見出し画像

むすめ2歳の入院日記(8)術後5日目

9/2(月)

前夜の経緯から、いつにもまして睡眠不足でスタートな1日。

同じ病棟の病室で、入院前はスコンとぐうぐう寝ていた娘だから、やっぱり不眠的な症状は、部屋自体ではなく娘の心身の変化が大きいのだなと思う。少しずつ、少しずつとりもどしてゆこう。時間はかかる。

わたしが起きた気配で、娘も起きる。「おはよう。ママいるよ」ととりあえず声をかける。もうひとりじゃないよと何度でも知らせたい。眠たかったらもうちょっと寝てていいんだよ、と声をかけるも、もう眠るようすのない娘。「えほん、よむ」と言うので、図書館で借りてきた絵本や病院で借りた絵本などを持ってきて選ばせ、横になって読む。

朝の薬が運ばれてきた。例の苦いやつだ。これが飲めるようになれば、鼻から胃に通っているチューブが抜けるのだが。ということで、前夜に看護師さんに相談したところ、りんご果汁の粉末を混ぜて飲める子もいるという情報を教えてくれ、その果汁粉末を朝は持ってきてもらうことにしていた。看護師さんによって、同じ状況でも出してくれる情報が違う。この看護師さんに会えてよかった……と思う。

それと混ぜて、ひと口飲ませてみる。ひと口目は口を開けてくれたが、「に、がい!」と言い、二口目からはやっぱりイヤイヤ。はぁ。でも、果汁粉末なしのときに比べると、これは微かにマシな「イヤ」だ。そこで母は、説得にかかる。

「お口からがんばっておくすり飲めるようになったら、お鼻のチューブ外れるんだよ。あ!娘ちゃん、おこのおくすり全部飲めたら、ゼリーあげよう。がんばってみよっか?」何度かそうやって説明をしていると、ついに「うん」と言う。やった!機を逃さぬよう、スプーンで一口ごとに「えらい!」「すごい!」と褒め称えながら服薬完了。ごほうびゼリーでリラックス。

これまでの蓄積で、とにかく看護師さんたちが病室に入ってくると身を固くして様子をうかがう娘。触れられたり、何かされると「いやー!」といって抵抗する。唯一の例外は血圧測定。あの腕や足に巻くあれは、とくに痛くはないし、ギュッとなるだけだと何度も体験したからか、入院初日はうぎゃあと嫌がっていた血圧測定を、今ではおとなしくじっとしたまま受けている。

レントゲン撮影で呼ばれる。

部屋からつないでいた酸素を、持ち運び用の酸素ボンベに変えてもらい、心拍などのモニターも持ち運び用の小さいものに変えてもらい、レントゲン室へ。心臓のまわりからもまだ1本のドレーンが残っているので、ドレーン、モニター、酸素ボンベを携えて、わたしが抱っこで移動。酸素ボンベは大きいので看護師さんに引いてもらった。

また何か痛いことをされると警戒しつづけていた娘だったが、レントゲン室の前では「ここ知ってる」と思ったのか、意外とおとなしく待つ。いざレントゲンのタイミングでは表情はひきつっていたが、なんとか泣く寸前で無事終了。そのあとは落ち着いていた。

レントゲンの結果、問題がなかったということで、残っていた最後(3本目)のドレーンを抜くことに。胸のちょっと下あたりの皮膚から管がつきだしているのは見た目もつらいが、うつぶせ寝が大好きな娘にはいろいろと心配だったので、ようやく抜けるとなってうれしい。

11時過ぎ、ドレーンを抜く処置。PICUでは目にすることができなかったので、初めてその場に立ち会った。移動もなく、いつもの病室に医師と看護師が来て行う。足にとってある点滴箇所から注射で鎮静剤を入れ、処置自体はものの数分。ドレーンが抜ける瞬間はほんとうにスルッ、という感じで一瞬だった。これがいままで娘の体内にいて、水がたまらないように排出してくれていたのかと不思議な心持ち。傷口がちょっと膿みやすい状態に見えるので、もしかしたら縫直しになるかもしれない、と言われる。

ちなみに、もちろん娘は処置のはじまるあたりは大いに暴れて泣き叫んでいた。ずっと残されている足の点滴箇所、実は昨日、そもそもPICUで針が出てきてしまっていたのか、それを病棟の看護師さんがああでもないこうでもないとぐりぐり刺し直し、ずいぶんと長い時間痛い思いをした。以降、足に触れられるだけでその記憶がよみがえり大暴れ。が、鎮静剤が注入されるとすぐにおとなしくなった。薬の効果を目の当たりにする。

処置自体は娘が目を覚ましている間に終了。「すぐ寝ちゃうかと思ったけど寝なかったね」と看護師さんに言われたから、ぱたりと寝ちゃう子も多いらしい。娘は医師や看護師のいる間は目がうつらうつらとしてきながらも、意識を保っていた。次は何をされるのかと周囲を警戒している感じ。でも母とふたりきりになり、じゃあ絵本でも読むかねとわたしが隣で絵本を読みだしたら、もう、すぐにコテンと寝た。

夜も眠れていなかったし、常に緊張とストレスで眠れないのだろうから、体の回復のためには、薬で眠るのもまあ、いいのかもしれない。看護師さんは薬が抜けるのは早いと言っていたが、娘はお昼ご飯が運ばれてきたのにも気づかず、すうすうと眠っている。途中一度目が覚めてなんだかむにゃむにゃとしゃべったが、「おひるごはん、きてるよー、食べる?」というわたしの声には反応せずに、そのまままた寝つづけた。

13時ごろ、交代のために夫が到着。申し送りしつつ少し話していると娘が起きる。わたしも売店に弁当を買いに行き、娘とともに昼食タイム。

娘はやっぱりスープはごくごく飲むものの、他はさほど食べず。途中でゼリーをほしがるので、例の苦い薬を飲めたらゼリーをあげるよ、ということにして、りんご果汁の粉末とあわせて溶かしたものをなんとか飲ませる。夫がスプーンで運ぶ横で、わたしはひと口ごとに「すごい!」「えらいっ!」と褒めまくる。そしてゼリー。

落ち着いたところで「お母さん、今日はそろそろ帰るね。今日は娘ちゃんはパパとお泊まりね。お母さんはまた明日来るからね」と話す。前々から予告していたこともあってか、なんともお利口なもので「うん」と言う。バイバイというと、バイバイと言ってちゃんと手を合わせてくれ、ホッとする。

わたしは眠気がピークで、付き添いサンダルのままエレベーターを降りて病院の入り口まで出てきてしまい、そこで始めて気づいてあわてて靴をとりに引き返した。いつにもましてぼうっとしている。

帰りのバスではアラームをかけたスマホを握りしめ、ぐうぐうと寝ていた。家に帰ったら寝落ちしてしまう気がして、外で少し作業していこうと思う。途中のターミナル駅についてからうろうろし、カフェでお茶を注文し、さて作業するかと椅子に座る。と、スマホがない。リュックの中をがさごそあさるも、やはりない。もう一度、丹念にものを出しながら再確認するが、ない。

睡眠不足で頭がまったくまわらず、とりあえずさっき立ち寄った駅ビルのトイレかもしれないと、注文したばかりのお茶を持ったまま席をたってそそくさとカフェをあとにする。さっき立ち寄ったトイレに入るも、スマホは見当たらない。ど、ど、どうしよう。ずしりと重たい荷物とほぼ徹夜明けのような感じの疲労で、ほんとうに頭が回らず、だめだ、とりあえず家に帰って自分を立て直そう、とだけ思う。

家に帰って、ポンコツ脳で役に立たない自分はあてにせず、夫に連絡してヒントをもらい、「iPhoneを探す」で検索。Macから地図で探索すると、細かい位置までは特定できないが、やっぱりさっきのトイレの周囲にはありそうな感じ。遺失物係などに問い合わせたいが電話がない。恐縮なのですが、と夫に切り出したら快く引き受けてくれたので2件ほど心当たりに問い合わせてもらうも、見つからず。

体はへとへとだし、明日も朝から付き添いなので体力を回復したいのだけれど、いてもたってもいられずに再び家を出て、電車に乗ってターミナル駅へ。あのときはパニックになったが、冷静になって「もし自分があのトイレで発見したらどうするか」を考えたら、近くの店舗の店員さんに託すよな、と思い、電車を降りてソッコーで、そのトイレの近くのカフェのレジへ。ようやく頭に血が回ってきた。

「そこのトイレに落としものをした場合って、どこに届くことになってますでしょうか……?」と聞いてみる。と、「何を落としましたか?」と言われ、「iPhoneを……」というと、「こちらでもお預かりしているものがあるのですが」と言う。ケースの色や特徴を話すと、後ろにいた女性店員が「あっ」と小さく言って、バックヤードへ。もしや!

しばらくして「こちらですか?」と、戻ってきた店員さん。手には紛れもなく、わたしのiPhone。あああああありがとうございます。これです。助かりました。ありがとうございます。

「カフェ内のソファ席に置いてありました」と言われ、ちょっとだけぞわっとしたけれど、ロックを解除された形跡もいまのところないし、一緒にケースに入れていたICカードもそのままだったので、きっと悪意のある方ではなかったはず、とポジティブにとらえることにする。むしろ感謝すべき。

それにしてもわたしはどうして、こうやって自分でよけいなタスクを増やしてしまうのか。やらなくていいはずのことを自分で増やして、よけいに自分を疲れさせているのだから世話がない。

せっかく電車にのってまた街へ来たのだからと、そのままカフェでもろもろ作業。スマホを開いたら夫が、両親含むグループLINEに「足の点滴と、鼻のチューブがはずれました!」と報告を投げていた。その2点については朝の時点でも予告を受けていて、ドレーンも抜けたし(足の点滴はドレーンを抜くときの鎮静剤を入れるために残していると聞いていた)、昼の薬も口から飲めたので期待はしていたが、順調に外れたようでほんとうによかった。食欲はまだいまひとつだが、回復は早いほうらしく、看護師さんも驚いているという。

酸素チューブはまだもう少し続きそうだし、心臓につながっているペーシングのためのワイヤーはまだ皮膚から出ているけれど。それでもガチガチに固定されていた足が自由になれば姿勢も自由になるし、なにより歩く意欲も少しずつ、わいてくるというものだろう。1本、また1本と順調に管が抜けていって、もう少しで自由の身。傷口はまだ生々しくて痛々しいから、手放しでバンザイ!ってできる気分では到底ないけれど、命にかかわる合併症などなく経過が順調で、本当に本当にありがたい。

何度も思うけれど、娘は、この1週間で10年分くらいがんばっている。それに引き換え母はこのポンコツぶりである。もし夫と娘に出会えていなかったら、とっくにわたしは自分の人生において、自らの情けなさにポキリと心折れていた気がする。でもいまは彼と彼女がいてくれるおかげで、こんなポンコツでもなんとかがんばろうと、そう思えるのだ。

明日も朝から、病院へ向かう。

(つづく)



自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。