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14歳が主催する、こどもによるこどものための『こどもばんぱく2019』に行ってきた。

夫に誘われて昨日、『こどもばんぱく』なるイベントに行ってきた。

『こどもばんぱく』というのは、九州初の、こどもたちが主催、出展、スタッフをするワークショップイベントだ。昨年に第1回が行われ、今年は第2回。主催は中学生の中井けんとくん(第1回当時13歳、現14歳)で、夫が別のイベントでけんとくんと知り合った流れから、わたしもいっしょに遊びに行った次第である。

夫に誘われたタイミングで『こどもばんぱく』のHPFacebookページをさかのぼり、ちょこっと予習した。イベント直前の熱気や準備の慌ただしさが、けんとくんのいろいろな投稿の端々から伝わってきて、なんだかこちらまでいい意味でどきどき。実際はどんな雰囲気になっているんだろう?と楽しみに足を運んだ。

会場は福岡の「電気ビルみらいホール」。オフィス街のビルの上層階にあるスペースだ。ビルの下に付いたのは開場から20分ほど過ぎたころ。オフィスビルとあってエントランス付近は静けさが漂っていたので、「開場したばかりで、まだあまり人がいないかな……?」と夫と話しながらエレベーターをあがる。

が、エレベーターの扉が開いたその瞬間、それは杞憂だったと知る。

開場から20分、すでに会場はいい感じににぎわっていた。どのブースにもほどよく人が集っていて、こどもたちはもちろん、スポンサー企業の大人たちもたくさんいて、楽しそうにブース運営をしているように見えた。気持ちのよい思いのつまったイベントには、いい空気が充満しているのだなあ、と感じる。

ちなみにちょっと横道にそれるけれど、スポンサーといえば、協賛金を募るための企画書はHPのこのページで公開されている。けんとくんの考えていることの一部がわかるし、おとなは頭をガツン!とやられるような衝撃を味わえると思うのでぜひ見てきてほしい。

さてカメラを会場にもどそう。

会場にはレジンでアクセサリー作りをやっているワークショップブースがあったり、自分で作ったお菓子を販売している子がいたり、自分で描いたイラストをポストカードやバッグなどのグッズにして販売している子たちもいた。ネイルサービスを提供しているブースもある。

内容としては我が家の娘(2歳)が2、3年後により楽しめそうなものが多いようだ。

ふと「娘ちゃんがもうちょっと大きくなったら、また連れてきたいねえ」とつぶやくと、夫は「どうかな。それまでやっていたら、だけど」と言う。

思わず「どういうこと?」と聞き返すと、彼はこう続けた。

夫:「いや、けんとくんは今14歳で、15歳になったらもう『こども』じゃないから、『こどもばんぱく』はだれかに引き継いで自分はやめたい、ということを言っていたんだよね。だからそのとき、引き継ぎがうまくいったらつづいているだろうね」

私:「なるほど。先のことまでしっかり考えていてえらいなあ……」

夫:「あとこれ、俺も聞いたときに”すごいな”と思ったんだけど、そうやってだれかに”引き継ぐ”ことを考えて、イベントの規模が”大きくなりすぎないように”してるって言ってて。けんとくんとしては、自分のイベントが大規模になっていくんじゃなくて、全国各地でいろんな子が自分たちの好きなように『こどもばんぱく』ができるようになっていったらいい、という考えだから」

これを聞いたとき、わたしはいたく感動してしまった。

なんて、先を見据えているのだろう。「引き継ぐ」ということをいまから見据えていることもすごいのに、そのためにイベントの規模が”大きくなりすぎないようにしている”って。完全に戦略的というか、冷静な経営判断ができる、経営者のような視点じゃないか、と頭がぐわんぐわんなった。

だって”わたしの先入観と偏見にまみれた汚れた視点では”、という前置きのもと言わせてもらうなら、あのくらいの年頃の男の子って、「何かでかいことがしたい」とか「自分が一番すごいって言われたい」とか、そういう気持ちがつまっているもんじゃないのか。少なくとも自分が14歳くらいのときに、そんな冷静な視点で、社会のすすむ方向を見て、自分のやっていくべきことややっていきたいことを噛み砕いて考えている子は、周りにいなかった。そうか、これがジェネレーションギャップというやつなのか。

お寺で肩をスパン!とたたかれたような、気持ちのいい衝撃を味わった。

そうこうしているうちに、ステージでは落水洋介さんの講演がはじまった。

落水さんは、PLSという100万人に1人の難病を抱えつつ、前向きに生きることの大切さを講演会や書籍などで伝える活動を続けている方。

さっそうと電動車椅子で登場して、講演をはじめた。楽しくて、明るくて、笑いをたくさん散りばめた、とても素敵な講演だった。最終的にわたしの中でいちばん残った落水さんの印象は「しゃべりのうまい、気さくなお兄ちゃん」だった。それから、「笑顔のすさまじくキュートなひと」。

数年後には寝たきりになるという未来が決まっているけれど「今まで生きてきて、今が一番幸せです」と繰り返しおっしゃっていた。

病気になる前は「普通のこと」だと思っていた、日常の中のあらゆるささいなこと――たとえば足が動いて歩けるということや、朝起きて太陽が照っているということや、友だちが遊びに来てくれるということ――に、ありがとう、と深く感謝する心が持てるようになって、ありがとうの気持ちがあふれるようになったということだった。

それから、「前向き」は「技術」だというお話。もともとは落水さんもネガティブ思考だったというけれど、病気になってから「練習」して、数年がかりで、どんなできごとも前向きに考える技術を身につけたそうだ。

そんな話を、『こどもばんぱく』の会場で、主には会場のおとなたちがじっと、熱心に聴いていた。落水さん自身がその状況を「こどもが、だれも聞いてない(笑)」とちょこちょこ話の中にネタとして交えながら。

横のブースではこどもたちが熱心に遊んでいて、時折、話の途中でその背中に向かって落水さんが冗談交じりに「ねえ、見てーー!聞いてーー!」というかけ声をしていて、会場は笑いに包まれていた。そこで笑える空気をつくってしまえるのが、落水さんのほんとうにすごいところだなあと、まるい気持ちになった。

もうだいぶいろいろなことに感銘を受けすぎたこともあり、滞在1時間ほどでそろそろ帰ろうかね、と夫と話す。

しかしせっかく『こどもばんぱく』に来場したからには、何かしら会場にお金をおとしてゆきたいなと思っていた。

個人的な思いを添えると、わたしは今月からnoteで定期購読マガジンもはじめた身。そこで「自分の作品に対して対価をいただく」という経験をさせてもらって、その事実が、作品の質を磨こうとするプロ意識だったり、自分で仕事を生み出そうとする考え方を育ててゆく、ということを感じている。そんな背景もあり、ここにいる若きアーティストたちに絶対に還元しなければならない、という思いにかられていたのだ。

なにか個人的に、琴線にふれる作品はないかしら……。そう考えて会場を歩いていたら、ふだんはまったく趣味のあわない夫と奇跡的に共通で、同じブースにとても惹かれてしまった。

それがこれ。『こども歴史かふゑ』。なんでも、幕末が好きな子たちがやっているんだそうだ。

いや、なんというか、この絵のタッチが個人的に、妙にツボにはまる。

独特のタッチなのだけれど、特徴もちゃんととらえていて、なんだろう……一度見てしまうと、ずっと心に訴えかけてくるんだよ……。

夫が「いいな、これ買おっかな。ちょうどこのくらいの袋、探してたんだった」とか言い出すので、「いいじゃん」とそれを決めるのを手伝うつもりで、ひとつひとつを手にとって見ていく。……うちに、イラストの魔力にやられ、なんだか自分も欲しくなってきた。

うーん、わたしも買っちゃおうかな。

そう思いながら何気なくバッグをひっくり返したら、なんと裏面にはその人物の「名言」のようなものが書かれているではないか。それが予想外のプラスアルファだったので、見た瞬間、「ああ、買おう!」となった。そういう発想のプラスアルファで、ひとの心ってうごく。

結局、夫は武田信玄、わたしは伊達政宗、2歳の娘用にもつん(西郷隆盛の愛犬)のバッグを買った。

左から、つん、信玄、政宗。

裏面。

総じて、午前中の1時間ほど滞在しただけなのに、ものすごい充実感に包まれた『こどもばんぱく』だった。

「自分でイベントを企画する」とか、「自分の描いた絵をグッズにして販売する」とか、「自分にできる工作をワークショップとして販売する」とか、そういう発想、小中学生のときなんてわたしにはまるでなかった。

でもいまは違う。たとえプロじゃなくても、自分でつくったものを販売するオンラインサービスがたくさんあり、絵をグッズにするサービスもあり、ワークショップというフォーマットが浸透してきている。そして何より、その「場」をこうして作ろうとする子どもたちがいる。

この前、夫ともそんな話をしていた。

「自分たちが子どものころって、お金はお小遣いとして”もらうもの”だったり、誰かに雇ってもらって、労働を提供して”もらうもの”というイメージしかなかったよね。自分自身がつくった商品やサービスを提供して、ゼロからお金を”生み出す”っていう発想、まったくなかったよね」と。

それはわたしの場合もたしかにそうで、だから今回、『こどもばんぱく』の場を通して堂々と自分の”発想”や”作品”や”技術”でお金を生み出している子どもたちをみて、ほんとうに頼もしいなあというか、むしろ尊敬の念をいだいたのだ。定期購読マガジンをやろうかどうか、うねうね悩んでいた自分がひどく、かっこわるいように思えた。

そういえば先の歴史バッグを買ったとき、実際にイラストを描いた作者のふたりが(和服に身を包んで)接客応対してくれたのだけれど。

私たち:「じゃあこの3つください」

幕末少年:「どれですか? はい、つんと、政宗と、信玄ですね。1,500円です」

私たち:「はい」

幕末少年:「ありがとうございます(冷静)」

というやりとりに、わたしはなんだかとても感銘を受けた。

「わぁ、ありがとうございます!!」とか、「やったあ、嬉しい!!」とかではなく「ありがとうございます(冷静なトーン)」だったことに。こんなの買うひといるんだとか、そういう気持ちではまったくなかったことに。

ああ彼らは、自分たちの生み出すものの価値を知っているし、その価値を信じているのだな。そう思ったのだ。

たとえ万人受けするものではなかったとしても、自分の作品が響くひとは確実にいるということを知っていて、響くひとは対価を出してそれを買う、ということを知っているのだと。だからそこに、変な媚なんて存在しないんだと。

突き抜けるような気づきをもらって、わたしたちは会場をあとにした。

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