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ふきの皮むきデトックス

今朝、ふきを煮た。

昨日スーパーの地元野菜コーナーで新鮮なふきが手に入ったこと、そして午前中、運よく娘がぐっすりと眠ってくれたことから、今しかない!と思いたち、いそいそとふきを煮る準備をした。

洗ったふきを鍋に入る大きさにカットして、まな板の上で塩をふってゴリゴリと板ずりをして。ぐつぐつと沸騰する湯に入れ、アク抜きをする。

優しげにすきとおった新緑色になったなら、冷水にとって、ふきの皮を1本1本、むいてゆく。

(ああ、文章を書きたいなぁ)

ふいに脳裏にそんなフレーズが浮かんできたのは、そうしてふきの皮をむいているときだった。

*  *  *

ふきの皮むきをしながら、ああ、旬のものっていいなぁ、と思う。そういえば去年の春、山菜のこごみを食べたとき、noteに「春を食べる」ってコラムを書いたっけ。

そんなふうにnoteの存在をふと思い出して、ぼんやりと、ひさびさにまた文章が書きたいなぁ、と思ったのだった。

十分に予想はしていたけれど、そのとおり、こどもが生まれてからの新米母ちゃんは、毎日娘のお世話と家事で気持ちも体力もいっぱいいっぱい。文章をかくようなまとまった時間もなければ、noteの存在を思い出す心のヨユウもなかなかない、そんな日々がつづいていた。

めずらしくゆったりと娘が眠るなか、流れているやさしいオルゴール音楽をなんとなく耳にいれながら、私はカットされたふきを1本手にとり、スーーッと皮を気持ちよくむいて、水の入ったボウルに入れ、また次の1本を手にとる。

スーッ。スーッ。スーッ。スーッ。スーッ。ちゃぽん。

スーッ。スーッ。スーッ。スーッ。スーッ。ちゃぽん。

おおお、なんとゆっくりした作業であろうか。心のヨユウがないとできない、イライラしていたら真っ先に省きたくなってしまうような、そんな作業である。

しかしそうやってふきの皮をスーッ、スーッとむいていると、不思議なもので、日々のこまごましたストレスもスーッ、スーッとひとつひとつ、剥がれおちてゆくような気がした。

*  *  *

肩のうえに積もった、日常の小さな大変さたち。

ひとつひとつは本当に、とるに足らないようなことで、2ヵ月半になる娘が外出先で盛大にうんちを漏らしたとか、せっかくの週末なのに夫が娘の相手を妻に任せて昼寝をしているとか、毎日赤ちゃんの相手をしながら家事をしていると何も評価されることなくなんとなく1日が終わってゆくなぁということとか。こうやって文字に落としてみると自分でもハハハッ、と笑いとばせるくらいの、小さな小さなことたち。

けれど薄っぺらなそれらが何層にも積み重なって、いつのまにか肩のうえはずっしりと。

そんなこまごましたストレスたちが、ふきの皮むきをしながら、スーッ、スーッ、と1枚、また1枚とはがれ、軽くなっていく感覚におちいったのだった。ふきの皮むきデトックスである。

(こうしてふきの皮を向いている間にも、そのうち娘が起きるかな、煮物は最後までできるかな、いや、皮むきの途中で起きちゃうかもしれないな……)

そんな気持ちを常に抱えながら、それでも目の前の一本一本のふきに対峙する。

スーッ。スーッ。スーッ。

そして透明な水の中にちゃぽんと浸かっている、皮をむかれたふきたちの姿もまた、涼やかでなんとも、よいのだ。

いやしかし、キッチンでもくもくと作業しながら、ふきの皮むきの中になんだか真理をみたような気になっている自分はなんだか滑稽だなぁ。

もうひとりの自分が、どこかすみっこのほうで苦笑する。

*  *  *

今日の娘はめずらしくまとまってぐっすり寝ていて、奇跡的にふきは無事煮物の姿まで完成した。しかも、こうやってnoteに走り書きまでできてしまった。どうしたことでしょう。

そろそろお腹も空いているはずだから、オムツ替えで起こしたらギャアギャア泣きはじめるだろう。オムツを替えて授乳して、その後はきっと寝ないだろうな(笑)。

こんどはまた、彼女と対峙する日常にもどろう。

けれどそんな日々でも、季節のうつりかわりを、食卓でも感じられるくらいの心のヨユウは持っていたい。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。