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もやもやは置いといて、楽しいをふやしたい

最近わたしのメンタルはあがったりさがったりで、ちょっとした人間関係のあれこれに心をぶっ刺されたりとか、まあ生きてりゃいろいろある。

一時的にはずうんとなったりして、もやもやをひとりで抱えきれずに夫にこぼし、冷静な夫から返ってくるまっとうで論理的な返答に「別に解決してなんて言ってない、ただ聞いてほしかったんだ」なんて、典型的な「話聞いて女」の回答をし、そんな自分にさらにイラッとして、ふて寝する。

我ながら面倒くさい女だと頭の片隅で思っているのに、一度心のなかに巣を作っているもやもやというのは、そう簡単に出ていってはくれないものだ。

でもまあ、そうやって落ちるところまで落ちてふて寝した翌日とか、ひと呼吸おいてからは、意識的にモードを切り替えることにしている。

そうじゃないと自分のメンタルが崩壊しちゃうし、通常の仕事がはかどらないからだ。

そうはいってもわたしの場合、「切り替えよう!」とだけ思うだけではなかなか切り替えられないので、具体的に3つのことを意識している。

今回は自分の備忘録も兼ねて、それをメモしておこうと思った。

これはあくまでわたしの場合だし、たとえば「とにかく成長したいんです」とか、「世に名前を残したいんです」みたいなひとには向かないと思う。

だって極端にいうと「問題は解決しようとするな」とかいう話をこれからするから。キミね、課題解決ができないとリッパな社会人になれないぞ。キミには向上心というものがないのか。わたしにはあまりないぞ。えっへん。

ええと。

でもそうじゃなくて、べつに普通に生きたいだけなのに、人の態度や言葉に強くダメージを受けちゃったりして、なんだか生きづらいなあ、疲れるなあ……。なんてひとには、もしかしたらちょっとは参考になるかもしれない。もしかしたらだけど。

1.もやもやは無理に向き合おうとせず、「置いておく」

こころの中で抱えている何らかの葛藤や行き場のない気持ちを、ここではもやもやと呼ぶ。

このもやもやが心の中にあるときって、大変気持ちが悪い。だからどうしても気になってしまう。

それにわたしたち日本人は特に、「課題があったらなんとかして解決しないと」という思考をすりこまれているので、まじめなひとほど、「これどうやったら解決できるんだろう」「なんとかしないと」とその問題や葛藤について真剣に考えて、よけいに心を消耗してしまう……と思っている(え?いまサラッと自分のことまじめって匂わせた?そうだよわたしはフラフラ生きてるけど根はまじめなんだい!)。

それで果敢に課題解決していけるタイプのひともいるので、そういうひとはそれでいいのだが、今回はそうじゃないケースを前提にしている。

そういうわたしみたいなひとにおすすめなのは、「問題は解決しようとしない、向き合わない、置いておく」だ。ただそこに、「置いておく」。そしてそこから離れる。無理になんとかしようとしない。疲れるから。

ちなみにこの「置いておく」思考は、以前、海外で暮らす友人のインタビューの中でもらったフレーズだ。

その背景に興味のある方はよかったら、その項だけでもいいので、ぜひこちらのnote(←その項にいきなり飛ぶようにリンク設定してる)もご一緒に。“Just leave it !!” の考え方で、生きるのはたぶんラクになる。

2.たんたんと、歩く

これはいつも言い聞かせていることではあるのだけれど、メンタルがアップダウンしてしまうときこそ、強く言い聞かせてる。「たんたんと」って。

たとえばnoteも、反応を意識しすぎたり、何かの評価を狙いすぎたりすると、その反応が得られなかったりしたときに気持ちが落ちちゃう。それは自分自身がつらいので、アカウントを開設して以降ひたすらにたんたんと、自分が書きたいと思ったことや自分が興味のあること、書いていて楽しいと思えることなどを書いている。

1年以上前に、その姿勢を自分がこの先も忘れたくないなと思って「誰かの評価のためじゃなく」というnoteを書いた。そのときも今も、スタンスは変わっていない。

少し前からはじめた絵本の記録noteも、わざわざタイトルに「たんたんと、絵本の記録を」と入れたのは、こういう形式ってふだんのエッセイに比べて読まれにくいというのを予期していたから。自分が書きたいのに、反応が少なくて自分が書かなくなるのはイヤだなと思ったので、自分の心に予防線をはったのだ。

案の定、育児や夫婦ネタのエッセイに比べれば反応は少ない。けれど、それでも届くひとには届いたり、コメントをいただけたりして嬉しい。それに何より、将来の娘との話の種になるかなあ、という思いで、書きたいから、書いている。先に紹介した友人の人生インタビューシリーズもそうだ。どちらかといえば20代向けの内容なので、反応はガタ落ちする。でも書く(今も一本編集してる)。書きたいから書くし、結局それが、自分の糧になる。

そういうのと同じで、人間関係に傷ついたり、だれかの言葉に傷ついたりしたときも、まず「置いておく思考」でそこから離れたあとは、「たんたんと」日常のことを進め、自分のやりたいことをやるようにしている。

たんたんとごはんをつくり、たんたんと仕事をし、たんたんと娘の歯を磨き、たんたんと眠り、起きる。そして娘におはようって言う。そうやってたんたんと日常を過ごす。誰かのなにかにふりまわされずに、たんたんと。それがわたしの明日をつくってゆく。わたしはわたしの人生を生きている。

そう意識する。


3.心の円グラフで「楽しい」の割合を増やす

そうはいっても心の中に「巣をつくる」レベルでもやもやが住んでしまっているとき、一度「置いておく思考」で離れたつもりでも、ぼうっとしているとすぐにそのことを考えてしまっていたりもする。

そんなときにわたしが思ったのは、「ああ、ちっさなもやもやを気にしないくらい、楽しいことで自分の心を埋めたいな」である。

脳裏にあったのは、自分の心の中を今どんな要素が占めるのかの円グラフ。

もやもやがいまもし30%くらいを閉めていて、油断するとふとした拍子に頭に蘇ってきてしまうなら、今40%くらいある「楽しいこと」の割合をぎゅいーーん!!と増やして、車のワイパーみたいな感じで、もやもや部分を一掃してくれないかなあ、と思ったのだ。

誰かの態度や言葉を気にしすぎてしまうのって、わたし、楽しいことが足りてないからなのかもしれないなあ、と感じてさ。もっと言うと、ただ楽しい趣味だけじゃなくて、新しい取り組みだとよけい、心の円グラフの割合が持っていかれるので、いいのかもなあ、って。

だからちょっと、いまはいくつか、新しく、やってみたいと思うことを進めている。形になったら、またそれについても書きたいな。

実際に新しく楽しいことを増やしてみて、これはわかりやすく、健康的にいいアプローチだなと思った(自画自賛)。笑顔になる回数が多いと、それだけで体にいいっていうしね。

何も新しいことを始めるだけじゃなくて、友だちと遊びに行く予定を入れるとか、旅行のプランを立てて実際に航空券もとっちゃうとか、そういう「楽しい」でもいいんだと思う。とにかく、円グラフをぎゅいーーんってできれば。

以上、もやもやボールを心に抱えてしまったとき、落ち込んでふて寝した翌日にわたしが意識していること3つでした。

……まあこうやって書いていてもさ、落ちるときは落ちるよね。それはしかたない。落ちてしまうのはもう、しかたない。そういう自分の面倒くさい性質として受け入れるしかない。

だからこそ、そういうときの自分のなだめ方というか、コントロールのしかたみたいなものがあると、ちょっとだけ気持ちが楽になったりもする。

同じようなややこしさを自分のなかに抱えてるどこかの誰かの、参考程度にはなったらうれしいなあとも思いつつ。とりあえず、次回ふて寝した翌日には自分で読んで冷静になりたいと思う。はーい、解散!

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。