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とある妊婦の脳みそ【1】「宿る」という感覚―意志とは無関係に変わりゆく自分のカラダ

むしろ男性にこそ、ちょっと想像してみてほしい。

「自分のお腹の中に、自分ではない別の生命体が宿る」という感覚を。どうかハナから無理と言わずに、一度でいいから、真剣に想像してみてほしい。

自分の中に、2つの心臓がある。異なる速度でリズムを刻みながら。

そうしてその生命体は、アナタの意志とはまったく関係なく、毎日少しずつ、しかし着実にアナタの体内でむくむくと成長してゆく。それに伴って、アナタのお腹も約10ヵ月ほどの時間をかけて、少しずつふくらんでゆく。

アナタは少し食べるものに気をつけたり、無理をしすぎないように気をつけたりはするけれど、たとえば「植物に水をやる」ように、育てるためだけの特別な行動をするわけではなく、いつものように呼吸をして、ごはんを食べて、睡眠をとる。

そうしていると、別の生命体のほうが自動的に、必要な栄養をアナタの体内からどんどん吸収して、むくむく、とふくらんでゆくのだ。

こんなすごいシステムがあるだろうか。

*  *  *

妊娠って、おもしろい。たいへんに興味深い。約30年間生きてきて、これほどまでに自分が「生物である」ことを認識したことはない。

もう少し詳しく言えば、「ああ、自分も太古から受け継がれてきた長い歴史の延長線上にいる、ひとつの生物なのだな」という認識である。

それは冒頭でも触れたように、自分のからだが、「もともとそうインプットされているのでしごく当然ですが、何か」というような感じで、自分の意志とは関係なく、日々変化していくのを目の当たりにするからだ。

誰に教わったわけでもないのに、私のからだは胎児へと栄養を送る方法を知っている。つわりで食べられない時期であろうが、胎児へと優先的に栄養を送るようにできている。

何も考えなくとも、お腹は着実にふくらんでゆくし、乳房は張り、乳輪は乳児に吸われても大丈夫なように皮膚が丈夫になり色も濃くなる。出産前になると、赤ちゃんが生まれてくる出口付近の皮膚も伸びやすくなるという。

自動的に、勝手に、からだの方が変わってゆく。頭ではなくからだの方がよっぽど、妊娠という事実を知っていて、体内にやってきた小さな命を守るべく、総動員で母体を作り変えているところなのだ……と、頭で遅れて理解する。

「私は何も司令を出しているつもりはないのに、からだの方が何でも知っているんだな」。そんな感覚を味わう。人のからだは、なんてうまくできているのだろう。

それは生物的でもあり、植物的でもあるような体験だ。

太古から、木が育っては、実をつけて種を落とし、落とされた種は勝手にその土壌から栄養を吸い上げて、成長していく。

ああ、そうか。自分もまた古来から続くその大きな流れの中にいたにすぎないのだな、と改めて気づく。

*  *  *

そしてそれは、いち生物として神秘的で興味深い体験だなぁと感じると同時に、今の人間社会を生きる自分としては戸惑いを感じる体験でもあった。

自分の中に自分ではない生命体が宿ってくれるということは、もちろんとてつもなく感動的なのだが、「自分の意志ではどうすることもできない別の命が、自分の体内にある」ということでもあるからだ。

よく妊婦さんに対して「ひとりの体じゃないのだから」という言い回しをすると思うが、それはたしかに、もう本当に、そうなのだ。

かたや私の性格はといえば、特に10代後半から20代は英語のことわざにある“Where there is a will, there is a way.(意志あるところに道あり)”を地でゆくようなタイプだった。

何度もひとり旅へ出かけてみたり、会社を辞めて留学してみたり、海外で働いてみたり、帰ってきたと思えば就職した会社をすぐに辞めて友人の起業を手伝ってみたり、フリーランスになってみたり。今振り返れば親にはたいそう心配をかけたに違いない(ごめんね!)。

“自分の意志さえあれば、例えばお金がなくてもそれを捻出するための手段を考えて実現すればよい”。“本当にやる気があるなら、なんとかして人は実現しようとするものだ”。

そんなふうに思っていたし、今も一部の局面においては基本的にそのスタンスは変わらない。

だが、妊娠すると、自分の意志だけでは及ばない範囲が、しかも別の命が、自分の体内にある。つまり、自分の意志だけじゃ、動けない。

普段ならなんてことはない自分の行動が(ちょっと走るとか、自転車にのるだけでも)、最悪の場合、自分ではない別の命に影響する可能性が十分にあるのだ。これは衝撃だった。

とくに私の場合、妊娠発覚とほぼ同時に絶対安静の指示が出てしまい、ひたすら寝たきりという日々が続いた。

外とのつながりが遮断され、本気の引きこもり生活になった日々。そんな毎日のなかで、「いったい今まで自分が自分だと思っていたのははたして本当にそうだったんだろうか云々?」という思考ループに入ることになるのだが……(笑)。

これは長くなるのでまた次回に。

*  *  *

少し話が横にずれた。

ともあれ、今回一番お伝えしたかったことは、妊娠して初めて味わった「生物」としての感覚のおもしろさだ。

子育て中の友人にその感覚を話してみると「そうそう、体の構造改革というか、システムが組み替えられる感じだよね」と言っていたが、まさにそう。

「へぇ! こうやって自動的にからだが組み替えられてゆくのだな」。

自分のからだなのに、どこか脳みそは客観的にそれを観察して、ふむふむ、と興味深く見守っていた。“(生物として昔から)そういうふうにできている”。そんな表現がとてもしっくりときた。

妊婦ってなかなか、おもしろい。

(つづく)


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