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むすめ2歳の入院日記(1)入院前〜入院当日

今年の1月に検査入院をしたときのことはこちらに。

今回はその本入院にまつわる日記です。ごく私的な日記なので、クローズドな場で書こうか迷ったのですが、もしかしたら同じ病気(心房中隔欠損)の子を持つ親御さんなど、似たような境遇の方の参考になることもあるかもしれないと思い、無料公開でおいておくことにしました。

(ちなみに国立循環器病研究センターのページによると、”先天性心疾患はだいたい100人に1人の割合で起こるといわれていて、娘と同じ心房中隔欠損は、その先天性心疾患の中の約7%を占めているとのこと。担当医にも”一番多い類のもの”と言われました。また自分の娘だけでなく、知人の子にもいたので、決してめずらしい病気ではありません)

以下は時系列での日記です。事実の記録だけでなく感じたことやその背景を残しておきたいなと思い、ささいなことも書きとめています。十分な推敲もなくだらだらとつづきますが、ご理解いただければさいわいです。

8/21(水)

昼12:00過ぎ。自宅の食卓で仕事をしていたら、突如スマホに着信あり。「こども病院」と表示されているのを見て、電話をとる前に「来たか」と思う。

一度は6月末に予定されていた娘の入院と手術は、その直前に手足口病にかかったため延期となり、次の予定はいっさいわからないまま、「連絡待ち」となっていた。緊急度の高い手術が多く行われる大きなこども病院のため、緊急度の低い我が子の手術は、直前にならないと連絡がこないのだ。

電話口で「お日にち近いのですが、入院日が8/26(月)、手術日が8/28(水)で決まりました」という。カレンダーをみれば、入院までもう1週間を切っている。「お日にち大丈夫ですか」というので、ダメだったら連絡する旨を伝えて電話を切り、すぐに夫へ確認のメッセージ。

9月前半は夫の長期出張があるのだが、娘の体調はここ最近わりと安定している。この機を逃すとまたいつ順番がまわってくるかわからないし、寒い季節になると、それこそ体調を崩してまた延期になり、来年まで持ち越してしまうかも。夫とのやりとりも含めてそう考え、1週間を切ったその日程でOKしようと決めた。

さっそく両家両親に日程を連絡し、ヘルプのお願い。以前、6月の入院予定時にもこの流れをひととおり経験しているので、双方の両親も「ついに来たか」という感じでスムーズに受け入れてくれ、すぐにレスポンスをくれる。とても、ありがたい。

また、おそらく娘の手術前後はメンタル・体力・時間のすべてが削られ、平常心の日常エッセイは書けなくなるだろうなあと想定し、定期購読マガジン用に、しばらく分の予約投稿を本格的にセットしはじめる。入院期間中も、これはこれで、きちんと質を保ってつづけたい。そういうものがあることで、自分自身の気持ちのチューニングにもなるから。心の拠りどころだ。

8/22(木)

朝ごはんを食べながら、娘に入院や手術のことを話す。まずは大枠だけを話して、ようすをみる。

「あのね、来週から、病院にお泊まりするからね。娘ちゃんはおむねにご病気があって、それをよくするために病院にお泊まりして、手術をするんだよ。手術っていうのは、娘ちゃんのおむねを、お医者さんがよくすること。なんでするかっていうと、それをすると、娘ちゃんがもっと元気になって、もっとたくさん、走ったりできるようになるんだって」

そんなようなことを、娘と目を合わせながらしっかりと話した。

母の、いつもとはちょっとちがう表情や声のトーンを感じるのか、娘はふだんの口癖のように「イヤ!」と言うこともなく、目を見返してじっと聞いていた。0歳のときからこども病院には何度も何度も通っているし、入院も今回で3度目なので、「びょういんにおとまり」がどういうことか、彼女の中にも何か記憶とリンクするところがあるのだろう。

ちなみに手術は初めてのこと。

術後数日間はPICU(小児集中治療室)に入っている予定で、その間は付き添いができないため、看護師さんたちがお世話をしてくれる。親のいないところでしばらくお泊まりをすることを、こどもが小さくてもきちんと話しておいてください、と言われていた。今の娘に一度でしっかり伝わるとはまったく思っていなかったので、当日まで、折に触れて何度も繰り返し説明していこうと思っていた。

「手術をしているときは、娘ちゃんはねんねしているのね。それで目をさましたら、娘ちゃんは『とくべつなおへや』にいるんだよ。そこは、バイキンさんが入ってこられないお部屋なんだって。手術のあとにバイキンさんにあうと、娘ちゃんがもっとたいへんな病気になって、いたかったり、くるしかったりするようなことになるといけないから、その『とくべつなおへや』が、娘ちゃんをバイキンさんから守ってくれるんだって。そこにはママとパパは一緒にいられないんだけど、お医者さんとか、看護師さんがちゃんといて、娘ちゃんにごはんくれたり、お世話してくれるからね。そこですこしお泊まりしたあとは、ちゃんとママとパパにも会えるから、しんぱいしないでね。だいじょうぶだからね」

実際は間を区切りながらだけれど、こんな内容もゆっくりと、娘に向かって話した。まあ、完全に理解はしていないだろうなあとは思いつつ、でも普段から「わたしが予想しているよりはきっとずっと、おとなの話を理解しているんだろうなあ」という気持ちがあるので、なるべくきちんと説明しようと思っている。引き続き、めずらしくじっと最後まで話を聞いた娘は、「わかった?」と母に聞かれると「うん!」と、やたら強く頷いてくれた。

また何度でも話そう。その日まで、まだ数日間ある。繰り返し話しているうちに、少しずつ伝わっていくこともあるはずだ。

見知らぬ部屋で目を覚まし、自分は寝かされ体に管がつながれ、しかも周りには父も母もおらず知らない大人だけがいるというときの不安感(大人だって、それを想像したら不安だ)が、ほんの少しでも減らせればいいなと、それだけを思う。

娘の心の中なんて目には見えないから、いくら説明したところでわたしの自己満足なだけかもしれないけれど。それでも彼女の中に、母が「また会えるから、だいじょうぶだからね」と言っていた残像が、ちゃんと残っていればいいなと願うのだ。

8/23(金)

飛行機の距離に住む実家の母も、職場と交渉して9月を休みにしてもらったとのこと。夫が長期出張になる9月前半から来てくれると聞き、心強く思う。また夫の両親も早々に詳細なスケジュールを共有してくれていた。なんて恵まれたサポート体制だろうと頭がさがる思い。

医療関係の職業である義父も、手術前日の手術の詳細な説明に立ち会ってくれるとのこと。こども病院に隣接するドナルド・マクドナルド・ハウス(※)に、手術前日の宿泊手配。その日はわたしが付き添いで娘の病室に泊まり、夫と義父がマクドナルド・ハウスに泊まることにする。

※ドナルド・マクドナルド・ハウス:家から離れた病院に通う、こどもの治療に付きそう家族のための宿泊施設。自炊できる共用キッチンなどもあり。1人1日1,000円で利用できる。2019年時点で日本には11箇所。ハウスの運営は100%が寄付による。詳しくは公式HP(https://www.dmhcj.or.jp/)へ。

ちなみに、手術後、PICUに入っている間は付き添いができないが、その後は基本1人が付き添い必須となる。自宅からこども病院までは移動に時間がかかるので、WiFiルーターを自分たちで手配して、基本は家に戻らずに生活したほうが、仕事の時間や休息の時間をやりくりできるかもしれない。せっかくありがたい施設があるので、マクドナルド・ハウスはPICUから出たあとも長期で予約しておいたほうがよさそうだね、と夫と話す。

ただ、「一度利用したら次の利用は1週間以上あけなければならない」「一度に2つの期間の予約はできない」などの決まりがあるので、まず一度目の宿泊が終わってから、次の日程の予約をすることになる。もちろん、混雑状況によっては希望通りの日程がとれないこともある。

ああ、電話じゃなくインターネットで空き状況確認や予約申請ができればいいのになあと思いつつ、寄付で運営されている施設にそのコストを求めるのもな、と思い直す。施設が続いていること自体に心から感謝したい。

8/24(土)くもり時々雨

ペン太を洗う。

ペン太というのは娘が最近気に入っているペンギンのぬいぐるみだ。中に手を入れて動かすことができるタイプ。母が腹話術もどきで折に触れてペン太を操ってきた努力が実を結び(?)、最近は娘も「ぺんたくん、ぱずる、しよ?」とか、「ぺんたくん、おえかき、しょ?」とかいってペン太を積極的に誘うようになった。

以前もらっていたPICUの説明用紙に「おもちゃも少しなら預かれる」と記載があったので、PICU期間、父母が付き添えないなら、ペン太に付き添ってもらおうと思ったのだ(※実はおもちゃの持ち込みが禁止になったということを入院してから知るのだが、このときは持ち込めると信じていた)。

ちょっと鼻のあたりが薄汚れていたので、きれいにしておいたほうがよいだろう。娘に「ペン太くん、おふろにいれてあげよう」といって、洗面器の風呂に入れ、ハンドソープで全身をやさしく洗う。雨だけど、中に新聞紙を入れて2日もあればきっと乾くだろう。

娘も初めて「ぺんたくん」をお風呂に入れ、いっしょにバチャバチャして、楽しそうだった。

くもり空のもと、公園に行こうと家を出たらぽつぽつと雨が。傘を取りに戻り、結局近所のパン屋でランチ。大人用のイスに腰かけても食事ができる娘を見て、いつのまにこんなに大きくなったのだろうと思う。雨が小雨になったので、公園で少し遊ぶ。しばらく外遊びはできなくなるからね。

よく公園にあるあの、動物のかたちをした、ひとりでまたいでゆらゆらゆれる遊具、なんというのだろう。ちょっと前まではあれに乗っても、ひとりでは不安定で、落ちるか落ちないかそわそわして手を添えていたのに。今じゃどっしりと自分でまたがって、足も足置き台につき、自分でぐんぐんとゆらしている。それを見て、また成長を実感する。「そんなことできるの!」と横で夫も言う。

どの遊具で遊んでも「ああ、しばらくこの姿見られなくなるな」と思うと、いちいちいろんなことが大切で、いちいち「そうか、いまはもうこんなことができるんだなあ」と改めてしみじみ思うのだ。

小学生のお姉ちゃんたちが乗っていたブランコが気になったのか、娘もブランコに乗りたがる。ブランコはまだちょっとひとりでは不安定で、油断すると後ろか前にぐん、と落ちそうになるので、娘の横にひざをつき、前後に手を添えながら見守る。いま頭を打ったりすると、また手術が数ヵ月単位で延期になるので、母は気が気じゃない。でもブランコにはしばらく乗れないし、楽しんでいるから乗せてあげたい。複雑な親ごころ。

家へ帰って何冊か絵本を読んで、お昼寝。

ようやく寝入ったかな、と思ってしばらくしたころ、外から「キュ!バーーーン!!」と、これまで聞いたことのないくらいものすごい音がする。何、銃声か?!とすら思い、どきどきする。しばらく娘の隣でそのまま横になっていたが、どきどきして眠れたものじゃない。夫はというと、わたしが娘に絵本を読み聞かせているころから早々と寝ている。信じられぬわ。

しばらくして、パトカーのサイレンが近づいてくる。「もしやさっきの音の?」とそわそわしていると、案の定、家の近くて音が止まった。その後も立て続けに何台もパトカー。そして救急車。思わずマンションの窓から外を見下ろすと、目の前の通りで交通事故があったらしい。けが人が担架にのせられ運び出されていた。ずっと、どきどき、どきどき、と動悸がして落ち着かない。いつ何が起こるかほんとうにわからない。元気でも、病気でも、生と死は隣り合わせにある。心臓手術の日程が決まってから、命のことにとても敏感だ。事実はいつもと何も変わらないのにね。

そわそわという思いを引きずって、でもそれ以上見ているのも気が引けて娘の隣へもどる。ぐっすりと気持ちよさそうに眠る娘。鼻からのぞく鼻くそすらも、可愛くて愛おしい。生きている。生きている。

8/25(日)くもり時々雨

降ったと思ってはやみ、やんだと思えば降る、すっきりしない天気が昨日からずっと続いている。

「明日から入院だから、せめて今日くらいは一度も怒らずに過ごしてみたい」なんて思っていたが、朝からささいなことでイライラして怒鳴ってしまう。反省。結局いつもどおりの1日。むしろいよいよ入院前日ということで神経が立っているのかもしれない。

昨日とはちがう公園へ出かけるも、到着早々に雨がふり出して引き返す。プラン変更し、車で図書館に行く。病室にも持っていこうと、9冊ほど絵本を借りる。さてお昼ごはん食べにいこう、と誘うも、「まだ、ここ、いたい」という娘。図書館の空間が落ち着くのはDNAか。

お昼ご飯は外食したが、娘は食べ始めてしばらくして、食べたまま目が閉じてきてむにゃむにゃ寝てしまう。抱っこする。ずしりと思い。でも寝顔は赤ちゃんのときの名残がまだまだあって。寝ながらも、口をもぎゅもぎゅしている。やっぱり夢の中でも食べているらしい。

しばらくこうやって、寝ている娘を抱っこする機会もなくなるのだなあ。そんな思いを抱きつつ、ひたすら腕の中の顔を見つめる。とても愛しい。

夜寝るとき、借りてきた絵本をたっぷり読んだ。娘に「だいすきだいすき」と言って、思う存分いちゃいちゃとまとわりついて寝た。明日からひと月ほどは、こうして横に並んで眠ることはできないんだなあ。そう思うとやっぱり寂しくなって、無駄にくっついて、寝息を感じながら眠る。

ほんの数日前までは猛暑だったはずなのに、いきなり寒いほどの気温になったから、よけいにくっつきたくなる。どうかまたすぐに、このぬくもりのそばで眠れますように。

いよいよ明日から入院か、と思うとなんだかそわそわしてよく眠れず。

8/26(月)雨、時々くもり

大きなスーツケースともろもろの手荷物を抱え、朝9時半ごろに車で家を出る。こども病院までは自宅から車で40−50分ほど。夫が運転する車の中で、わたしは手遊び歌などを歌って娘と遊ぶ。にこにこと笑って元気。

ひと段落してから、何度目かの、入院の話をする。たとえ2歳でも、少しでもちゃんと自分の置かれている状況がわかったほうが、不安が減らせるのではと考えているので、何度も繰り返し、説明してきていた。

これまでは「おむね」ということばで片付けていたけれど、今日はもうちょっと説明したいなと思って、「ここの中に、しんぞうっていう、娘ちゃんのからだの隅々に血をおくってくれるものがあってね」と話した。「いま、娘ちゃんのしんぞうはいっぱいいっぱい、がんばりすぎちゃっているんだって。手術をしたら、もっとしんぞうが楽に血をおくれるようになるんだよ」

「……だから、元気になって、もっとたくさん走ったりできるようになるために、手術をするんだよ。お泊まり、大変だったりつまらないこともあると思うけど、いっしょにがんばろうね」と話すと、思いのほかはっきりと「うんっ」と言う。100%が伝わっていなくとも、しっかりとこちらを見て、いつになく真剣に話を聞いてくれるようすから、彼女が何かを理解し、感じとっているということはとてもわかる。

こども病院へつくと、まずは入院受付で事務的な話。そして院内薬局で常用の薬の登録をした後、循環器科の受付へ。身長体重などの計測をし、循環器科の医師の診察と、入院に関するもろもろの同意書の配布。それから歯科でお口のケア。さらにレントゲン。

こうやって書くと、ずいぶんとんとん拍子にことが進んでいるように見えるが、まったくそんなことはない。午前中のこども病院はとても混雑していて、実際は入院受付の時点から、すべての項目において、長い順番待ちの時間がはさまれている。30分以上待つことも普通なのでおとなしく待っていると、たまに本気で忘れられていたりする。だからときどき受付に「まだ呼ばれてないんですけど……」と聞いたりしないと、ほんとうに1時間以上待ちつづけることになってしまう。主張するが吉。

レントゲンのあとは食堂で遅めの昼食を食べ、またなかなか呼ばれずに受付に確認したらやっぱり忘れられていた。声をかけたらすぐに、病棟へ案内される……も、病棟前の面会室でまた30分ほど待たされて……。ゴールにたどり着けない迷路のようだ。早く部屋にゴールしたい。医療現場だから、どうしたって優先順位が高いことは他にいくらでもある、しかたがないのだと自分に言い聞かせながら、待ち疲れはじわじわとたまってくる。

結局、病室へ入れたのは15時近くになってからだった。ちなみに案内してくれた看護師さんはちゃきちゃきと明るく、とても感じのいいひとであった。書類には「患者用ベッドで添い寝はできない」と表記があったけれど、その看護師さんは「え、添い寝してもらってもいいですよ〜!お子さん小さい方はしてる方結構います」と言っていた。過去2回、同じ病院に入院していたのだけれど、当時も添い寝が使えたらどんなに楽になったか!と思い愕然とする。今回からでも添い寝OKが確認できてよかった。

娘は昼食中にうとうとして抱っこで眠ってしまい、病棟に入る前の待ち時間に起きた。けれど、病室へ入ったらまた、こんどは眠り薬をお尻から入れて眠らされ、心臓エコーの検査へ(ちなみにお尻から眠り薬を入れたのが刺激になってしまい、うんち2回を処理する→薬も排出されてしまったので薬をさらに半量追加、というステップを経ている)。

娘を眠り薬で眠らせるというのが、必要性をわかっていても、親の自然な感情としてはいつも苦手だ。とくに、前回まではいつも口から飲ませる苦い薬で、味を嫌がってギャアギャア泣き叫ぶところを看護師さんと3人がかりで押さえつけて無理やり口の中に少しずつ流し込んで飲ませる、という図がメンタル的にとても苦手だった。泣いているところに液体を入れられ、カハッ!ってなって苦しそうで。顔を真赤にして。

だから同じく「イヤ!イヤ!」と泣かれるにしても、座薬のほうがだいぶ、親の精神的な負荷は少ないなと感じる。昼寝直後だから眠れないかなと思ったけれど、さっそく添い寝を活用して横で絵本を読んであげていたらしばらくして眠った。以前はひたすら寝るまで抱っこしか選択肢なかったもんなあ。添い寝OKの効果を実感。ああ、もっと早く知りたかった……。

眠る娘を心エコーの部屋に送り届けてから、病室で待機。その間に、術後に数日間入る予定のPICUについて看護師さんから説明。なんとその話の中で、手術当日は病院から最長でも30分以内のところに宿泊しなければならないということを、初めて知る。看護師さん的には、「え、外来で言ってると思うんですけど」という反応。いや、聞いてない……。我が家は30分以上かかるので、聞いていたらその時点で「宿泊とらなきゃね」と話していたはずだ。

手術前日は、夜に担当医から手術のくわしい説明があると聞いていたのでマクドナルドハウスの宿泊も手配していたが、当日は状況が見えずノータッチだったので、夫もわたしも動揺。結局、マクドナルドハウスに延泊を依頼したら、無事受け入れてもらえて安心する。

入院のたびに毎回、「えっ、今まで聞いてた話と違う」「えっ、当然のように言ってるけどそれまったく初耳」ということに遭遇するのだけれど。でもおそらく、「一刻を争う命にかかわる緊急事態」が次から次へと起きる医療現場においては、「それ以外のあらゆる雑多なこと」にぬけもれが生じやすいのは、しかたのないことなんだろうなとも思う。何度かの入院を体験して、そういうものなんだなあ、と思うようになった。思うようにした。

たとえばさっきみたいに、前々日になって「明後日も宿泊手配必須です」って言われるようなことは、平和な日常では「えっ急がなきゃ」となることではあるけれど、医療現場ではまったく”緊急事態”ではないのだから。この中では、それを上回る、命にかかわる大切なことが山ほどある。医師も看護師もそれに体力と気持ちを向けている。それはほんとうにそうだから。

この日の夜付き添い担当は夫。夜になってから別れるとたぶん泣いてしまうので、わたしは夕方の脱出を目指す。

心エコーから戻ってきた娘に「まま!」と指名され、添い寝で最近気に入っている電車の絵本を読む。絵本の途中にアドリブを入れて遊びながら、絵本1冊分の時間を、たっぷりしっかり満喫する。

娘の欲求を一度満たしたそのタイミングで、「今日はお母さん、お家にかえって、また明日くるからね。娘ちゃんは今日は、お父さんとお泊まりね。また明日ね」と話した。「イヤ!」と来るのを身構えたが、なんと娘は「ばいばい」と手をふるではないか。穏やかに微笑んですらいる。なんと。

ここ数日、いちだんと話を聞いてくれるようになったような気がしていて。母は娘の成長に心がぐう、となる。

最近、何度も繰り返し娘に今回の入院のことを説明してきて、どこまでどんなふうに伝わっているかと思っていたが、娘は娘なりに、話をちゃんと聞いて、考えているようだ。この感覚は前回までの入院には感じられなかったことで。もう彼女は、彼女の視線で、ものごとをしっかりと捉え始めている。

(つづく)


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