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大変さと、矛盾した気持ちと。

「あっ、そういえば今年は無気肺になったりもしてるので。心疾患の影響で、呼吸器系はかかりやすいみたいです」

「ああ、いろいろやってきたんですねえ……」

遠方で初めてかかった小児科医に、ねぎらいの混じった優しい苦笑いでそう言われて、ああ、そう言っていいんだ、よかった、と救われた気がした。

* * *

この手の話題はいつも気をつかう。

「うちの子にはこんな病気があって」とか、「毎日こんなケアが必要で」とか。話す相手をまちがうと、ただひたすらに精神を消耗するからだ。

「それならまだいいほうだよ、ひどい子は……とかって言うよ?」「親戚のとこの子も……とかって言ってて、大変だったみたいよ」「今はそういう子も増えてきてて、珍しくないみたいだよ」。そんな反応が返ってくることは驚くほど多くて、なぜかいきなり“どこかの誰か”の苦労話にすりかわる。

目の前のあなた自身のことなら話は別だけれど、わたしは“どこかの誰か”との苦労自慢対決をしたいわけじゃないんだ。

でも見方を変えれば、それは相手の“励まし”のあらわれなのだろう。

相対的に見て、あなたはまだ恵まれている。もっと大変なひとがいる。だから大丈夫、安心して。そういう気分で、本人ではなく"誰かの苦労”を引用してみせてくれるのだろう。気持ちはわかる。だからそこで憤ることはなく、ヘラッ、とした笑いを顔にはりつけて「そーですねえ」と無感情に相槌を打つ。

ああ、でもね。

わたしは“励まし”なんて求めていないんだ。大丈夫じゃないなんて、そもそも思っていないんだ。励まされなくても大丈夫だし、大丈夫じゃないときは、だれかに言われたくらいで大丈夫にはならないから、うんうん苦しみながら自分の中で向き合って解決するしかないんだよ。

私が求めているのは、「ああ、そうなんだね」とただ話をそのまま、受けとってもらうことなんだ。

そりゃあみんなそれぞれ大変なんだよ。大変に見えてないひとだって、見えていないだけでよくよく話を聞けばみな大変なんだと思うよ。

ヘラッとした笑いを顔にはりつけたまま、胸の底ではそんなことを考えている。

* * *

みんなそれぞれ大変なんだよ、大変さの種類が違うだけ。子どもがいるとかいないとか、結婚しているとかいないとか全然関係ない。みんな大変。

自分のなかでへたにそんな思いをくすぶらせているので、そんな自分があまり表立って大変だ、大変だ、と言うのははばかられるような気がしていた。

それでもやっぱり自分にとってはけっこう、肩につもっているものがあるなあ、と感じて、夏にこんなnoteを書いた。難病疑いもある娘のこと。

今年はそれ以外にも、娘は保育園の入園を機に体調を崩しまくり、5月には無気肺になったり、6月には川崎病で急遽入院したりしながら、合間合間でふつうに風邪をひいて高熱を出したり咳込んだりもしていた。鼻水と咳は、むしろ出ていないときが思い出せない。

上のnoteにも書いた先天性心疾患の影響で、風邪をひきやすいというのは医師からも言われているので、からだはたしかに弱いほうなんだろう。

車で1時間はかかるこども病院にも、去年から経過観察のつづいている発達チェックや、川崎病入院後の定期チェックでちょくちょく通っていた。

* * *

でもそうやってこども病院へ通う機会が多いと、「自分なんて全然大変じゃないなあ」と思わされる光景をたくさん目にするのもまた、事実。

ほんとうに多くのお子さんが、それぞれに大変な状況を抱えて、がんばって生きている。自力で息を吸って吐けること、歩けることがどれほど貴重なことか。文字にするととても薄っぺらくなってしまうのだけれど、みなそれぞれの事実と向き合わざるをえない環境で、その病気とともに、生きている。

そんな光景をよく目にしていたから、よけいに「大変です」なんて、自分にはいえないなあと、思い続けてきたところもあったと思う。

でもこうして書きながら思ったけれど、「自分よりよっぽど大変なひとはたくさんいるから」という気持ちは、わたしが嫌っているはずの苦労自慢対決の延長にあるものとなんら変わらないのかもしれない。

なんだ、結局自分のなかですでに、矛盾しているじゃないか。もう、自分にとって大変なら、大変でいいのかな。ぐちゃぐちゃした気持ちを抱えて、ああ、シンプルになりたい、と思う。

* * *

今回、帰省中に遠方ではじめての小児科にかかることになり、これまでの既往歴をたっぷりと書き、診察でもいろいろな経緯を話した。

もう十分話せたと思っていたのだけれど、やっぱりまだ話しきれていなくて、診察の最後に医師が肺炎の可能性について触れたとき、そういえばと思いだして付け加えたのが、冒頭のシーン。

「ああ、いろいろやってきたんですねえ……」(ねぎらいの苦笑い)

そんな医師の反応をみて、あはは、そうですねと思わず笑いながら、心の中でわたしは誇らしいような気持ちになった。

なんだ、たくさんのこどもたちを見ている小児科医からみても、「いろいろ」やってきたんじゃないか、わたし。そう言っても、よかったんじゃないか。

ああ、そうなんです先生。大変なんです、わたし。

誰かとくらべたら全然大変じゃないんですけど、大変だなあ、って思うとき、やっぱりあるんです。

そのたびに結局自分の心のなかで、誰かとくらべて打ち消して、気持ちを保っているところもきっとあるんです。相対的じゃなく絶対的にと言いながら、比較に頼っているのは自分なんです。矛盾しているんです。

あはは、でも自分なりにがんばってるんです。褒めてください。

娘をよいしょと抱き上げて「ありがとうございました」と診察室をあとにしながら、そんな気持ちがぶわっと胸のなかにあふれて、胃のあたりが熱くなった気がした。

* * *

来年は、娘の心疾患の手術も予定されている。

検査入院は3泊4日、本入院は1ヵ月ほどで、また24時間付き添いの日々が待っている。苦労自慢がしたいわけじゃないと言いながら、入院日記をnoteに書こうと思うことはやっぱり苦労自慢になってしまうのだろうか。

でも何かしら思うことはたくさんあると思うので、noteなのか、紙のノートなのかわからないけれど、文字にしていくことでわたしは自分の気持ちを保ってゆくんだと思う。

みな何かを抱えて生きている。抱えていて、どこへぶつけるわけでもない矛盾した気持ちを、今日もnoteの片隅におく。

(おわり)


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▼おまけ
年末らしく、今年の関連noteを。ちなみに下の入院日記、書いてたときは川崎病って書かなかったけど、川崎病でした。

▼健康って大事、を思い知った1年であった……。

おやおや。ここまでスクロールしてくださった方に、メリークリスマス!

よい午後をお過ごしください。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。