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ただ、その笑顔がつづきますようにと願うのだけれど(幼稚園見学で感じたもやもや)

このエントリを書こうかどうか迷った。

わたしの感じ方や考え方はあくまでも一個人の主観的なものであると自覚しているし、ひとによっては同意しかねるものもあるかもしれない。けれど世の中のたいていのことはきっとそんな性質だし、このもやもやについて一度自分でも落ち着いて考えてみたくて、ならば考えるために書こうと思った。だからこれはどこかへ向かう論文でも意見書でもなく、わたしが自分の中のもやもやと向かう思考の過程を、ただぐるぐると記したものである。

さて我が家には2歳の娘がいて、とてもかわいい。

牛乳が好きで、納豆ごはんが好きで、みかんが好きで、絵本が好きで、レゴブロックが好きな娘だ。音楽もけっこう好きで、ご機嫌なときは体をゆらして謎のダンスを披露してくれる。最近ははさみを使うのにもはまっていて、保育園で切ってきた紙切れを大事そうに「みて!ちょっきん、したんだー」と言って見せてくれる。家でもこの前、ずいぶんと集中して長いこと紙を切っていた。いつのまにかもうそんな道具まで扱えるようになったんだな。

寝返りすらうてずに、ただ泣いているだけだった赤ちゃん時代を思えば、信じられないほどに自分でいろんなことができるようになった。2歳後半のいまはとくに、なんでも「じぶんで、やるから!」と言い、親が勝手に靴を履かせたりしようものなら「いぎゃぁあ!!」と烈火のごとく怒る。彼女は彼女のペースで、着実に成長をしてきている。それがとても愛しくて、わたしはそんな彼女のことを頼もしく思う。

ただ、同い年や、年下のお友達が当然のように両足を軽やかに浮かせて走ったりジャンプしたりするなか、娘は早歩きはできるけれど両足を同時に離して走ることはまだできないし、ジャンプも手をあげてぴょん、というそぶりはするけれど、実際に両足を浮かすことはできない。

公園へ行くと、からだは人一倍大きいのに、ひとつひとつの動きがとてもゆっくりとマイペースで、俊敏な動きをする小さなお友達にどんどん抜かされてゆく。ひとりだけスローモーションを見ているようだ。ああ、1歳って、2歳ってこんなにすばやく動けるんだ、こんなに流暢に話ができるんだ。周りの子に接する度に、わたしは毎回そう気づかされる。

彼女の発達はいわゆる“定型発達”とはすこしずれているそうだ。

過去のnoteにもなんどか書いてきていることだけれど、彼女は0歳のときから頭囲が大きくて、首が座るのもずいぶんと遅くて、こども病院に発達遅滞の経過観察として定期的に通っている。いろいろな検査もしたけれど、いまのところはっきりとした病名は確定していない。ただ、以前もこのnoteに書いたとおりソトス症候群の疑いがあり、この夏に手術した心臓疾患も、その合併症としての可能性が高いかもしれないという見方もある。頭の大きさや、マイペースな成長速度を見ていても、まあそうなのかもしれないな、という気持ちでいるが、はっきりとはしていない。べつに今回、病名は本題でもない。

とりあえずこども病院には小さい頃から、定期的に神経科の発達チェックでお世話になっている。並行して、川崎病で入院したのをきっかけに心エコーで心房中隔欠損がみつかって、その心臓手術をこの夏にしたので、循環器科にもだいぶお世話になっている。

神経科のほうでは、もともと必要に応じて療育なども検討しましょうという話でようすをみていたけれど、「まずは心臓の手術が先ですね、ひとつひとつ向き合いましょう」ということで、いま現在はまだ療育などには通っていない。この先3歳、4歳と年齢を重ねるうえで、周りとの意思の疎通でたいへんさを感じてくるようなことがあれば、そのタイミングで療育を検討しましょうと医師からは言われている。

一方で集団生活としては、1歳3ヶ月ごろから0〜2歳のみを扱う、一般の小規模保育所に通っている。発達遅滞で経過観察に通院していることや、ソトス疑いなこと、アレルギーがあることなどいろいろな状況はシェアしたうえで、普通に受け入れてもらい、通いつづけている。その保育所には他にも障がいをもったお子さんも通われているし、外国のお子さんも通われている。

保育士さんは「最近よくおしゃべりするようになりましたよね〜!」とか「最近、すごく『ありがと!』って言ってくれるんですよー」とか、「お皿洗い、ちゃあんとできるようになったんです!」などと嬉しそうに報告してくれる。明らかに周りと比べたらスローペースなはずだけれど、「最近ようやく〜ですね!」とか「ちょっと遅いのでがんばって〜してください」なんて言われたことは一度もない。

わたしは娘を入園させる前、結構な数の保育園に見学にいったりもしたけれど、保育園ではどこでも基本的に、わたしが発達の不安を相談すると「ひとりひとりの発達段階にあわせてみていくので大丈夫ですよ〜」と言ってくださることが多かった。ひとりひとりの成長にフォーカスしてくれる、保育士さんの存在はとてもありがたくて、心強くて、救われている。

さて時は流れて、わたしはいま、来年から娘が通う保育園探しをしている。

小規模保育所は来年の3月には「卒園」となるので、3歳からは別の保育園か幼稚園を見つける必要があるのだ。ついでにもろもろの事情から、我が家はそのタイミングでちょっと区外に転居を考えていることもあり、転居先のエリアで保育園探しをしている。

先日、平日に夫と休みをとって娘も連れて、1日かけて転居候補地のエリアを訪れ、3つの保育園と1つの幼稚園を見学させてもらった。

もともと幼稚園のほうは、現段階ではあまり視野にいれていなかったのだけれど、いま通っている小規模保育所から提携先として話を聞いたこともあり、せっかくそのエリアを訪れたので見学させてもらうことにしたのだ。

そしてその幼稚園見学の体験が、いまわたしにこの文章をかかせている。

最初に職員室のようなところに通され、パンフをめくりながらひととおり説明をしてもらった。

「うちは遊び中心です」。ふむふむなるほど。わたしたちも勉強よりはのびのび遊ばせたいという考え方なので、なかなかいいなと思いながら聞く。どろんこで遊ぶこどもたちの楽しそうな写真、森の中に位置するその園の特権を活かして、自然とのふれあいのようす。ああとってもよさそうだな。

ひととおり説明を終えて、その園長は言った。

「ところで、健診とかはやられたりしましたか?」。

いきなりの質問、しかもちょっと意味がわからなくてとまどう。「はあ、市の健診は受けてきましたけど……」と答えると、「そこで何か言われたりとかは」と返ってきて、ようやく意図を理解する。その子、遅れとかあるんじゃないの。我が子の見た目で察して、その説明を求められているようだ。べつにこちらも隠す気などないので、少し発達遅滞が指摘されていて経過観察などに通っていることを話す。

そこから先に園長から話されたことは、要約するとこんな感じだ。

一応、もし入園希望ということで願書を出してもらったら、その後に適性検査という形で面談がある。そこでちょっといまの入園が難しいなと思ったら、たとえば4月は見送って9月入園を検討するとか、もしかすると入園をお断りすることもあるかもしれない。ちょっといままでの経験上、ぱっと見た感じ、お子さん(我が子のこと)は厳しいかな、という印象です。じろじろと娘を見て、「異物」センサーを働かせているような印象を受けた。

そうか、保育園では「遅れているんです」というと「遅れているんですね」と理解して受け入れてもらえるのが常だったけれど、幼稚園は、少なくともとりあえずここの幼稚園は、「遅れている」なら「じゃあ入れません」なのだな。なるほど。そうなのか。はじかれるのか。そうなのか。

ちなみにおむつも、もし入園するなら4月までには確実にとっておいてくださいね!という言い方だった。その前にまわった3つの保育園ではどこも、「まだトイトレ中で……」と話すと「ぜんぜん!3歳でも最初はとれていない子もいますので、そこはひとりひとり見て、対応していきますので大丈夫ですよ〜」と言われていた。

なお保育園のほうで「発達がゆっくりなので、ついていけるか少し不安なんですが……」と話したときは、「不安ですよね〜。でもそこは保育士が、ひとりひとりの子を見てあわせて対応していくので大丈夫ですよ!」とにこやかに言ってもらっていた。保育園のそのカルチャーに慣れてしまっていたので、わたしのなかではその幼稚園の洗礼が強烈すぎたのだ。

ついでにいうと、その幼稚園では14時以降のお預かり保育も、行政から指導が入ってしぶしぶはじめたけれど、ほんとうは反対なのだと断言していた。幼少期の子は4時間以上親と離れるべきではないという考え方だ。我が家はいま小規模保育所にあずけているんですと言ったら「ということはお母さんも働かれているんですね、毎日ですか……それはちょっと寂しいなあ」とあわれむような雰囲気で言われたので、この園に預ける気はここでゼロ以下マイナスになった。

ロケーションはすばらしくよくて、自然に触れられる点はとても理想的だったけれど、ここに通わせたらわたし自身が、「わたしは娘にかわいそうなことをしているのかもしれない」なんて、保育園に通わせていたら悩まなくて良い点でメンタルをやられて、落ち込んでしまうと思ったから。まあそこは今回の論点ではないのでここまでにしておこう。

いろんな点からもうこの園に行くことはないと思うけれど、とりあえず、カルチャーショックがすごかった。

もちろん、幼稚園見学はひとつだけなので、すべての幼稚園がこうだ!と言うつもりはまったくない。ただ偶然にしても、たまたまそのひとつでいきなりカルチャーショックが大きすぎたものだから、あらら、こういうのってやっぱり保育園と幼稚園で違うものなのかしらどうなのかしら、と疑問を持つきっかけになったのは確かだ。

保育園と幼稚園って管轄が違うから、という話は過去にもぼんやりと耳にした記憶はあったけれど、目の辺りにして、改めてちょっと検索してみる。

“保育園と幼稚園では、管轄や法律が違います。保育園は厚生労働省の管轄で「児童福祉施設」となり、保育士は国家資格です。幼稚園は文部科学省の管轄で「教育施設」という区分ですので、教諭免許が必要です。保育園は0歳から利用できる児童福祉施設で、幼稚園は3歳からの教育施設というわけです。”
出所:https://benesse.jp/kosodate/201601/20160111-1.html
”幼稚園と保育園のどちらに預けるのか、目的によって異なります。幼稚園も保育園も子供を預ける施設です。ただ、幼稚園の目的は教育を受けさせることなので、文部科学省の管轄です。一方保育園は、病気や仕事など親の事情で十分な保育ができない子供を、家庭に変わって預かることを目的に運営されています。児童福祉法に基づき、厚生労働省が担当している施設です”
出所:https://woman.mynavi.jp/kosodate/articles/1666

なるほどなぁ。

もうちょっとかみくだいていうなら、保育園はこどものお世話をしますよ、というところで、幼稚園は教育をしますよというところなのだろう。そして目的が違うから、保育士さんと幼稚園教諭では根底にある考え方も違うのだなと理解した。

0歳や1歳のころってどの子も発達差がけっこう大きいから、ひとりひとりの状況に応じて個別対応するのが基本である保育士さんは、その後の年齢についても、ひとりひとりの状況に応じて見ることに慣れているのかもしれないな、と思う。

違いは理解したけれど、はじめての幼稚園見学で「教育施設」の根底にあるものを感じ取ってしまったわたしは、これから先の小学校や中学校というものに漠然と絶望に近い気持ちを抱いてしまっている。いや、懸念は前々からずうっと心の中にあったのだが、実際に今回の幼稚園見学でそのかけらを目の当たりにして、顕在化しただけだと思うけれど。

定型であること。標準レベルに達していること。均質であること。

娘がこれから歩いてゆく先々の道で、前提としてそれが求められる世界なのかと思うと、とてもゆううつだ。

これはわたしの先入観や偏見も混じっている、という前提でいうけれど、やっぱり個人的には、日本ってそういう均質化重視のムードがとても強いと感じている。

たとえば、以前少しだけ暮らしていたオーストラリアの都市では、移民がベースなので、街中にいろいろな国籍のひとがあふれていて、いろいろな言語が飛び交っていたりする。

こどもたちも、クラスの中には実にいろいろなルーツを持つ子たちがいて、見た目も違えば、言語も違う。学校では英語をしゃべっていても、家族とはそれぞれ母国語をしゃべっているというのが当然だったりするのだ。そんな光景をみていると「わたしたちと、あの子は違う」というより、「みんなそれぞれぜんぜん違う」という考え方が土台になっていくのを感じていた。

違いを違いのままにして受け入れ合う社会って理想かと思いきや、あるところにはあると思っている。だからこそ、いまの日本で小学校、中学校とすすんでいくのがゆううつに思えてしかたがない。もちろん今の時代は選択肢も増えているし、積極的に探せば「合う環境」を見つけられるのではないかという希望はもっている。療育やフリースクールだって、必要に応じてもちろん検討する気でいる。でもそれが「とくべつ」だととらえられる社会自体が、なんというかゆううつだ。

定型であること、標準レベルであること、均質であること。

そういうところから離れて、今の日本で生きていくのって無理なんだろうか。孤立したいわけではない。むしろ周りと関わりあいたい。ただ学校、学年という枠組みがあって、基準線でぴーっとひかれて、進んでいます、遅れていますっていうことの重要性って、はたしてどれほどのものなのか。そういう評価軸ではなくて、ひとりひとりをみることって、ほんとうに不可能なんだろうか。保育園の方針の延長線上には、実現しそうな気がしてしまうのだけれど。「教育施設」になると、無理なんだろうか。

「教育」って、なんなんだろう。

彼女は彼女のペースで、大きくなっている。とても、できることが増えた。じぶんで、じぶんで、と自分を確立しようとしている。牛乳が好きで、納豆ごはんが好きで、みかんが好きで、絵本が好きで、レゴブロックが好きな娘だ。たぶんこの先もっともっと、好きなものが新しく出てくると思う。

娘が娘のまま、好きなものを好きなまま、愛せる世界に送り出したい。

彼女が彼女のままのペースで、とことこと歩んでいける世界に。

いま、にこにこと楽しそうに自分の好きなものに取り組んでいる彼女の純粋な笑顔を、そのままの感情をたいせつにしてほしい。そのにこにことした「楽しい」や「嬉しい」が、この先まわりと比べることで陰ってしまうことがあったらと思うと、胸が張り裂けそうな思いになる。

どうかあなたのペースで。比べるのならばまわりとではなく、昨日の自分と比べてほしい。昨日できなかったことを今日できるようになった自分が嬉しくて、楽しいと思える、いまと同じ気持ちで歩いていってほしいと思ってしまう。保育園ではひとりひとりを見てくれていて、親ではない立場でそれを実践してくれている。とても、ありがたくて心強い。そんなふうに向き合ってくれる学校も、どこかにはあるのだろうか。

もしかしたら、それは今の日本ではとてもむずかしいことなのかもしれない。わたしは大事な気持ちを見失わないようにしながら、でも一方で「どうせ無理」とかいう自分の先入観や偏見にものみこまれないように気をつけながら、この先も娘と歩いてゆきたい。みながフラットな視点であればいいのにと願いながら、自分自身も真の意味でのフラットさを、まだ身につけられていない自覚があるから。親だって未熟だ。正解なんて知らないよ。たぶん考えながら歩いて、歩いてまた考えてゆくんだろう。

ところでアスペルガー症候群の息子さんにとってよりよい支援環境を求めてアメリカに移住されたチャビ母さんのnote、以前からときどき拝読している。先日はこんなつぶやきが投稿されていた。

ああ、なるほどなあとすごく思ってしまった。病気や障害ありきで捉えるのか、「ひと」ありきで捉えるのか。こういう細かいところのいろいろな積み重ねが文化をつくり、ひとの価値観や捉え方が培われているよなと思う。

ちなみに、チャビ母さんのプロフィールにはこんな一文がある。

アスペルガー症候群と診断された息子チャビの母です。 「このまま日本にいたら息子に明るい未来はない」と一念発起し、障害のある子にとってより良い支援環境があるアメリカに移住してきました。

思うだけじゃなくて、実際に行動されているのがすごいなと尊敬している。

わたしたちは今度近くの町に住み替えるつもりだけれど、はじめから選択肢は賃貸で、家を買う気にはとてもなれない。

必要とあらばよい環境を求めて、ぱっと動けるフレキシブルさだけは、少なくともこの先の10年くらい、持ち続けていたいなと思う。

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ぽこねん(poconen)

書き撮るひと@福岡。熱くも冷たくもない常温の日常エッセイを集めた定期購読マガジン『とるにたらない話をしよう』運営中。ライターと家事と育児と。日常、育児、夫婦、食、暮らし、生き方、多様性、旅、ワーホリその後。ただいま2歳児に親育てられ中。

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