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むすめ2歳の入院日記(12)術後9日目

9月6日(金)

付き添いベッドで寝ていたら早朝目を覚ました娘が「うぅーん」とグズって母を呼ぶ。朝添い寝。幸せだな、と思いながら横たわりつつ、あ、これはまたおもらししたなあという濡れた感触あり。利尿剤効果で夜の尿が増えているらしく、最近多いなあ。

起き抜け、水分をとらせる前に体重測定。

朝、内科の回診。「体重増えてるので念のため今日もレントゲン撮っておきましょうね」と言われる。「まあ食事もけっこう食べられているみたいなので、それで増えてきているんだと思いますけど、念のため。あまり心配しなくて大丈夫ですよ」とのこと。

結局今日もレントゲンかあ、と思いつつ。ただ術後、心臓に水が溜まってしまうことで「体重増加」となることもあるから、そうなっていないか確認するためにレントゲン撮影が必要という理解があると、まあしかたないか、と自分の気持ちを転換できる。PICU期間は1日2回、以降も1日1回はレントゲンを撮っている気がするけれど、問題ないのだろうか。医師が指示しているから大丈夫なんだろうけど、放射線のこと、やっぱり気にはなるから次の機会にはちょっと聞いてみようかな。

娘は個室に飽き飽きしているらしく、朝食後は「あそぶおへや」へ行こうと何度もせがむ。検温を済ませておやつの野菜ジュースを飲んでから、プレイルームへ。自由時間はブロック遊びなどをして過ごす。

11時からは保育士さんによるプログラム。保育士さんの歌にあわせてひとりひとりが名前を紹介しあったあとに、日替わりでいろいろなプログラムがあるのだが、この日は「おべんとう」。なんだろうと思っていたら、おべんとうの歌や絵本からはじまり、最後にはそれぞれ新聞紙や折り紙でお弁当の工作をするという流れのミニワークショップだった。

まだ全部をひとりではできないけれど、紙をくしゃくしゃと丸めたり、ペンで点々を描いたりと参加には前向きなようすの娘。ずっと個室にいるとやっぱりこどもは空間にも遊びにも飽きてイライラしてくるので、他のお友だちのいる空間でこうやって工夫されたプログラムが用意されているのはとてもありがたいなあと感じる。

昼食は入院してから初めてのカレーライス。ルーのおかげでごはんが飲み込みやすいのか、いつもより食が進み、ぺろりと完食。勢いでサラダもきれいに完食。

昼過ぎ、レントゲンに呼ばれて下へ。毎日の日課のようになっているので、多少服を脱ぐときに嫌がるが、撮影自体はおとなしく終了。放射線のこと、聞こうと思っていたのに聞き忘れたとあとから気づく。

その後は娘の希望で再びプレイルームでしばらく自由に遊ぶ。入院中の不満が爆発しているママさんトーク(主に入院施設やスタッフへの愚痴)が、聞きたくなくても耳に入ってきてしまうのを、みんないろいろあるよなあ、となるべくスルーして過ごす。娘はアイスクリーム屋さんのおもちゃで遊んでいて「もも、あじ」「りんご、あじ」「ぶどー、あじ」などと言ってニコッ、と笑って食べる真似をしていた。和む。

ところで手術をしてから、胸の中心がもりあがり気味なのが気になっていた。ただ術後すぐのときに「今は傷の部分ももりあがっているのですが、だんだんそれもひいてくるので」という話があったので、だんだんもとに戻るものなんだろうな……と思っていたのだが、どうやら違う気がする。傷自体が徐々に落ち着いてきてから、初めて気になるもりあがりに触れてみたら固いから、ああこれは骨の形でこういうふうになってしまっているのかとやっと気づいた。

娘のシャワーをしたあと、心電図や酸素濃度のモニターを再度貼り付けに来てくれた看護師さんに「このもりあがりが気になってるんですけど、これって徐々に消えてゆくものなんですかね……」と一応聞いてみる。やっぱり消えてゆくものではなさそうで。「今は胸にお肉もあまりないから、余計目立ってしまうんですよねえ。ちょっとずつお肉がついてくると、目立たなくはなっていくかなあ……」という返事。

やっぱり骨を切っているから、ひとによってそれぞれ、もっともりあがる子もいれば、凹む子もいるとのことで、さまざまなのだという。「女の子だから、今後気になってくるということがあれば、形成外科の方に相談という範囲になってくるかなあと」とのこと。

ああ、そういう情報、手術前にちゃんと知っておきたかったな……。まったく知らなかったよ。ここ数日は娘も元気なようすが出てきて気持ちが明るくなってきていたけれど、ひさしぶりにちょっとまた、もやっとした気持ち。

確かに「胸を開く方法は前から開くか、横から開くか選んでください、横からにするメリットは美容的なものだけです。難易度は前からのほうが低いです」という情報だけは、外来のときにもらっていた。どちらにしても傷は残ってしまうのなら、リスクは少しでも低い方がいいと、前から開くことをほぼ迷わず選んだのは事実。でもその時点では皮膚に残る「傷」のことしか想像できていなかった。骨を切ることは前日まで説明されなかったし、その影響で術後、体つきが見た目にあきらかなほど変わってしまうことは術前説明でも言及されなかった。その”可能性”の説明すら一切なかった。だから想像もできていなかったこと。

今振り返っても、そのリスクがあると説明をうけたとして、選択の結果が変わったかというと、きっと変わらなかったんだろうと思う。でも単純に、知っておきたかった。それでも、と納得したうえでGoと決断したかっただけだ。自分の気持ちだけの問題だとわかってはいる。結果は変わらない。いや、もしかしたら少しでも腕のいい医師を、なんて主張しただろうか。でもその思いはみな同じだろうし、一般人の希望が通るとも思えない。

考え出したらやっぱりもやもやは尽きないけれど、命が一番大事だから、そこに問題がなく経過が順調なことを何より喜ばなくてはいけない。実際、そこが一番大切で、回復していることにとても感謝しているし、安堵しつつある。

なげいたところで何かが変わるわけではない。親にできることはかぎられているけれど、でももし今からできることがあるとしたら、それは娘の気持ちをどんなふうに育ててゆくかというところなんだろう。「とらえかた」を育てるというか。いや「育てる」というのはおこがましくて、それよりはむしろ、ひとりでにまっすぐ育つはずなのを、親のひとことであえて歪ませないように気をつける、という感じなのかもしれないな、と思う。

娘がいろいろと理解しはじめたときや、思春期を迎えたりしたとき、自分の手術の傷跡や胸の中心の骨が少しもりあがっていることをどうとらえているか。事実は変わらないけれど、それをどうとらえているかという考え方の部分は、これからの関わり方で変わるのかもしれないなと思う。

娘の今のありのままを受け入れて、これまでと変わらず、むしろこれまで以上にたっぷりと肯定して愛し続けるというのは、その第一歩というか、大前提みたいなものだ。正直になればやっぱり、親の一存で傷や体つきの変化をさせてしまったことに、ショックのような気持ちはゼロではない。それでもこれから変化できることはマインドの部分なのだろうから、凹んでいても意味はない。命の無事に感謝して、娘がいまの自分に自信をもてるよう、わたし自身の気持ちがしっかりしないとな、と思い直す。

結局お昼寝をせずに16時ごろシャワー、その後眠気がピークに達し、「いや、いや」と不機嫌になって、横になって絵本を開いたらパタリとお昼寝。このパターンは3日連続。

わたしは隣接の宿泊施設に泊まっている実家の母から手作り弁当を差し入れてもらう。この年になってまた母のお弁当が食べられるなんて、思っていなかったな。売店の弁当とはやっぱり全然違って、胃に優しくてホッとする。

眠る娘のかたわらでしみじみとお弁当をむさぼり食べていたら娘が不機嫌に起きた。めずらしく寝起きが悪く、ぐずっている。目を覚ましたらまた病院で、もうここ嫌だあ、体に心電図の配線とかいろいろからまるのもう嫌だあ、と思っているのかもしれないなあ。

夕食はものすごーく時間をかけて、途中でもう食べないのかな?と何度も思いつつ、でも最終的にはほぼ完食した。もともとの食欲の比にはならない量なのだけれど、それでもお昼につづいて夕食を完食するというのは術後初めてのことで感動する。うれしい。

夕食後は病棟内の散歩。オムツの計量に行き、デイルームで絵本を1冊読んで、部屋に戻る。ところで今日は硬めだけど便が出てよかった。また浣腸にならなくてよかったね。

寝支度を整え、ベッドに寝転がって絵本を読み、その後暗くして即興の歌を歌いながらうとうとしていたら、21時ごろ内科の医師が訪問。寝てる?起きてるねえ。遅くなっちゃってごめんなさい、明日利尿剤減らせるか、ちょこっとだけ心エコーしてもいいですか?10秒くらいで終わります、と言うので、お願いしますという。

安心してまどろんでいた娘、突然のお医者さんに身を固くする。でも「痛くないよー。娘ちゃんのおむねのビデオ見るだけだって。明日からお薬減るかもしれないんだって」と説明しながらとなりで添い寝のまま手を握り、大暴れすることもなくすぐに終了。ちゃちゃっと終わらせてくれるのありがたい。「全く問題ないですね!」との所見でホッとする。

ずっと黙っていた娘、医師が帰ると口を開いてこちらを見、「びっくり、した」とひとこと。ああ、そうか、そうだよね、びっくりしたねえ。ごめんね。もうおしまいだって。もっかい、ねんねしようねえ。

そう言い聞かせているうちに看護師さんが夜の健康チェックに入ってきて、娘ふたたび固まる。そんなこんなで決して落ち着ける環境ではないけれど、今日も病院で過ごす夜は更けてゆく。

結局添い寝のままわたしも寝落ちしてしまい、深夜0時前に起きてシャワーをし、暗闇の中シャワー室のほのかな明かりを頼りにぽちぽちと日記を書く。もう寝よう。明日も早い。

(つづく)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。