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観客へおりてゆくアーティストさん

先週末、サンドアート・パフォーマンスのミニライブを見る機会があった。

近隣施設の夏休みこども企画として「遊べる!デジタルアート展」という入場無料のイベントがあり、そのなかの一企画として、伊藤花りんさんというサンドアーティストを招いたサンドアート・パフォーマンスがあったのだ。

1歳の娘は夫が抱っこしてくれるというので、母は遠慮なく、ひさびさに集中して「ライブ」というものを堪能させてもらった。

* * *

ところで、サンドアート・パフォーマンスというものをご存知だろうか? 

近年ではかなり知名度はあがっている気がするが、ご存知ない方もいらっしゃるかと思うので、彼女のオープニング・パフォーマンスの動画を貼っておこう。百聞は一見にしかずだ。

こんなふうに、バックライトで照らされたガラスの上で砂を降らせ、その陰影を利用して次々と砂の絵を描いて物語をつむいでゆくのを、サンドアート・パフォーマンスと呼ぶ。

かくいうわたしも、映像では何度か見たことがあったけれど、ライブは今回が初めて。どきどきしながら会場に座っていた。

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……いや、よかった。とてもよかった。

空間を共有し、実際にその場で砂を上から散らしたりする様子をみながら、リアルタイムで刻々と絵が変わってゆくさまを見るのはとても感動する。

サッ、サッ、サッ。

迷いのない指づかいでテンポよく生み出されては、消され、また生み出されては消されてゆく無数の絵。

ご本人は涼しい顔で、なんてことのないように次々と絵を描き続けているけれど、すこし想像すれば、それがいかにものすごい技術の集合なのかわかる。高い絵の技術力、バランス感覚、リズム感、砂の散らし方など、素人が想像するだけでも簡単にできることではないなあと思う。

けれど映し出される絵は、あくまで次々と、テンポよく、流れるように。そうしてひとつのストーリーを紡いでゆく。見ている方も、ちゃんとストーリーに意識を向けることができる。

一枚の板のうえで、ただ一色で。

そうとは思えないほどに、いきいきと物語が進んでゆくようすを、流れに飲み込まれるようにしてじっと味わっていた。

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そういった芸術性の高さもさることながら、個人的にとても感動したのは、サンドアーティストの伊藤花りんさんや、企画運営の方々が「こどもたち目線」をとても意識してくれているなあ、と感じたことである。

たとえば、まずオープニングのパフォーマンスが終わったあとにご本人のトークが入ったのだが、そこではこどもたちに向けてサンドアートの仕組みを解説してくれていた。

「どうしてこういうふうに見えるのか、説明するね」「みんな、影絵って知ってるかな?」となじみのあるモチーフから話を切り出し、サンドアートの仕組みを説明してくれる。

「ここに透明な板があるんだけど、それに下から光をあてて、それを上のカメラ(指さしながら)で撮っているのが、画面に移されているんだよね。それで、こうやって砂を重ねていくと…(実際に砂を降らせながら)、どんどん濃くなっていく。その陰影で絵を描くっていうのがサンドアートです」。

おとなにとっては「まあわかるでしょ」というこういうポイントを、決してバカにせず、いちからていねいに解説してくれるのはとても好感がもてる。

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また、今回は3本の作品をパフォーマンスしてくれたのだが、2本目は「うらしま太郎」だった。これも個人的にはいい意味で予想を裏切られるチョイスであった。

サンドアート・パフォーマンスというと、わたしのなかではとても「お洒落」なイメージだったからだ。芸術性が高くて、アートとしてくくられるなんだかお洒落なもの。それは憧れということでもあるし、言い換えれば自分と距離を感じる、ということでもある。

そこへきて、ていねいに仕組みを解説してくれたうえ、次の作品はこどもたちにもよく知られた日本の昔話、「うらしま太郎」。

慣れ親しんだストーリーが、アレンジされた「うらしま太郎」のテーマソングにのって、一流アーティストの手で流れるように、美しく紡がれてゆく。それは新しい体験だった。おとなとしてはそこで描かれる世界観に、はじめてうらしま太郎の切なさを心に感じて、ちょっと泣きそうになった。

あとでアーティストさんの公式HPを見てみたら、他にも「桃太郎」などの作品がアップしてあるのを見つけた。雰囲気は感じてもらえると思う。

花りんさんがこうした昔話を題材にするのも、もしかしたらわたしのように「距離」を感じているひとの存在を理解されているからなのかもしれない。

だれにでもわかりやすい題材を扱うことで、少しでもその「距離」を縮めようとしてくれているのかな、と感じた。

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もうひとつ、いいなあ!と思ったのは、パフォーマンス後、こどもたちが実際にサンドアート体験ができる時間が設けられていたことだ。

一列にならんで、順番を待つこどもたち。

いま目の前で繰り広げられていたかっこいい、魔法のようなパフォーマンスが生み出されていた場所に、一歩足を踏み入れて体験できる。いま舞台に立っていたアーティストの方から直接、教えてもらう。

ただ見て帰るだけよりも、そのアートがずっと自分のなかで印象的なもの、経験として根付いたものになることは間違いないだろう。

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今回のライブを通していちばん思ったことは、「観客をおきざりにしない」アーティストやアート企画もいいなあ、ということだ。言い換えれば「観客目線におりてゆく」とでもいおうか。

これはあくまでわたしの偏見だ!と思いつつ書くけれど、わたしはこれまで、なんとなくアーティストやアートというと、「わかるひとにはわかる」をよしとするような、ちょっとした敷居の高さを感じていたのだと思う。

確かな腕や技術があって、独自の世界観が確立されていて。あとは、観客が自分で理解してください、という、ある意味の突き放し。アートという世界には少なからずそういう突き放しみたいなものがある印象を持っている。実際、「観客に委ねる」という言い方をすれば、そのほうがいいよね、と納得する自分もいる。

ただ、そういう“アーティスト然”を自分のなかで固定観念として持ってしまっていたので、今回が新鮮に感じたのだ。

もちろん、大衆を意識しすぎて迎合するわけでもない。まず確固たる技術や自分の表現を確立したうえで、観客目線をつねに考えてコミュニケーションをとろうとする姿勢が、かっこいいなあと思ったのだった。

* * *

そして、それってたぶん、別にアートを職業にしていなくても、意識できることだよなあ、と思う。

会社で高いスキルを持って何かの仕事をしていたり、noteでいろいろな表現をしていたり、いろいろなシーンで「自分が持っているもの」をだれかに伝えようとするとき、受け手との距離感を意識はできる。

あえて突き放す、も、あえて降りてゆく、もどちらもあっていいんじゃないかと思っている。ただどちらにしても、その距離感で発信しているということを、意識できるようではありたいな、と思ったのだった。

(おわり)

P.S.

伊藤花りんさん、「遊べる!デジタルアート展」ご関係者のみなさん、すばらしいライブイベントをありがとうございました。というか、デジタルアート展企画なのにデジタルコンテンツの記事でなくてすみません。

でも、あの3本立てという構成はとてもよかったです。むしろ、シンプルなパフォーマンスそのものもしっかり見せてくれてありがとうございました。

デジタルとのコラボ作品では、電車に乗っていて、車窓の景色が映像で流れてゆく、というシーンが印象に残りました。サンドアートの中の世界から、さらにもういち階層深い世界、が覗けた感じが好きでした。1歳の娘がこれから成長してゆくので、毎年、おもしろい企画を楽しみにしています。

↑デジタルとのコラボ作品パフォーマンス中のひとコマ。花りんさんの描くサンドアートに合わせて、映像が投影されてゆく。写真は、眠る女の子の手元にある本の中に映像が投影されているシーン。

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info

「遊べる!デジタルアート展」 @アクロス福岡

※2018年分は開催終了。ここ数年、毎年8月上旬の数日間にやっているみたいなので、たぶん、また来年も……?

■サンドアーティスト 伊藤花りんさん(パフォーマンス動画あり↓)

■anno lab(デジタルコンテンツ制作)

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