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ヨーグルト、君のおかげで。

それは、ある土曜の朝のこと。

“あ、食パン、足りるかなあ……?"

そういえば、昨日すでに残り少なくなっていた気がする。起き抜けにふとそれを思い出し、のそのそと冷凍庫を開けてみる。すると、いつもはストックしてあるはずの食パンがない。直感というのはだいたい正しいのだ。

「あー、食パンないじゃん!」

とりあえず、やたら大きな声で家族にそうアピール……しつつ、いや待てよ、じゃあ冷凍ごはんでいいやと思いながら冷凍庫の上段を確認する。

が、あろうことか冷凍ごはんも明らかに足りないではないか!

ついでに言うとお米もちょうど底をついている。ええ、まじか。いや、あきらめるのはまだ早い、落ち着け。ならば朝からうどんでいこう。

そう思って庫内を確認するけれど、まあ嫌な予感は的中し、こんなときに限って冷凍うどんも切れている。おい、やっちまったなあ。

* * *

ちなみに、時間がたっぷりとあった妊婦時代にはよく朝食にパンを焼いたりしていたものだが、なんと今の我が家には強力粉はおろか、普通の薄力粉すらない。今でこそパンもうどんも食べている娘だが、以前は小麦にアレルギー反応が出ていて、小麦粉を使う料理は米粉で代替していたのだ。

そう。冷蔵庫にある、主食になりそうなものは、しいて言えば米粉。

卵とベーキングパウダーでもあれば、パンケーキがいけるかな……。

うっすらとそんなふうに思いつつ、でも、と、卵のラックを一瞥する。

もちろん、卵なんてない。

なぜなら、「小麦アレルギー」がようやく改善しつつある娘の「卵アレルギー」の方は、まだ病院の負荷試験の途中のため、基本的に我が家の冷蔵庫には卵が常備されてはいないのだ。いや、何も威張るようなことではない。大人は別に食べたっていいのに、母がずぼらで別メニューを作る気がないから、卵をあまり買わない、というたいへん残念な話だ。夫よごめん。

とにかく、ない。

わーん、どうするよこれ、朝ごはんどうするよー。ええ、外に買いにいくしかないのかな、やだな、めんどうくさい。何か、何か、何か。

ふたたび、わらにもすがる思いでなめるように冷蔵庫内を見回す。そのとき、静かにたたずむ青と白のパッケージに目がとまった。

"あ、ヨーグルト”。

瞬間、わたしの脳内にピピピッと記憶が甦る。

そうだ、そうだ! そうだ!!

ヨーグルトがあれば、なんとかなるかもしれない。きっとなんとかなる。いや、絶対なるわ。

もはや確信に近い希望の光を得て、わたしはiPadの検索窓にこう入力する。

「米粉 パンケーキ 卵なし ヨーグルト」

読者のみなさまに置かれましては、そろそろじわじわと意味不明度が高まっていると思うので、ここでいったん補足をすると、「一般的には卵を使う料理」に卵を使えない場合、その代替としてヨーグルトまたは豆腐などが使われることが多いのだ(あくまでわたしの浅い経験則より)。

科学的なことはわたしにはわからないけれど、本来は卵の役割であるしっとりさとか、ふわふわさを与えるのに、ヨーグルトまたは豆腐がなんらか機能するのだろうと思われる。

わたしが冷蔵庫内にたたずむヨーグルトのパッケージを見て「いける!」と思ったのは、これまで何度も何度も、同じような検索をしてきたという経緯があったからだ。

必殺、「メニュー名 卵なし ヨーグルト」で検索!

ちなみに、我が家の娘っ子の離乳食期は、小麦と卵はもちろん、大豆もアレルギーの検査結果が出ていた&食べさせて実際かぶれがひどかったので、豆腐も使えなかった(その後、1歳を過ぎてから負荷試験をして、大豆はクリアできたので今ではもりもり食べている)。

つまり、「卵なし」だけで検索すると豆腐や豆乳などを使ったレシピも出てくるので、当時は「ヨーグルト」まで入力して検索する必要があったのだ。そのくらい、「困ったときにはヨーグルトがなんとかしてくれる」感はこの2年でわたしの中に培われていた。そんな背景があった。

1歳の誕生日のケーキも、この「卵なし・小麦なし・大豆なしの米粉パンケーキ」レシピを検索して、作った記憶がある。確信に近い「いける!」という思いは、ここから来ていた。

* * *

――パッ。


iPadの画面に、ダダダダッ、と検索結果が表示される。

その瞬間、わたしはいつも、何度でも感動する。

インターネットの向こう側にいる、先輩たちの存在に。その先輩たちが大海原に放ってくれている、知恵の多さに。

同じようにアレルギーっ子を育てているお母ちゃんお父ちゃんたちは、直接の知り合いにはいなくても、インターネットの向こう側にはいくらだっていて、みんな楽しそうに、アレルギー除去レシピを作った写真なんかをアップしていたりする。

「小麦アレ卵アレの息子に作りました〜♪ ぱくぱく食べてくれました〜♡」
「卵使わないレシピを探していて辿りつきました〜!おいしくできました^^感謝♡」

各地から寄せられるそんなことばたちがずらりと並ぶ、その平和な世界に、かつてのわたしは確かに、何度も癒やされていたと思う。

……なんて感傷にひたる暇は、その朝にはもちろんなく。

わたしは表示された検索結果の中から、見覚えのあるリンクを瞬時にクリックした。

すぐに求めていたレシピにたどりつき、サッと材料欄に目を走らせる。

“米粉、ベーキングパウダー、ヨーグルト、牛乳、砂糖”

……ある! 全部あるよ! お家にあるよ! お買い物行かなくていいよ!!

神さま!!先達さま!!ありがとう!!!

* * *

さっそく親子3人の朝食をまかなうべく、残っていた米粉を全部使って、レシピの2.5倍量でたくさん作ることにした。

生地のタネをつくり、フライパンに落として弱火で焼いてゆく。

その感じはとてもなじみがあって、でも結構久しぶりな気がした。

米粉パンケーキ、ちょっと前まではよく作って、冷凍していたなあ。小麦が食べられなかったころ、市販のおやつは赤ちゃんせんべいばっかりで、ちょっとでも違う食感、違う味のものをあげたいと思ってさ。我ながらがんばっていたなあ、あのころのわたし(笑)。

小麦の入ったお菓子が食べられるようになってからは、市販のお菓子に頼ることが増えてサボりがちだったけど、むしろ今は小麦粉も使えるようになったんだから、パンとかホットケーキとか、もっと作ってあげたいな。

卵はまだグレーゾーンだからレシピは選ばなきゃいけないけどね。そんなときも、ヨーグルトがあれば、大丈夫。あとは先輩たちが導いてくれる。

――パンケーキをひっくり返して、フライパンの上で焼き上がるそれを見つめながら、またぼうっと思う。

“ああ、あったなあ、ヨーグルトで書けること、書きたいこと。あったんだなあ、わたし”。

noteでお題の募集をしているのを見たときは、正直そんなにピンと来ていなかった。ヨーグルトを直接食べていたのは実家にいたときが多かったから、もし書くならそのころの話かなあ、ちょっと遠いなあ、なんて思ったり。

でも思えばこんなに直近で、ヨーグルトに何度も救われていたじゃないか。ヨーグルトがあったから、娘の1歳のバースデーに、ちゃんとケーキらしきものを用意できたじゃないか。パンケーキの周りのデコレーションも、手作りの水切りヨーグルトを塗ったじゃないか。なんだよヨーグルト、万能かよ。

直接食べてもおいしいヨーグルトは、実は料理の陰の立役者でもある。

できあがった料理はヨーグルトの存在感を感じさせない仕上がりだから、存在を意識することはあまりないのだけれど、彼がいなければその料理は成り立たない。そんな、本当にだいじなひとだった。

さりげなさすぎて、気づけてなかったよ。

* * *

「ねえちょっと、すごくない? パンもごはんもうどんも、小麦粉も卵もなかったけど、ほら!ちゃんと朝ごはんできたよ!!」

思わず夫に、自らの偉業(?)を大げさにアピールする。褒めは自分から求めていくスタイルだ。待ってたって、まず降ってこないもの。

「うん、すごい」

夫は素直に褒めてくれる。えらいと思う。

「そういえばね、noteでヨーグルトのお題企画があってさ、自分が書くなら何だろう……実家の思い出とかかなあ?って思ってたんだけど、あったよ、ヨーグルトで書きたいこと。これはさ、書きたいよね。ヨーグルト、考えたら娘ちゃん生まれてから、アレルギー除去レシピでめっちゃ、同志としてお世話になってたわ。ってことに、今気づいた」

ちょっと興奮気味に、わたしは夫に言う。

「よかったねえ」

のんびりと夫はそう言って、つづけて、さらりとこう付け加えた。

「がんばってたしねえ……」

パンケーキを焼きながら、ふいに背中でそんな声を聞いて、じんわりと胸が熱くなる。

そんなつもりで言ったんじゃない。そんなつもりで言ったんじゃないんだけど、ふいうちで返ってきたそのひとことに、突然いろんな記憶がどどどと押し寄せる。押し寄せて、勝手に目頭が熱くなる。

“がんばってたしねえ……”。

見てくれているひとがいた。ひとりでは、なかったのかもしれない。

胸のなかで、何度もそのことばを反芻しながら、焼き上がるパンケーキをじっと見ていた。


(おわり)


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P.S.お世話になったレシピはこちら。敬意を込めて。



自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。