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歯医者へ行った日の脳内日記

歯医者へ行った。

そもそもわたしの歯はどちらかというと虫歯になりにくいタチらしく、そういえばおとなになってからというもの、あまり歯医者のお世話にはなっていないような気がする。ただ20代前半のころ、会社にいるときに親知らずが痛みだして仕事が手につかなくなり、早退して歯医者へかけこんだことだけは覚えている。結局両方とも抜いた。

まあだから、それ以外はさして歯について悩んだことがなかった。しかし娘を出産してから口内環境が変わってしまったのか、やたら歯に着色よごれがつくようになってしまった。

「1年に1回は歯の定期検診を」と薦められるくらいではまず足が向かないわたしなのだけれど、ちょうど1年くらいで、自分でも「こりゃまずいだろう」と思えるくらいに着色よごれがついてしまうので、「しかたない、クリーニングがてら行くか」としぶしぶ足を伸ばす。

そんなわけで今回も約1年ぶりに、定期検診とクリーニングを兼ねて、近所の歯医者へと向かった。

歯医者へ着く。

待合室でオレンジページ特集号を見つけ、鶏むね肉のページを熟読する。今日は冷蔵庫に眠っている鶏むね肉をいかにかせん。なになに、ヨーグルトと香辛料に漬け込んで焼くタンドリーチキン。ほう、むね肉ではやったことなかったな。やってみるかな。ヨーグルトないなあ、帰りに買わなくちゃ。わりと真剣に夕飯の献立を吟味していたら、呼ばれた。

診察台に通されて、何の抵抗もなくそれに座る。……瞬間、ふと、浅生鴨さんのエッセイのことを思い出した。ああ、これがコックピット。

鴨さんの著書『どこでもない場所』の中で、歯医者へ行ったときのことを書いたものがあり、その中で鴨さんは、歯科のあの診察台のことを「コックピット」と記していたんではなかったか。最近読み返したわけではないから記憶はおぼろげだが、コックピットという響きはとても印象的だったので、まさにそれに座った瞬間、ぽん、と頭に浮かんだのだ。

ちょっと意識して診察台を見つめてみると、なるほどそれぞれの診察台にはその患者のための器具や装備が一体化されていて、ここに座ってあらゆることをコントロールできる(される)という意味では、たしかにコックピット感がある。

なんてことを思っている間に小さなエプロンをつけられ、椅子が倒されて、天井が見える。口の中を照らすためのライトがずずいと伸びてきて、ぴかんとつく。「はーいちょっと拝見しますねー」と言われ、無意識に口をあける。そして歯科衛生士さんが口のなかを見はじめる。

そしてがばりと口を開けたこの瞬間、わたしは重大な問いを思い出した。それがこれである。

去年の夏に書いたnoteで、この中でも「先日定期検診に行った」と言っているので、わたしは今後も、きっと歯医者に行くたびにこの問いを思い出すことになるんだろう。普段は忘れているくせに。

そんなわけで、このnoteのことは、いざ診察台に載せられてがばっと口を開くまですっかり忘れていたので、読み返して心の準備をしておくことができなかった。

そこでいつもの流れで最初は目を開いたまま、ぼんやりと天井を見つめつつ、心のなかではいくぶんか焦りながらパラパラパラ……とページをめくるような感覚で、このnoteのコメント欄などで繰り広げられていた会話をなんとか思い出そうとする。ああ、あのとき、わたしは結局どっちにしよう、と思ったのだったか。

美容室については、先のnoteの翌日に書いたnoteのほうのコメント欄に、サカエ コウ。さんが元美容師さんとしての声を寄せてくださって、「よし、やっぱり目を閉じよう」と思ったのでその後も閉じるようにしているのだが、歯医者についてはなにせ1年ぶりなので、あれ、け、結局どっちにすることに、わたしはしたんだっけ……と、平然とした表情でがばりと口を開けながら、心の中だけでオロオロしていた。

実際のところは毎日何人もの患者を相手に仕事をしているプロなのだから、わたしが目を開けようが閉じようがそんなんどっちでもええわという感じなのだろうけれど、わたしが気になるのだ。

だから中途半端に、最初は開けていて、長くなりそうだと途中から「見られてると集中できないかな……」と思いながらなんとなく閉じてやり過ごし、でもやっぱり落ち着かなくて、しばらくするとちらっと開けてみたりする。

上の定点カメラから見ている第三の私が、「いや自分、はっきりしたらどうなん気持ち悪いわ」となぜかエセ関西弁でつっこみをいれてくるのだけれど、どうにも気持ちの所在のないわたしはそうやって開いて閉じてをくりかえすほかない。

そうしてこんどは、歯科衛生士さんが「歯の動きをみていきますね〜」といい、わたしの歯を端から器具をつかって軽い力で押しはじめ、「ああ、歯のグラつきチェックか」と脳内で理解したとたん、今度は反射的にハネサエ.さんのこのnoteを思い出してしまった。

“「ねぇ、歯、今もぐらぐらする?」
と訊ねると
「少しはする」
少しは……??????

「前よりはしないの??」
「うん。ぎゅって入れたから」

ギュッテイレタ……ギュッテ…ギュッテ……???“

(出所:『あの日、息子の前歯が折れた』

ぐらついていたはずの息子くんの前歯が、なんと息子くんのミラクルによって解決された、衝撃のあのシーン。全貌を知らない方はぜひ読んでほしい。何よりおもしろいし、生きる希望がわいてくるから。

ただ思い出してほしいのだけれど、このときわたしは診察台のうえで寝転がって、がばりと口を開けて歯のぐらつきをチェックされているところだ。

そこでこの名シーンをふと思い出し、「ぎゅって入れたから」のあとの「ギュッテ……???」という片仮名使いまで鮮明に脳内再生されてしまい、口を開けたまま吹き出しそうな衝動にかられ、“まずい、笑うな、わたし……!”という葛藤を繰り広げていた。

実際は、若干口角があがってほほ肉もきゅ、とあがったくらいで誤魔化せたと思う。思わず吹き出して「がふっ、ごほっ(笑)すいません(笑)」「え、いえいえ!だいじょうぶですか?(何突然笑いだしてんだこいつ)」とならなくて、ほんとうによかった。

その後も歯のクリーニングをしているあいだじゅう、目を開けたり閉じたりしながら、開けたときには目を動かせる範囲で周囲を見渡し、「ああ、ここがコックピットなら、この上から歯を照らすライトはハンドルだな」とか、「あ、隣の人、目を開けたままだ。やっぱりあれが正解なのか?」とか、「鴨さんもこうやって可愛らしいエプロンつけて、歯医者のコックピット座ったんだよなあ」とか、目まぐるしくいろいろなことを考えてしまう。

見た目としては、ただじっと真面目な顔で横たわって口を開けているだけなので、こんなにも頭のなかでわいわい賑やかにひとりコントみたいな時間を過ごしているなんて、きっと歯科医と歯科衛生士さんは思いもよらないだろう。最後までそんな物思いにふけりながら、なんかすいませんという心持ちで歯医者をあとにした。

いろんなことを考えすぎたので、ヨーグルトは買い忘れた。

家に帰り、気になって『どこでもない場所』を開き、「初めてのコックピット」の章を読み返す。けっこう忘れていたので、にやにや笑いながら読んでいたら、わたしの中でタイムリーな一節に出会って衝撃を受けた。

”せっかくなら歯を削るドリルを見てみたい。僕は、自分の口に近づいてくる太いペンのような金属の棒を見ようと目を凝らした。つい、先生と目が合う。
「あのう、目を瞑ってもらえませんか。やりにくいんです」
「あ、ふひあへん」
目を閉じると、先生はドリルを僕の口の中に入れて歯を削り始めた。”

(出所:浅生鴨『どこでもない場所』「初めてのコックピット」p28-29)

ああ、ここにもひとつの解があったのか。

やっぱりわたしも、次回はちゃんと目をつむっておこうかなぁ。覚えていられるだろうか。


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