃんの足による右脇腹の圧迫があり、「ここ、ここ(肋骨あたり)が痛いんです……。息が吸えなくて……」とうわごとのようにずっと言っていた。

麻酔を使うのが無痛分娩ならばたしかに無痛分娩だったのだけれど、実際は、肋骨あたりが十数時間もひたすらに「痛かった」、そんな記憶しかない。

* * *

最終的に、娘が生まれたのは夕方の17時前だった(そんなに時間が経っていたとはつゆ知らず、後から驚いた)。

頭が大きい娘はなかなか出てこられず、最終的には吸引になった。これがまた、よくあるパターンではあるのだが、実際体験すると想像以上に壮絶だった。医師1人と、助産師2人+私の4人がかりで、挑む。

陣痛の波がくるのにあわせ、医師が吸引器を赤ちゃんの頭につけて、ひっぱる。それと同時に、わたしは息を止め、精一杯にいきむ。さらに同時に、助産師さんがわたしのおなかを、精一杯に押す!

いや、この「押す!」が、びっくりするくらい強く押すのだ。

えええええ、こんなに押しても人って大丈夫なんですか、肺が破裂するか骨折れるかするんじゃないですか!いったいどんな恨みがあるんですか!というくらいに、押される。もう、全力で。

息をあわせないと、「いきむ前に息を吸おうとしているタイミング」の途中で、肺の近くを渾身の力でむぎゅううう!と押されるのだから、たまったものではない。そんなんで息なんか吸えるかぁっっ!息吸えなくて思いっきりいきめるかあっっ!!

「息を吸いたいので、その一瞬だけ、待ってください!」

極限状態と思っていても、それだけはしっかり主張した記憶があるから、やっぱり麻酔はちゃんと聞いていたんだなと思う。

* * *

陣痛の波にあわせて、そんなトライを何度か繰り返した。

渾身の、最後のいきみ。「娘に会うんだ!」の一心で、脳が破裂するんじゃないかと思うほど、歯を食いしばって力を込めた。

16:45ごろ、娘がこの世に誕生した。

生まれてきてくれた子の顔とからだが見えた瞬間、自然と、涙がだばあ、とあふれ出た。

同じからだを分け合って、おなかの中で10ヵ月をともに生きたその子に、やっと会えた。その事実にとても感動した。

* * *

ああ、確かに麻酔は効いていたんだなあ、と思ったのは、出産直後、会陰切開+裂傷の傷を、医師に縫合してもらっているときだ。

縫合してもらっている間は、さっきまでの壮絶さとは打って変わって、「やっぱり満月の夜って出産増えるんですか?」なんて、ジンクスにまつわる気楽な雑談をしていた(奇しくもその前夜は満月だったのだ)。

出産を終えたら、肋骨の痛みがなくなり、呼吸も楽にできるようになり、吐き気もすっかりとれた。デリケートな部分を縫合されていてもまったく痛くなかったから、麻酔はちゃんと効いていたんだと思う。

やっぱりわたしが闘っていた痛みは、下半身以外のところが大きかったのだろう。赤ちゃん、どんだけ母の脇腹を中から押していたのか。外へ出ていこうと、踏ん張っていたのかな。

出血多量で看護師さんにも心配されるレベルだったけれど、本人は痛みなく呼吸できる喜びと、出産を終えた喜びで、運ばれてきた夕食をもりもり食べた。闘いを終え、一日ぶりに食べるごはんは、最高においしかった。

(おわり)

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おわりと言いつつ、以下にふたつのメモがつづきます。長い(笑)。でも、どうしても書いておきたいと思ったので、書いておきます。

■ 「無痛分娩」について思うこと:

ちなみにわたしも「無痛」ではない無痛分娩でしたが、途中で無痛分娩に切り替え、麻酔を入れる選択をしたことはほんとうによかったと思っています。特殊な脇腹の痛みに身もだえしつつも、最後までなんとか我を失うこともなく会話もできたし、出血多量だったわりには産後の回復も早かったと思うからです。

もし無痛を選択することができなかったら、痛みに耐えられず途中で失神するか、そうでなくとも叫びまくって体力を消耗し、結局経膣分娩はできなかったかもしれません。会陰切開&裂傷で縫合されるときも、あらたに麻酔が必要なかったのもスムーズでよかったです。

無痛分娩については賛否両論ありますが、体験して個人的に思ったことは、「無痛」って名前がなんか誤解を生んでるだけなんじゃないか?ということでした。お産というのはどんな形にしろ一大事であり、体にものすごく負荷をかけることであるのは確か。その対処として、他の手術などと同じように「麻酔を用いる」のは、ごくごく自然なことだよなあ!と感じたんですね。

医学的に考えたら、あれほどの痛みに麻酔を使わないほうがむしろ不自然なのでは、とすら、出産を終えてからは思うようになりました。だって歯医者で歯1本抜くのですら麻酔するのに、出産の痛みに麻酔を用いるのはおかしい、っていうほうがおかしい気がしないでしょうか、よく考えたら。

かくいう私も心からそう思えるようになったのは自分で体験した後でした。産前は、なんとなく自分の親世代の印象による後ろめたさ、みたいなものも持っていたのでした。出産の痛みは耐えてこそ、のような。

もちろん、全員が無痛分娩しろ!と普及したいわけではありません。せっかくの体験だから耐えてみたいというひとは耐えてみたらいいと思うし、それは個人の自由です。ただ、もし後ろめたさがあったり、世間体を気にして無痛分娩を選択できない状況の妊婦さんがいるのなら、大丈夫だよと言いたいです。

無痛って名前がなんか誤解を生んでいるだけで、実際は「痛みを麻酔でコントロールしながら行う、大変なお産」です。結局お産は千差万別、想定外のストーリーがあるし、十分に心に残る体験が待っているから、と。

<公開後追記>
吉田 翠*詩文*さんから本記事にいただいたコメントの表現がとてもしっくりきたのでご紹介。↓

“ほんとにお産は千差万別。痛み方もそれぞれです。なので、必要な時に必要な医療をほどこしてもらう、ということですよね。特別な何かじゃなくて普通のことなんだとわたしも思います。。”

必要な時に必要な医療をほどこす。まさにこれだなあと。ひとくちに妊娠・出産といっても人によって本当にそれぞれ状況が違うので、痛みを軽減するために麻酔を用いることも、帝王切開などの手術になることも、必要に応じて自然に受け入れることのできるものと認識されたら、と思いました。


■↓誘発入院の前夜に書いていたnoteはこちら。まさかこの直後に破水となり、自ら生まれようとするとは。「締切ギリギリにやる気を出すのは親ゆずりだね」と、夫と話したものでした。


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