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297円のサーモン。

午前中に出かけた帰り道、たまの贅沢にひとりでカフェランチでもしてやろうかと思って歩いていた。

ぼんやり店を探しながら、駅から家の方向へ歩く。

よさげなカフェで足をとめる。

サンドイッチセット、950円。

うん、まあありなんだけど。友人と会うわけでもなく、ひとりで950円は、うん……、悩む。

たとえば漁港の海鮮丼とか、出張で訪れた土地の名物とかなら、ひとりでも迷わずいくところ。でも家の近所のカフェで、しかもサンドイッチとかパスタとか、家で作れるメニューに950円はね、迷うお年頃なのよ。

いやいや。今日のコンセプトは「贅沢してやろう」だったはずだ。

サンドイッチセットを950円払って食べることこそが「贅沢」というやつなんではなかろうか。どうなんだ。

どうなんだ?

そんな気持ちをころころと胸のうちに転がしながら、けっきょく迷ったまま、カフェの前を素通りし、スーパーへ吸い込まれる。

だって、やっぱり。

思っちゃうのだ。

それなら大好きな超熟のイングリッシュマフィン(158円)でも買ってさ、たまの贅沢に、ふだんは買わないスモークサーモンでも買ってさ。家にあるレタスと玉ねぎと一緒に、マフィンにはさんでさ。

ああ、もうそれでいいじゃん。

ってね。

そんなことを考えながら、パンの棚からイングリッシュマフィンをむんずとつかんでカゴに入れ、魚売り場でスモークサーモンを探す。

ふだんは買わないから、場所を知らない。刺し身売り場にはなくて、干物などの加工品コーナーで見つけた。

スモークサーモン、297円。

安っ。

そう、思っちゃうんだよなあ。

ふだん、夕飯の買い物に訪れているときなら、こんなぺらぺらの、紙切れみたいに薄っぺらいサーモンが、たかだか10枚くらい入って297円とか、「高っ。」としか思わないんだけど。

だって鶏胸肉なら160円くらいで、一家の夕飯のおかずのメインを堂々とはれるところ、とてもじゃないがまったくお腹も満たされそうにないぺらぺらに、297円とか、ええー、なわけで。

スモークサーモン好きだけど、おいしいの知ってるけど、いやぁ、今日は鶏胸肉にしとくかあ、いや、明日もサバの干物にしときますね、すみませんあはは……ってなるやつだよ。

でもなあ。950円を見たあとだと、「安っ」なんだよなあ、やっぱり。

297円のスモークサーモン(ぺらぺら)と、158円のイングリッシュマフィン(4つ入り)を買って、スーパーを出た。ついでに65円のポテトチップス(のり塩)も買った。

家へ帰ると、平日の日中なのにめずらしく夫が家にいた。

「おや。どうしたの?」

「ちょっと家で作業したいことがあって」

「へー。お昼食べた?」

「まだ」

「いまからイングリッシュマフィンでサンドイッチ作るけど、食べる?」

「食べる!」

「今日はねえ。297円で買える幸せを買ってきたからねえ」

ひとりの贅沢と思って買った297円のサーモンは、期せずして夫とわかちあえる贅沢となった。

外食せずに帰ってきたわたし、グッジョブ。

マフィンをていねいに2つに割いて、トースターに入れる。

冷蔵庫に入っていた使いかけの玉ねぎを薄くスライスする。レタスを洗う。

白くて大きなスクエアプレートを2枚出して、それぞれの隅にミニトマトを置き、きゅうりを斜めに薄く切って、それっぽく重ねてその横に並べる。

チン!

いい感じにこんがりと焼けたマフィン。

ザッザッとバターを塗って、チーズを載せる。

レタスをぽん、玉ねぎサササ、それからドレッシングをたらり。

サーモンをケチらずにたっぷりと載せ、ブラックペッパーをごりごりっと。

鮮やかでやさしいオレンジ色の上に、はらはらと黒の点が舞い落ちる。

たいそうな厚さになったそのサンドイッチを、トマトときゅうり(とポテチ)を載せたワンプレートの真ん中にどん、と置けば、あら不思議。

なんだかそれっぽい。

297円のサーモンは、2人のランチで一瞬のうちになくなった。

鶏胸肉よりはよほど高く、けれどカフェのサンドイッチよりはよほど安く。

なんだかとても満たされた、でも満たされすぎて罪悪感を味わうこともない、後味のよい贅沢だった。

(おわり)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。